自尊心
*
この瞬間、バリゾは覚めた。ノクタール国に赴任してきた1ヶ月間。この日々は、どうかしていた。振り返ってみれば、そう思う。
現に、この老人にそんな趣味はなかった。もちろん、帝都でも飲むが、深酒で暴れる程度。問題はたびたび起こしていたが、極めてアブノーマルな店は、『さすがに』と敬遠していた。
「こ、この店は……ワシにはなぁ」
現に、酔っ払った状態のバリゾは首を横に振った。だが、隣にいたコーディネーターのアーナルドが、優しく肩を叩く。
「溜まってるんでしょう?」
「……っ」
その一言に。バリゾは全てを見透かされているようで、ゾクッとした。天空宮殿での日々。自分は、指導をしてやろうとした。至らない部下だから。至らない部下ばかりだから。
だが、自分の言うことを聞く部下など1人もいない。
対面で話している時は、さも真面目な表情を浮かべているが、席に戻る時には、さも見下したような薄ら笑いを浮かべている。
上官は自分の席を通り越して、部下に直接指示をする。部下は自分がいない時に、こっそりと上官に相談する。
なぜ、誰も自分に聞きに来ない。助言を求めに来ない。なぜ、自分を無視するのだ。なぜ、自分を通り越してやり取りをする。なぜ、なぜ、なぜ。
まるで、自分が存在していないかのように。
「ありのままに」
「えっ?」
「ありのままの、姿を見せるのです」
アーナルドはそう言って。上のシャツを脱ぎ捨て、下のズボンをギューンと下げ、まるで白鳥が羽ばたくように身を投げ出し、仰向けに寝っ転がり両足をパカっと開く。
「安心してください……履いてますよ」
それは、オムツだった。
「あ……う……」
この男は、なんと、あられもない姿を晒しているのだろう。赤ん坊スタイル。この男には、羞恥心は存在しないのか。己を誇示する男としての自尊心は。そもそも、成人……大人としての尊厳は。
部下に対する上官としての自尊心。上官に対する部下としての尊厳。そんなことで悩んでいる自分が、ちっぽけに見えるほどに。
「ありのままの自分になるのです」
「……っ、あう……あうぅ」
差し出されたオムツとガラガラ。『赤ちゃんになれ』とこの男は言う。自尊心、羞恥心、見得、尊厳、すべてのしがらみを捨て、母親という絶対的な慈しみに身をゆだねるのだ、とこの男は言う。
「ここは聖域です。帝国ではないのです」
だから。
「安心してください。履いてください」
・・・
最終的にバリゾは犬と化し、ちんち○をかましていた。
*
光速で駆け巡る走馬灯。一方で、帝国将官たちからの視線。王からの視線。大臣たちの視線。そして……ヘーゼンからの視線。
「随分と特殊なプレーをお楽しみだったのですね」
「……あぶ……あぶぶぶぶ」
ヘーゼンは、ゲロまみれの床をへたりながら後ずさるバリゾを、ゴリッゴリに見下す。そして、手に持っていた大きな螺貝のような形の器具を説明する。
「これは、蓄音器という魔道具です。便利なもので、話した言葉を溜めて、吐き出すことができるんです。こんな風に」
ヘーゼンがカチッと音を鳴らすと、『こんな風に』と大きな螺貝から同じ声が出る。
「2年前に開発しまして、音質も録音機能も向上してきたので、そろそろ帝国の学会で発表しようと思ってたんです。ちょうど、公設書記官の証言と一致すれば信憑性も増すでしょう?」
「はぐぅ……しょ……しょな……しょんな……」
バリゾは涙目になりながら、犬のように懇願の表情を浮かべる。一方で、ヘーゼンは報告書を一枚ずつめくりながら顔をしかめる。
「それにしても。緊急本部を立ち上げたくらいだから、随分と張り切って仕事をするのかと思いきや……酷いですね」
「……うはっ……く」
ヘーゼンは老人の髪をガンづかみして睨む。
「ひっ……ぎぃぃいい!?」
「止められたんですよ? あなたが、普通に赴任して、普通に任命式を受ければ。でも、あなたは止められなかった。帝国の……エヴィルダース皇太子は、これについてどう思いますかね」
「ぎいいいいぃ……ぎいいいぃああ……ああ、あああああーー」
バリゾは泣き叫ぶ。髪を掴まれ、痛みに身を捩り、現実から目を背けるために。自尊心も尊厳も見得も、すべてのしがらみを打ち砕かれ。
目の前に現れた悪魔の前に。
「あなたが、任命されるまで4週間。その呆れた仕事ぶりと恥ずべき豪遊っぷりを報告すれば、あなたがいかに無能で、怠惰で、価値のないクズかってのはよく伝わると思いますよ」
「あぐぅ………あああああああええええええん、あああええええええあんええんえん」
どれだけ泣き叫んでも。いや、泣き叫べば叫ぶほど、目の前の悪魔は追撃してくる。
「まあ、これは私個人の感想なんで、あなたはあなたで主張すればいいんじゃないですか? ハメられてノクタール国の暴挙を許してしまったって」
「あえええあえええあえあえあえあえええええん! あえええええええんえんえんあえええええええええええん!」
誰も信じる訳ない。誰も守ってくれる訳がない。貴族は面子と看板の商売だ。こんな証拠を暴露されれば、今の地位どころか名門としての一族の評判が地に落ちる。
バリゾは赤ん坊のように泣き叫び、ゲロが飛び散った床をゴロゴロと転がる。
「……っと、他の帝国将官たちの分もありますから。多かれ少なかれ準備してますので、楽しみにしててくださいね」
「「「……っ」」」
ヘーゼンは歪んだ笑みを浮かべ。
帝国将官たちは一同ゴキュンと喉を鳴らす。
「まあ、あなたたちの今後の仕事ぶりを見させてもらって、出すか出さないかは決めさせてもらうとして……」
「っと、ケッソ特別補佐官。あと、あなたぐらいはやっておきますか」
「きゅっ……ほっ!?」




