伝書鳩
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夜。イリス連合国側の軍務室は、ひときわ静寂に包まれていた。伝令は震える声で、錚々たる被害を口にする。
「我が軍の戦死者4万、負傷者2万。4の軍長が戦死……対して、ノクタール国の戦死者は約5千、負傷者4千です」
「……」
イリス連合国将官は、残り将軍2人と軍長5人。対してノクタール国は将官を一人も失っていない。兵数もにおいても、イリス連合国が約8万に対しノクタール国が2万3千余り。
「……」
「……」
誰も、なにも発さない。答えは明確だった。ヘーゼン=ハイムという魔法使いの底知れなさ。それを語る言葉を誰も持たないからだ。認識をどれだけ上方修正したとしても、さらにそれを超えてくる。
圧倒的な化け物。
「グライド将軍への援軍要請に対して、回答は?」
「あ、ありません」
「クソッ!」
ミュサベル将軍が拳を壁に叩きつけた。この兵力差にも関わらず、抱いているのは絶望的な未来だった。もはや、確実に大将軍級でないと止められない。
そのことがわかっているにも関わらず、一向に動こうとしないシガー盟主を呪った。
昨日と違い、戦の光明が見出せない。
もはや、ヘーゼン=ハイムの魔力切れを期待することもできなくなってきた。すでに、予測しただけの魔法は使わせている。
だが、あの黒髪の魔法使いは、軍長4人を屠った後も、無尽蔵に魔法を放ち続け、至極平然としていた。魔力切れの気配など微塵も感じさせない。
それだけではない。
当初は、ヘーゼン=ハイムのみが強敵だという認識だった。だが、ノクタール国の将校たちの士気と能力が高い。彼らはことごとくイリス連合国の軍長を凌駕する。
そして……なにより兵の士気が違いすぎる。
戦の後半はノクタール国の騎馬兵たちが縦横無尽に戦場を駆け巡った。機動と攻撃力を向上させる魔法の効果と相乗し、イリス連合国の兵たちを大量に蹂躙した。
戦意を失い、ひたすら逃げていくイリス連合国の兵たち。明日以降も士気は下降を辿る一方だろう。
このまま3日目を迎えれば、この兵力差であってもすぐに追いつかれてしまう。
「どうする?」
「……」
ラグドン将軍の言葉に誰も反応しない。むしろ、『聞きたいのはこっちだ』とミュザベル将軍は内心で舌打ちをする。
「籠城か?」
「では、あのロギアント城を陥落させた魔法をどう防ぐ」
「……」
ミュザベル将軍は、籠城の提案に対し、自分でも解決できない反論をする。半ば八つ当たりのようなものだが、どうにも感情の持って行き場がない。
ヘーゼン=ハイムには、城門を一撃で吹き飛ばすほどの強大な魔法を持っている。籠城しかないことはわかっているが、まずは、あの魔法を撃たせないことが大前提だ。
とすれば、平原で討って出るしかないのだが、今の戦力でまともにぶつかれば負ける。
「クソッ! クソッ! クソッ!」
マチュル軍長が腹立ち紛れに軍卓を蹴るが、誰も止めない。理不尽なまでの状況に、全員が憤怒と絶望感を抱いていた。
そんな中、軍務室に伝令が入ってきた。
「伝書鳩が届きました! ダゴゼルガ城からゾヘンド軍長率いる2万の軍が、ジオウルフ城に向けて進軍中。こちらの救援に向かっているとの報告がありました」
「……っ」
瞬間、将校たちの歓声が沸き立つ。この状況で、軍長1人、兵数2万の追加は大きい。
「我々はイリス連合国軍だ! どれだけ兵力が削られたとしても、周囲には仲間たちがいる!」
軍長の一人がそう叫び、全員の将校が頷く。そうだ。今は、諸王たちの関係性は微妙だが、彼らは決して敵ではない。
「すぐさま諸王に向かって援軍要請の伝書鳩を送れ!」
ラグドン将軍は伝令に向かって叫ぶ。
「し、シガー王の許可なくですか?」
「緊急事態だ! 檄文を以て我が軍の苦境とヘーゼン=ハイムの脅威を伝えろ」
将軍連名で直々の現場要請であれば、諸王も無下することはないだろう。クゼアニア国の将軍としてでなく、イリス連合国軍の将軍として必死に訴えかければ必ずわかってくれるはずだ。
こちらとしても、他の国々の支援に向かったことなど数えきれない。自分たちのお陰で、彼らの国の苦境を脱したことだって何度もある。こちらの苦境を伝えれば、必ずその状況を汲んでくれるはずだ。
必ず。
*
*
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「へ、ヘーゼン元帥。こんな夜中にどこへ!?」
「ああ…-伝書鳩を回収してきた」




