夜
夜。ノクタール軍の野営にて。
「イリス連合国軍戦死者3万、負傷者4万。クド=ベル将軍及び6人の軍長が戦死……対して、こちらの戦死者は2千、負傷者3千……圧倒的にノクタール国優勢です!」
ゴメス中佐が報告した途端、将校たちが一斉に沸き立った。夜番以外の誰しもが勝利に酔いしれ、酒を酌み交わしている。
初日にしては、これ以上ないくらいの戦果である。
「ヘーゼン元帥は?」
「カク・ズの治療に当たってます」
「ば、化け物かアイツは」
ジミッド中将が信じられないような表情を浮かべる。戦の開始から信じられない魔法の連発。神出鬼没の機動力。底知らずの智略。果ては、怪我人の治療までやるのか。
「……初日以降も厳しい戦いが強いられると言うことじゃろう」
ドグマ中将が、酒を飲みながらつぶやく。百戦錬磨の宿将も、依然として厳しい表情を緩めない。
そして、この戦勝ムードの中で多少躊躇したが、ゴメス中佐はヘーゼンからの言葉を読み上げる。
「伝言です。『実質的には、まだ9万対2万8千。戦力差は依然として大きい。ある程度浮かれるのはいいが、ほどほどにしておけ』とのことです」
「くっ! 嫌味ったらしい元帥様だぜ」
ジミッド中将はそう言い捨て、瓶の酒をガブ飲みする。その場にいる全員もそう思ったらしく、なんとも言えない苦笑いを浮かべて酒を飲む。
「ただ……物凄い男だ」
誰かがポツリと言った。
「……」
当然、ノクタール国軍も善戦した。ジミッド中将も軍長一人を討ち取っているし、帝国将官のザオラスも絶妙な働きをした。ドグマ大将は言わずもがな、戦線を崩壊させずに尽力した。なによりもカク・ズが将軍級の首を取った。
「「「「……」」」」
ただ、ヘーゼン=ハイムの働きは破格過ぎる。
戦は一人でやるものではない。
そんな当然のような理が、あの男の前では馬鹿らしく聞こえる。
「……ゴメス中佐。まだ、あの男は飯も食っていないのではないか?」
「あっ……そう言えばそうですね! すぐに持っていきます」
ゴメス中佐は、すぐに2人の兵たちに、持てる限りの飯を包ませ、走る。
兵の宿舎で。怪我人の列が立ち並んでいた。ゾロゾロゾロゾロと、飯を食いながら重傷者から順番に並んでいる。
「な、なんだこの列は……へ、ヘーゼン元帥」
「ああ、ゴメス中佐か。どうした?」
「いったい、なにをしてらっしゃるのですか!?」
「ああ。魔医が不足しているんでな」
「……っ」
ゴメスは唖然とした。ヘーゼンは、自らが歩き回って怪我人の治療を行っているのだ。
「そっ、即刻中止してください! 翌日以降もあなたの戦いで戦況が左右する」
「彼らも同じだ。明日の死闘を戦い抜き、この先の何年もノクタール国を背負う誇り高き精兵たちだ」
「し、しかし……」
「僕は大丈夫だ。自分の魔力量は把握している」
「……」
どこまで途方もない魔力なんだろうか。長蛇の列にいる兵たちはどこまでも長く長く並んでいる。軽傷者を抜けば、おおよそ半分ほど。それらを全員戦場に戻そうと言うのか。
「それより、それは食事か?」
「は、はい! お持ちしました」
「……そろそろ、カク・ズが起きるから、持って行ってやってくれ」
「それは、もちろん。しかし、これはヘーゼン元帥に持ってきた食事で……」
「僕はいい。まだ、治療の途中だ」
「……」
自身のことはすべて後回し。まるで、聖人君子のような行動に、やはり、この人のことがわからなくなる。
「ゴメス中佐」
その時、ヘーゼンが空を見てつぶやく。
「はっ!」
「明日は雨だな」
「……はっ」
これでは、火竜咆哮が使えない。1つの魔杖が使えなくなるのは大分痛いはずなのだが、ヘーゼンにはなんの影響がないようにも思う。
「君はもう寝ろ。明日は厳しい戦いになる」
「いえ。私はヘーゼン元帥の副官ですから、あなたが寝るまでは寝ません」
「気遣いはいい。戦場では、体力勝負だ。土壇場ではそれが命の明暗をわける」
「だからこそです。私は、あなたがそうならないよう見張っていなければなりません」
「僕は大丈夫だ」
「ヤン様が言ってました。『僕は大丈夫だ』と言う時はだいたい無理をするから見張っておいてくれ、と」
「……あの小娘」
ヘーゼンはフッと小さくため息をつき、苦笑いを浮かべながら治療を再開した。




