弟子
*
「あとはよろしく」
「ちょ、ちょ待っ……」
そう言い残し、颯爽と去って行こうとするヘーゼンをラスベルは慌てて引き留める。
この状態で渡すの!?
先ほどの会談は、すべて聞いていた。確かに、ヘーゼンの提案は驚異的で、戦略的で、蠱惑的だった。しかし、斬新な提案は総じて否決されやすい。
ミセスヴァン大臣も、かなり食いついていたが、当然、ゴレイヌ国の大臣はあの老人だけではない。特に、古参の者はどうしても保守的だ。彼らを説得することが、この交渉をまとめる肝だと思う。
しかし、呼び止められたヘーゼンは、キョトンと、不思議そうな表情を浮かべている。
「どうした?」
「あ、あの、まだ交渉自体は全然煮詰まってないと思うんですけど」
「えっ? それをするのが君の役割じゃないか」
「……っ」
ラスベルはそのつぶらな瞳を、ガン開きする。
「僕は、ただ結果を早めただけだ。否決されるにしろ、可決されるにしても判断は早い方がいいからな」
「くっ……」
それって、むしろマイナスなんじゃ。
「10日だな」
!?
せ、制限時間まで。料理店で追加注文を頼むがごとく簡単に。話せば話すほど、高まっていく難易度。
「……」
ラスベルは段々不安になってきた。想定では、60日以上を掛けて勝算は5分というところだったが。
「も、もし否決されたら?」
「お疲れ様。その足で、テナ学院に帰っていい。今後の君の学生生活が有意義であるよう祈っているよ」
「……っ」
めちゃくちゃ、ドライ。屈託のない笑顔で、めちゃくちゃドライなことを言われた。
「まあ、僕の見込みだと成功するよ。僕は君の才覚を買っているからね。ただ、才覚だけの者は僕の弟子としては不要だ。それならば、むしろ、才覚が薄く、努力する者に機会を与えるね」
「……」
要するに、まだ、お試し期間が継続中なのだろう。話を聞くうちに、ラスベルは落ち着いてきた。いや、むしろ俄然ファイトが湧いてくる。
「厳しいのは、望むところです。どんな試練だって乗り越えて見せます」
「いい気概だ」
ヘーゼンはニヤリと笑う。
「でも、なんで急に帰国することになったんですか?」
「そりゃ、君が弟子に志願してくれたからじゃないか」
「……」
その答えに、ラスベルは首を傾げる。弟子と帰国、どことなく結びつかない因果関係だ。
「それ、関係ありますか?」
「あるよ。弟子ってことは、僕の教えになんでも従うわけだから」
!?
「な、なんでも?」
「ああ。僕の弟子に期待することは、天才の枠組みを越えるということだ。それなら、少なくとも百の死戦と千の修羅場は越えてもらわないといけない」
「……っ」
超多い、とラスベルは単純に思った。
「ナンダルの護衛も君の責任でしっかりとやってくれよ」
「……私の記憶が確かなら、師は私とナンダルさんの護衛もしてくれていたと思ったんですが」
「ああ。でも、君は弟子だから」
「……っ」
弟子って、そんなに都合のいい言葉だったっけ、とラスベルはアグアグする。
「ヤンは戦闘能力が皆無だから、仕方がない。だが、君は魔法使いだ。自分の身など当たり前。最低限、キーマンの護衛などは務めてもらわないと」
「も、もし、守れなかったら?」
「ナンダルが死ぬ。もちろん、その時は、即刻テナ学院に帰ってもらう。遺族には、キチンと詫びてくれよ。『私が魔法使いとして至らないばかりに、死なせてしまって、本当に申し訳ありませんでした』って」
「……っ」
当然だが、重い。そんなことを想像するだけで身体が震えた。そして、そんな心持ちを毛ほども理解することなく、黒髪の魔法使いはラスベルの肩をポンポンと叩く。
「いや、助かったよ。君のお陰で、もう1人の不肖の弟子の様子も見に行ける」
「い、今からヤンのところに行くんですか?」
「僕の見立てだと、到着までにはドルカ族との交渉を終わらせていると思うが」
「そ、そんなバカな」
「バカなんだよ、あの子は」
「……」
どことなく楽しげな様子で、ヘーゼンはラスベルを残して、ドルカ族の集落へと向かった。




