ケッノ
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薄暗い牢獄の中。朝の光が映り込まない時刻で、帝国将官のケッノは目が覚めた。つい、先日まで牢獄にいた帝国商工省の元次長、バリゾは、もういない。
聞くところによると、奴隷牧場、通称『奈落』に落とされたらしい。
「……まあ、あいつは無能過ぎたからないやむしろ当然無能だから致仕方がない」
現在、帝国将官で残っているは、自分を除き5人。ケッノ自身目をかけていたヤツらと自分。癪だが、ヘーゼンもなかなかの目をしているらしい。そして、ヤツの言葉通りなら、落とされるのはあと1人。
この地獄のような環境から絶対に生還して、帝国に凱旋帰国してやるとケッノは心に決めている。
ヘーゼンは約束した。イリス連合国に勝てれば、解放して帝国に戻してやると。その言葉を信じてやるしかない。
すぐに身支度をして、執務室へと入った。案の上、誰もいない。机も椅子も乱雑に置かれて、書類の角も揃ってない。
「まったく……やる気のないいやむしろ全然駄目すぎて片腹が痛い」
そうつぶやきながら、書類のチェックを始める。ケッノの日課は、机や書類の角を揃えること。こうした、陰なる努力が上司に気に入られるものだと経験則で理解している。
そんな中、ヘーゼンと小娘、ヤンが中に入ってくる。
「お、おはようございます!」
ここぞとばかりにケッノは深々と挨拶をする。この瞬間を待っていた。
「……おはよう」
「まったく、たるんでますな。見てください、この乱れきった机を見てください」
「乱れきってるのは、お前の性癖だと思うが」
!?
「ぐっ……」
「警告しておくが、性欲が溜まりすぎて、ノクタール国の女性執事などに無礼を働いたら即奴隷牧場行きだからな」
「はぐうっ……致しません致しませんいやむしろ致仕方なく致しません」
異常性欲者扱い。圧倒的異常者に、髪をガンづかみされて、異常性欲者扱いされるケッノ。
「信用できないな。まあ、風俗店のルールも守らずに変態行為を強要するような輩にモラルなど期待していない」
「ひぐうっ……」
酷い。
いやむしろ酷すぎるくらい酷い。
「まあ、沸る性欲を抑えきれずに犯罪を犯されるよりは、ある程度経費をかけても発散してもらった方がいい。その辺はモズコールにひと通り揃えさせておく」
「は、はい! ありがとうございます!」
それは嬉しい。
「彼なら何冊かいい本を見繕ってくれるだろうからな」
「……」
本かよ。
「はっ、話を戻しましょういやむしろ仕事時間ですから仕事の話をしましょう」
「……勤務時間ではないのになぜいる?」
ヘーゼンが尋ねた途端、パッと表情が明るくなる。
「そうなのですいやむしろそうなのです! 私以外は、まだ仕事を開始してもいない」
「……」
「まったく、たるんでると言わざるを得ませんいやむしろ豚の腹の如くたるみきっている」
「ジオウルフ城とロギアント城を獲るために、彼らには随分無理をさせた。差し当たって、緊急的な仕事もないから、当面は通常の勤務時間に戻すよう言ったはずだが」
「ふっ……帝国では『休め』と言われて休むのは御法度なんですよ。私くらいになればいやむしろ私くらいしか骨身に染みておらず嘆かわしい限りではありますが」
「……」
はい、論破。最近は、この男も自分の有能さに気づいたらしく、反論をしてこない。ヘーゼンは小さくため息つき、振り返ってヤンと再び話をし出す。
「ジオウルフ城の掌握は?」
「ほぼ完了しました。最初は、みんな不安がってましたけど、シガー王の統治には一定程度の不満もあったみたいで、予想よりもすんなりいきました」
「そうか。だが、甘くするなよ。君のやり方は、そっちに偏りがちだから困る」
「師が厳しすぎるんですよ。断じて。徹底的に」
「普通だよ」
「そう思ってるのが異常なんですよ」
「いやお前ヘーゼン元帥に口答えとか正気かいや正気通り越して狂ってるだろう」
「……」
「……」
・・・
ケッノがバシッと指摘し、ひとしきり静寂が訪れる。まったく、この小娘は自身の立場も考えずに、ことあるごとに元帥であるヘーゼンに刃向かっている。
目上の者に反論することなどあってはならない。
「ケッノ」
「は、はい! なんでしょうか? 私はなんでもやりますよいやむしろ粉骨砕身で成し遂げてみせます」
「黙ってろこのクソクズド変態異常性欲者が!」
「ひっぎぃ……」
ヘーゼンに髪をガンづかみされ、凄まれる。
「断っておくが、ヤンはお前の1京倍優秀で僕と議論するに足るキーマンだ。役職すらなく、奴隷に片足突っ込んでるお前が序列を口にしてマウントを取ろうとするならば、そこらへんの知識は頭に入れて喋れ」
「はっ……はぎぃ……」
ブチブチブチっと、毛根の千切れる音をケッノは聞いた。
「は、はわわわっ……離してあげてくださいよ! 師のせいでケッノさんの髪がエライことになってます!」
「一向に構わない」
「……っ」
構え。
いやむしろ構えてくれ。
「わ、わかりましたいやむしろわかりすぎました! だ、だから離してぇ!」
「お前は黙って、あっちで書類でも整理していろ」
「はい!」
大きく返事をして、意気揚々と机に向かって仕事を始める。やはり、ヘーゼンは自分の書類整理能力を評価している。当然だ。
自分は数十年以上、大陸最高峰の政務機関がある天空宮殿で書類と向き合ってきたのだから。ケッノは意気揚々と、書類の確認を始める。
相変わらず、角が曲がっている。書類の乱れは、心の乱れだ。よく『忙しい』とか『急いでる』とか言い訳する輩がいるが、そんなものは単に時間管理能力がないだけのこと。
特に最近の若者は根性もない。
時間がないのなら、なぜ朝誰よりも早く起きてこない。なぜ、夜遅くまで仕事をしない。時間の管理ができないばかりか、そう言う努力も怠るから仕事に追われてしまうのだ。
3時間後、やっとチラホラと来始めた。
「遅い! お前ら、何やっとるんだいやむしろやにを何をやっているんだ!」




