指導
*
特別顧問補佐のケッノは隠れていた。確実に、自身の存在をなかったものとして、息をすることすらソーっとしていた。
それなのに。
「……」
「……」
・・・
「あれ、いないんですか?」
「……っ」
ヘーゼンはこちらをジッと見ながら尋ねるが、ケッノは全力で目を背ける。自分は空気だ……空気……空気……空気……くうーー
「……おい」
「ひぎいいいいっ……」
気がつけば、薄い毛根をガンづかみして凄まれていた。
「呼んでるんだから、返事してくれませんかね? ケッノ特別補佐官」
「き、き、貴様ぁ……こんなことしてただで済むと思うなよいやただで済むはずなどないぞ!?」
反射的に強がりが口に出る。この男は、弱みを見せたら終わりだ。自分は、バリゾ特別顧問のようには絶対にならない。
「へ、ヘーゼン=ハイム。貴様……今、我々は貴様よりノクタール国での地位は上なのだぞ? そんな我々に向かって……」
「さっきまではね」
!?
「ど、ど、どう言うことだ!?」
「言ったじゃないですか。宣戦布告を行ったって。その瞬間、ジオス王の名の下に緊急体制が敷かれました。なお、私はノクタール国の元帥に任命されてます」
そう答え、文章も渡す。そこには、『宣戦布告文書』が公式にイリス連合国に到着した際、ヘーゼン=ハイムを元帥に任命する』と書かれていた。
元帥はノクタール国の軍事、文官の最高位で、王に次ぐ地位である。
ケッノはブルブルと震えながら、
「かっ……勝手勝手勝手勝手! 勝手すぎるいやむしろ勝手がすぎるーーーーーー!」
「勝手もなにも、ノクタール国所属でもない将官に情報を漏らす訳ないでしょ。さっきから言ってますが嫌なら早々に任命されればよかったんです。と言うかお前……」
ヘーゼンは更にギューンと髪をガンづかみして、ケッノに向かって鋭い瞳を向ける。
「事態を把握したのなら、敬語使えよ」
「……っ」
その圧倒的な手のひら返し振りに、ケッノも、他の帝国将官たちも、まず間違いなくサイコパスの部類だとみなした。
「とは言え、ほーんとに助かったよ。君たちが大臣たちに執拗な嫌がらせをしてくれるお陰で、宣戦布告案の賛同が集まった。過半数は必要だったから」
「……っ」
すべて手のひらの上。完全に泳がされていた。
「貴様……正気か? いや、貴様ら、正気かいやむしろ正気じゃなさすぎる狂ってる! イリス連合国が本気を出せば勝てるはずなどない!」
ケッノはビシッと指をさす。勝てる訳がない。規模、人材、兵数、全てが圧倒的に上の相手だ。正面からまともに立ち向かってーー
ボキッ。
「ふんぎゃあああああああああ! ああああああああああええええええっ!?」
ケッノは逆方向に折れ曲がった指を見て、叫ぶ。この狂人、瞬時に指を折りにきた。なんの躊躇もなく、人の指を。まるで、ドアノブを回すとかのように。
「上官に指さしちゃ駄目だよ? 敬語もキチンと使わないと。今は、緊急体制だから軍隊式で行く。君の小さな小さな脳みそに、深く深く叩き込んでおきなさい」
「いだぁい……いだぁひぃいいい!」
痛がるケッノに向かって、更に毛根をガンづかみして、ヘーゼンは鋭い瞳で睨む。
「でも、嫌がらせならさ。もっと、徹底的にやるべきだったね。なぜ、日和見の大臣たちがこの無謀な提案に賛同したと思う?」
「ひぐぅ……知らないそんなこと……」
メキメキメキメキ……バグギャッ!
「あんぎゃあああああああああいいいいいぎいいいいいいいいいっ!」
今度は、ケッノの指を4本。軽く握手をするような要領で、握り、折り、潰した。すでに、骨は原型を留めていない。
「敬語……使わないとダメじゃないか。ねっ?」
「ひゃはははほぃ! はほほびぃ……」
「……聞こえないのか?」
ドスッ。
「ぐぎゃああああああおん! あおん! あおおおおおおとおとおおん!」
瞬間、ケッノの耳に親指が詰め込まれた。ぶっしぁと、血が飛び散る。顔を信じられないほど歪め、ギュインギュイン身体をよじろうとするが、髪を掴まれているので身動きが取れない。
「これで、ちょっとは聞きやすくなったかな? 返事は?」
「はひぃ……はひぃ……や、めてぇえええん! やめてくださいひいいいぃん!」
「よくできました」
「……っ」
ヘーゼンはニッコリと笑いかける。なんで、そんなに無邪気な顔ができるのか、ケッノは自身の目を本気で疑った。
「では、再度聞くよ? なんで、大臣たちが宣戦布告なんかの無謀な提案に賛同したと思う?」
「ひぎぃいいい……な、なにか勝算が……ですか?」
その答えに、ヘーゼンは小さく首を振る。
「そんな訳ないだろ? 彼らにはそんな頭も、冒険をしようなどと言う気概もない」
「じゃ……なぜ……」
「大臣たちはさ、君たちよりも僕の方が怖かったんだ。だから、取るに足らない嫌がらせをしていた君たちじゃ、力不足だと思ったんだよ」
「……っ、そ、そんな理由で?」
ケッノにはまるで理解できなかった。怖かった? 冗談じゃない。こんな馬鹿げた選択に対し、怖かった? いや、普通に考えればあり得ない。
国は滅亡する。国民もすべて奴隷にされる。ノクタール国の兵は皆殺し。もちろん、大臣たちなど一族もろとも根絶やしにされる。
だが。
「近い恐怖は、遠い死に勝る」
ヘーゼンは、そう答え。
「君たちも、すぐにわかるようになる」
と綺麗な笑顔で嗤った。




