ジルモンド
*
「おはようございます」
「お、おはようございます」
始業15分前。ハキハキとしたフレッシュな声が農務省のフロアに響く。だが、特別に大きい訳ではない。恐らく挨拶が習慣付いているのだろう。
出勤してきた瞬間から違う、とエマは思った。
始業時間になり、挨拶のために全員が集った。心なしか、チーム全員がマルナール不在の朝を清々しい気持ちで迎えているように見える。
「ジルモンド=ワノアと言います。公設秘書官と言う立場で、中央省庁の内政官は経験がありません。色々わからないことがありますので、何卒ご指導よろしくお願いします!」
「……」
快活な挨拶をして深々とお辞儀をする。好印象そのもの。爽やか。明るく礼儀正しい。とにかくマルナールと違いすぎて、ありがたい。
「じゃあ、みんな。仕事を始めてください」
「はい!」
「……」
なんとなく職場がピリッとした気がする。彼が来たことで他の内政官たちの刺激にもなっているようだ。情報収集のため周囲の評判を聞いたが、やはり、相当なキレ者のようだ。
ジルモンドはすぐさま机に座り、5分ほどガタメンと会話を始める。終始和やかな雰囲気の中、他のメンバーも交えて少し話をし、再び席に戻って書類を作成し始める。
「……」
大変だろうな。なんせ、マルナールがほとんど仕事をしていなかったので、やることがほとんどないのだ。初めての中央省庁での内政官業務では、何をすればいいかがわからないのではないだろうか。
そんなことを思っていると、ジルモンドがスッと席を立ち、エマの方に近づいてくる。
「私の役割ですが、ドクトリン領における現地図の取りまとめを実施しようかと思います。皆さんとお話ししましたが、やはり足りていないのは現地の状況なので、その点でお力になれないかと考えてます」
「……っ」
優秀ー。めちゃくちゃ優秀ー。最低限のコミュニケーションで、チームの足りないところに気づいて、そのウィークポイントを補完しようと申し出てきた。
「それは非常に助かります。よろしくお願いします」
「わかりました」
言葉少なめに笑顔を見せて、颯爽と席に戻って黙々と仕事を開始する。常に集中力がなく、暇つぶしがてらにガタメンに話しかけていたマルナールとは天と地の差だ。
午後になり、食事の時間になった。そこでも、ジルモンドは積極的に自分の身の上を話し、他のメンバーのことも質問する。恐らく、相互理解を深めてコミュニケーションが円滑に取れるようにしているのだろう。
「……」
重要なのは、『飲みニケーション』と常日頃言っていたマルナールとは、これまたエラい違う。
だが。
「……」
何もここの職場だけではない。マルナールのような者は、一定数はいるものだ。自分から仕事を遠ざけ、やらないにもかかわらず、過去の経験を過大に誇示し、後輩に威張り散らして指示を出す。
瞬間、エマの中で激しい葛藤が起こる。
マルナールという無能な人材を放棄してしまったのは、『逃げ』なのではないか。自分が手に負えないからと言って、他の部署に放出するなんて。
「やっぱりダメだ……ジルモンド内政官」
エマは、やがて、意を決したように声を掛ける。
「何でしょうか?」
「その、申し訳ないです。恐らく、2、3日もしたらすぐに戻ってもらうかもしれないです」
「……どういう事でしょうか? 私に何か至らないところが?」
「いえ。至りすぎているというのか……ジルモンド内政官とは、マルナール内政官とは明らかに釣り合ってません。本当にごめんなさい」
エマは深々と頭を下げる。丁重にお断りすべきだったのだ。ダゴル執政官が『どうしても』と言っていた事。他ならぬマルナールが『是非行きたい』と主張したこと。それに甘えてしまった自分を恥じた。
……いや、自分も『いなくなってくれたら』という願望もあったのだ。他人のせいにするのはよくない。とにかく、自分が悪い。
「ダゴル執政官も素晴らしいお人柄なので、『ジルモンド内政官を戻す』と言い出せないかもしれません。だから私からーー」
「大丈夫ですよ。ダゴル執政官も、あの方の奴隷ですから」
「えっ?」




