目的
特別顧問補佐のケッノは、夢を見ているのだと思った。目の前には、バリゾがゲロの海で、赤ん坊のように、泣き叫んでいる。
あの強く、いつでも威張り散らしていた男が。
「っくぅ……ひだぁああいっ゛」
しかし、同時に自らの砕け散った拳は語りかける。夢じゃない。耳から滴り落ちる血は、ガンガンと照りつける頭痛は、嘘を許さない。目の前の景色は本物である。
そして。
そんなことなど全く無視して、ヘーゼンは会話と言う名の口撃を続ける。
「さて。と言うことで、ケッノ特別顧問補佐。あなたが残した蓄音器の声、聞きますか?」
「や、やめてくださいやむしろ絶対にやめて下さーー」
『お尻お尻お尻お尻ーーーーー! むしゃぶりつくにはお尻に限るいやむしろお尻しかないーー!』
カチッ。
「……」
「……」
・・・
「だあはおぎゃはいいいいいい!?」
土下座をかましていたケッノは、信じられないような表情を浮かべながら、よくわからない擬音を発する。
いや、頼んだじゃん。
やめてくれってお願いしたじゃん。
「別に君の性癖を否定することはしないが、強要するのはよくないな。相手が『やめて』と懇願してるにも関わらず、強行されたら辛いだろう?」
「……っ」
辛い。
いやもうむしろめちゃくちゃ辛い。
「まあ、風俗接客業のプロが嫌がるのだから、相当なものだろう。被害届も多数出てるみたいだから、報告書とすべて合わせて帝国に提出しようかね」
「ひ……ひぃやああああ! いやだやめて! 死ぬ……死んでしまう! 死ぬどころか、家族もろとも……いや、一族もろとも」
「仕方ないね」
「……っ」
仕方なくない。
いやむしろ絶対に仕方なくなくない。
「お願いお願いお願いお願いいやむしろお願いします! どうかどうかどうかどうかむしろどうか完全にお願いしますーーーーー!」
ケッノは土下座の姿勢から地を這い、ヘーゼンの裾を引っ張りながら懇願する。彼もまた、バリゾに付き従い、夜の店を練り歩いていた。こんなもの出されたら、面子を重んじる一族そのものが吹き飛ぶ。
「やだ」
「……ぐふぅ! そこをなんとかなんとかなんとかいやむしろそこをなんとかしてくださいいいいい!」
ケッノは引かない。引かずになお、お願いを繰り返す。引くわけにはいかない……ここで引くわけには絶対に。
まず、この国は滅亡する。それは、もう確定的な未来だ。生き残る道は、いち早く帝国に帰って、我関せずを貫くしかない。
バリゾは、ここの責任者だ。イリス連合国への宣戦布告という暴挙を止められなかった罪で、あのゲロまみれ無能は、確実に死刑。
問題は、責任者以外の処遇だ。
すべての罪をバリゾになすりつければ、まだ、生き残る道はーー
「ないよ」
「……っ」
目の前にいた悪魔が、すべての心を見透かしたように答える。
「エヴィルダース皇太子殿下は、絶対に許さないだろう。ノコノコと帰れば、君たちは絶対に死刑になる」
「ひぐぅ……」
「あの方は、面子を何よりも重んじる。ノクタール国の暴挙を許し、おめおめと敵前逃亡をするような恥知らずの帰国など、まず許さないよ」
「ひっ……ひっ……ひっ……」
なんだこいつは。一抹の希望すら、粉々に潰しにかかる。悪魔だいやむしろ悪魔中の悪魔もはや悪魔でしかない。
「これまで見せた報告書、蓄音器などは、あくまで副次的なもの。確定的な君たちの死刑に、彩りの華を添えるくらいのものだ。まあ、名門一族が凋落したりとか。家族が全員親戚から後ろ指さされるとか」
「……っ」
彩りの華を添えるというより、口に漆黒の毒草をぶち込まれてるような気分だ。
「っと……すまない、一つ訂正する。バリゾ特別顧問とケッノ特別顧問補佐は一族奴隷。家族は死刑か」
「……くえええっ」
「ごめんごめん、ついね」
「えええええええっ……えっ……えっ……」
謝る箇所が、圧倒的にそこじゃない。そして、軽いテンションで、『つい』訂正していいものじゃない。
「なんで……なんでこんなことをいやなんでむしろこんなことをぉぉぉあああああー! あああああー!」
「なんで? そんなこともわからないのか?」
ヘーゼンはフッとため息をついて、その漆黒の瞳で見下してくる。
「勝つためだ。君たちの生き残る唯一の道は、もうイリス連合国に勝つしかない」
「ひぐぅ……」
そんなの。事態を把握して、最も先に消した選択肢だ。絶対に勝てない。勝てるわけがない戦に、なぜ挑もうとするのだ。
できる訳ない。
いやむしろ、できる訳がなさすぎる。
「勝てる訳……こんなの勝てる訳ないでしょーーーーーーーーん! 勝てる訳がーーーーーーー! 勝てる訳がないいやむしろ勝てる訳がない不可逆的にーーーーーーーーー!?」
「じゃ、帰れば?」
「……っ」




