ジルバ大佐
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その報が届いたのは、開戦の4日前だった。軍令室から急ぎ足で帰ってきたロレンツォ大尉が、ヘーゼンに告げる。
「現在、ギザール将軍率いる大軍が、この要塞に向かっているとのことだ」
「……遅いですね」
「意図的に情報が降りてこなかったんだ。クソ!」
ロレンツォ大尉は拳を強く机に叩きつける。温厚な上官にしては、言葉も荒々しい。それだけ、危機的な状況だと言うことだろう。
「我が軍としての行動は?」
「どっちでもない?」
「と言うと?」
「割れているんだ。撤退派と抗戦派が」
「……てっきり、どう守るのかを議論するものかと」
どこでも、足を引っ張る輩はいると言うことか。敵よりも味方の方が厄介な時がある。この場合は、ジルバ大佐の対立派閥。ケネック中佐が撤退を主張しているのだろう。
「最悪、議論が終着しなければ、ケネック中佐の派閥は引き上げる可能性がある」
「いや……もはや、どう説得したところで、そのような流れになるでしょう」
ケネック中佐の目論見は、ジルバ大佐の失脚。トップが交代する事態になれば、別派閥の長が後を継ぐ。あとは、ジルバ大佐が撤退を選ぶかどうかで決まる。恐らく、あちらの陣営はすでに、撤退準備が整っていると見ていい。
しかし、ロレンツォ大尉は大きくため息をつく。
「ジルバ大佐は撤退されないよ。あちらの意見を採用して、自身の判断を曲げるようなことはできないお方だ」
「であるならば、早々にケネック中佐が率いる戦力を見限って、戦闘に備えるべきでしょう」
「それだと半数以上の兵たちが撤退することになり、要塞を守りきれない」
「守れます」
「あちらには、ギザール将軍もいるんだ。そう簡単にはいかない」
「簡単に行くとは行ってません。ただ、守ってみせます」
「……策があるのだな」
「はい」
「わかった。今から、軍令室へと向かう。ついてきてくれ」
「了解しました」
ロレンツォ大尉はヘーゼンと共に軍令室へと向かった。
ノックをして部屋へと入った。そこには、ジルバ大佐と彼の派閥に属しているシマント少佐、マカザルー大尉、ブィゼ大尉。バクナタ大尉、ゴザラッセル大尉がいた。
彼らは、すっかりあきらめた様子で放心状態だった。ジルバ大佐は半ば自暴自棄気味でつぶやく。
「ケネック中佐の派閥は全軍撤退するそうだ」
「……ジルバ大佐。ヘーゼン少尉に策があるそうです」
ロレンツォ大尉は投げやりな様子を見せるジルバ大佐を刺激しないよう、注意深く答える。
「言ってみろ」
「すでにケネック中佐たちが去ったのは朗報でした。いつまでも彼らの戦力をアテにしていれば、話は進みませんから」
「……」
「私の意見はごくシンプルです。ギザール将軍さえ倒せば、あちらの戦線は崩壊します」
そう答えると、ジルバ大佐は呆れた表情を浮かべ吐き捨てる。
「なんだ、それは? 子どもの絵空事なら他でやってくれ。ケネック中佐が撤退した以上、ギザール将軍を倒せる戦力はいない。彼に近づける者もな」
「ここにいます」
「……貴様、なにをふざけたことを言っておる?」
ジルバ大佐が不快な顔を見せるが、ヘーゼンは気にしない。
「私がギザール将軍を倒してみせます」
「はっ! 少尉風情がなにを言う!?」
「私が少尉であるのは、軍に入って間もないから。ただ、それだけです。軍での階級と支給される宝珠の質は比例しますが、戦闘力が比例するわけではない」
「……話にならない! ロレンツォ大尉、なぜこんな阿呆を連れてきた?」
「彼を信じてみるべきかと。ヘーゼン少尉は単独でクミン族との停戦協定を成功させた実績があります」
「それは、交渉が上手くいった。ただ、それだけだろう?」
「違います。クミン族は武力を重んじる部族です。彼は自身の魔法使いとしての実力を示し、停戦協定を為したのです」
「……しかし、一介の少尉風情が……大将軍と? そんな話を信じろというのか……ううむ」
それでも煮え切らないジルバ大佐に、ヘーゼンはため息をつく。決断力のない上官は嫌いだ。ケネック中佐も、この男の煮え切らないところが気に食わなかったに違いない。
「大佐にとって、魔法使いとはどのような意味を持ちますか?」
「それは……魔法を扱う者だが」
「私にとって、魔法使いとは不可能を可能にする者なのです。例えば、数万の兵を一人で殲滅したり、城よりも巨大な魔物をなす術もなく消滅させたり……絶対に治せない難病を、癒したり」
ヘーゼンはそう答える。
「……そんな絵空事を語ってなんになる? 荒唐無稽な話には付き合ってられん」
「論より結果は望むところです。どの道、選択肢などないでしょう? ここから撤退すれば、あなたは失脚。いいところ、寂れた地方の軍政官にでも左遷というところですか。なんにせよ、臆病者の汚名を着せられ、中央には生涯戻れない」
「……」
軍人は、武功を成すから軍人なのだとヘーゼンは説く。どんな強敵に対しても怯まずに勝利を掴み取らねば、その価値はない。戦略的な撤退はあっても臆病風に吹かれた退却はあり得ない。
「ならば、万が一にも私に賭けた方がいい。死ぬまで後ろ指差されて情けなく生き残るか。それとも、死中から活路を見出し、大戦功をあげるか。選択肢は二つしかない」
「……ううむ。でもなぁ」
未だ迷っている表情を浮かべるジルバ大佐に、ヘーゼンはその額を近づけて鋭い瞳で睨む。
「私が叶えて差し上げると言っているのです。あなたの望みを」
「へ、へ、ヘーゼン少尉。貴様、失礼だぞ!」
隣にいたシマント少佐が怒り狂って叫ぶが、ヘーゼンは止まらない。
「失礼? 事実を言うのは、失礼ではありません。そもそも、早いうちに攻勢を打てば少なくとも攻め込まれることはなかった」
「……貴様がクミン族となど停戦協定を結ばねば」
額と額が重なるような距離で。ジルバ大佐が口汚く罵る。この状況をすべてこちらのせいにしてきた。しかし、ヘーゼンは動じない。この大佐も、所詮は危機的状況を他人のせいにすることで自我を保つほどの器であったと言うことだ。
「私は提案しただけです。それを活かす手もあった。しかし、殺した。あなたたち上層部の誤った判断で。戦場での過ちは、すなわち死。あなたたちの命運は、そこで尽きたわけだ」
「……」
「しかし、あなたたちは運がいい。この戦を任せてくれさえすれば、誰もが想像し得ない大逆転をご覧に入れましょう」
ヘーゼンはそう笑った。




