育成
*
部屋の隙間で。ガビーンと、ヤンが固まったまま立ち尽くしていた。そして、ひと通りの指示を終え、去って行こうとするヘーゼンと目が合う。
「どうした?」
「き、鬼畜……」
「なにが? いつも通りだが」
「そーでした鬼畜すぎる!」
やはり、ガビーンとするヤン。
「あいつらは甘やかすとすぐにサボるんだよ。《《ちょっとだけ》》気を引き締めてもらった方が働くんだ」
「『ちょっとだけ』という定義を、もはや逸脱しすぎていると思うんですけど」
「そう?」
「ヤバ!」
無自覚というのが、なおのこと恐ろしい。とんでもないサイコパスであるということを、黒髪少女はまたしても、嫌というほど、再認識した。
そんな中、隣に控えていたモズコールが、華麗な笑顔をこちらに向けてくる。
「ヤン様。『覗き』という行為は、未来の淑女として相応しい行動とは思えないので、自重なさった方がよいと思います」
「……っ」
とんでもなく自重すべき変態から、『自重しろ』と言われて、もう死ぬしかないとヤンは思った。しかし、そんな幼女の悩みなどお構いなしに、イカれサイコパスは、とんでも変態の肩を叩いて褒めたたえる。
「しかし、モズコール。よくやってくれた。予想以上の働きだった」
「嬉しいお言葉です」
「……」
やはり、トリッキーな長所を持つ者は使える。そういうことなのだろうと黒髪少女も思う。
「ここからは、総じて君の仕事だぞ、ヤン」
「わかってます」
とは言え、あまり嬉しい仕事とは言えない。人の評価は苦手だ。特に、その人の人生に関わるものは、できる限りやりたくないのが本音だ。
「査定は任せるが、大まかな考え方を聞きたい」
「まずは、欲しい適性が優秀な者から残していきます。そして、次に欲する適性ではないが、優秀な者。こんなところです」
ヤンが答えると、ヘーゼンが頷く。
「シンプルな回答だな」
「ダメですか?」
「いや、いい。僕の考えと同じだ。ただ、1つ。ケッノ特別顧問は最後まで残せ」
「な、なんでですか?」
言いたくはないが、あの人は結構なドクズだ。帝国での仕事ぶりも、ノクタール国の仕事ぶりも、総じて酷いものだった。この人だけは真っ先に落とそうと内定させていたのに、なぜーー
「クズだからだ」
「……っ」
逆に!?
「あのケッノという者は本当にどうしようもない。強者の影に隠れて生きているにもかかわらず、それで自分が偉くなったと勘違いしている。それでいて、影に隠れていたから能力もない。影でいるから思考も陰鬱になり、陰口を叩く。影で他人を陥れ、先んじてトライしようとする者の邪魔をする。まあ、僕のもっとも嫌いな部類の男だな」
「だっ……だったら、なんで……」
「悪い手本として残す」
「……」
言われて、なんとなくしっくりときた。
人から好かれる男は、手本にならなければいけない。逆に、人から嫌われる男は、悪い見本でなければいけない。
『こうなりたい』と思わせる人。『こうはなりたくない』と思わせる人。どちらも、他人に対して好影響をもたらすと言うことだろう。
「あのクズは非常にいいサンプルになる。ヤツがいることによって、全員があのクズのようにはなりたくないと思い、働くだろう」
「……」
「ヤン。わかっているだろう? あの男は、どうしようもなく腐っている」
「……」
報告書を見たが、経歴は真っ黒だった。陰湿に下級貴族、部下をイジメて、何人も病気、左遷、自殺に追い込んでいる。
「誰から見ても、あの男は地獄に叩き落とすべき者だ。ならば、有効活用するべきだ」
「……」
「それとも、更生を促すか?」
ヘーゼンの問いに、ヤンは悔しそうに首を振る。どう頑張っても、ケッノにかける時間の対価が得られることはない気がする。
以前の、シマント少佐の時のように。
「わかればよろしい。いいか、ヤン。僕の考えは変わらない。無能のクズを徹底的に蹂躙し、有能な者の実力を伸ばす。そうすることで、社会的に与える影響も好転していくはずだ」
「……はい」
いつからだろうか。ヘーゼンの思想が、ある程度理解できるようになってしまったのは。子どもの頃から持っていた理想が、今ではなんでそんな風に思えたんだろうと不思議になるくらいに。
「これは、今後の育成にも使えるから体感で覚えて、実践しなさい。まあ、簡単に言えば『見せクズ理論』だな」
「……っ」
そんな暴論、初めて聞いたが。
「……」
「なるほど、いわば、見せパン理論のようなものですな」
「違う」
本日3月28日にヤングエースUP様よりコミカライズの連載が始まります! ぜひぜひ読んでみてください!




