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上位下達


          *


 ヘーゼン少尉が退出した後、ジルバ大佐は机に拳を叩きつける。


「なんなのだ……なんなのだアイツはぁ!?」

「……」

「黙っていてはわからんだろうロレンツォ大尉! あの態度はなんだ!? 少尉風情が、要塞存亡をかけた戦略を振るうなど、あり得ないだろう!?」


 猛り狂うのも無理はない。ここにいるのは、自身の派閥――言わば、ジルバ大佐の手足となる者たちだ。そんな彼らの前で、最下級の少尉が脅しをかけてきたのだ。周囲にいるシマント少佐も、他の大尉たちも、あまりの傍若無人な態度に唖然としている。


 しかし、他の上官よりも彼を長く見てきたロレンツォ大尉は静かに答えた。


「……あれが、ヘーゼン=ハイムです。敵だろうと味方だろうと、上官だろうと、上層部全体を敵に回しても……例え皇帝陛下の御前でも、己の意志を貫き通す。そんな男です」

「っ、不敬だぞ! そんなものは意志とは言えん! 単なるワガママだ!」

「……」


 激昂するジルバ大佐を、ロレンツォ大尉は冷静に見つめる。いったい、どのようになだめればよいのか。いい案は浮かばない。


 ただ、ヘーゼン少尉を理解させることが、この戦を勝利する唯一無二の方法。それだけは確信していた。


「……意志とワガママ。大佐は、その二つの違いはなんだと思いますか?」

「なに?」

「前者は、力ある者が発する野望。後者は、力なき者が発した負け惜しみ。私は……彼を見てそう思いました」

「……あの、ふざけた男の言う通りにせよと言うのか?」

「そうせざるを得ないでしょう」


 もしかしたら、自分はこうなることを望んでいたのかもしれない。ロレンツォ大尉は、密かにそう思った。未だ撤退か否かを議論していれば、瞬く間に占領されてしまう。であれば、抗戦準備の方向性へと強引にでも向かさなくていけない。


 それは、あまりにも皮肉で、思わず自虐的な笑みが漏れる。


「モスピッツァ中尉の気持ちがわかるな」

「あ、あの無能と一緒だと言うのか!? 我々は帝国の上位将官だぞ!」


 シマント少佐がジルバ大佐の代わりに激高した。彼はこの派閥の№2である。しかし、彼の実力不足のせいでケネック中佐の派閥が増大していたとも感じる。


「……恐らく、ヘーゼン=ハイムという男には同じだったのでしょう。要塞防衛という帝国の任務に対し、我々は醜い派閥争いを繰り広げていたのですから」

「ふざけるな! 我々とアイツらは同じではない! 奴らが我々の足を……帝国の足を引っ張っているんだ!」

「……」


 議論にもならない。ロレンツォ大尉はそれ以上言葉にしなかった。しかし、それでも同じだと、彼は思う。結局のところ、ジルバ大佐は派閥を1つに取りまとめ、同じ方向性に向かわせようとはしなかった。


 あくまで、彼自身の派閥を強化させることに重きを置き、常にケネック中佐と対立構造を作った。それは、組織というものにおいて、最も罪が深い。


 要するに、ジルバ大佐にはこの要塞をまとめきれる器がなかった。防御に特化している時はそれでよかった。しかし、攻勢に出ようとした時に化けの皮が剥がれた。圧倒的な本物を前にして、自らの無能を露呈したのだ。


 少なくとも、ヘーゼンは風を起こした。この不協和音で入り乱れた派閥を真っ二つにして、片方を強引に向かわせる、荒々しく、猛った、乱暴な暴風を。


 それは、自分たちの無力さを思い知る、残酷な嵐であった。


「ジルバ大佐、私は一時的に大尉の座を降り、ヘーゼン少尉に権限を譲渡します」

「……そんなことが許されると思うのか?」

「そうするしかありません」


 この戦に勝利するには、あの男が必要だ。誰もがそれをわかっていながら、誰もがその事実に目を背けようとしている。


 唯一、モスピッツァ中尉の醜聞を目の前で見てきたロレンツォ大尉にのみ可能なのだ。あんな男になるくらいなら、自身の息子ほどの年齢の者に座を譲り渡す方がマシだ。


 自分の背中には万を超える兵がいる。誰一人として気にも止めていないこの事実を、受け止められるのは自分しかいない。


「お願いします、ジルバ大佐。大尉の権限をヘーゼン少尉に与える許可をください」

「……駄目だ! 奴には、大軍を率いた経験がない! そんな未熟な者に任せられる訳がない!」

「問題ありません。ヘーゼン少尉は、下の者には強固な信頼を得ております」


 今や、ならず者の第8小隊は、要塞随一の戦士集団になった。第4中隊は、瞬く間に他の中隊から一目置かれる存在になった。


 なぜか。


 ヘーゼンは部下の能力と功績のみを評価するからだ。どんな忖度もしない。気も遣わない。誰もが正しいと納得できるような指示をする。それが、部下にとって、いかにわかりやすく、救われることだっただろうか。


 それは、誰にでもできそうで、決して誰にも真似できないことだ。


「……」


 やがて、ジルバ大佐はあきらめたようにため息をつく。要するに、他人に決断させることが、この上官にできる唯一のことなのだ。そう思ってしまうほどに、ヘーゼン少尉と比較すれば器が霞む。今思えば、なぜこの男を担ごうとしたのか、その理由もわからないほどに。


「……失敗は許さん。敗北すれば貴様らを極刑に処す」

「はい」

「この戦が終われば、貴様らを異動させる。二度と、この地に足を踏み入れるな」

「わかりました」


 返事をしながら、ロレンツォ大尉は思う。次に彼らがヘーゼンと会う時は、全員がその背中にひれ伏しているのだろう。

 その時、嘆きながら、泣き叫んでいる光景が、彼の脳裏によぎる。


「……ロレンツォ大尉に命ずる。これより、貴様の大尉権限を、ヘーゼン少尉に譲渡する」

「了解しました」


 ロレンツォ大尉は敬礼をして、その場を後にした。


 そして。廊下を歩きながら、ヘーゼンが当然のように吐いていた言葉を口ずさむ。


「上意下達……か……くく、くくくく……」


 思わず、ロレンツォ大尉は皮肉めいた笑みを浮かべた。

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