人生
*
こんなの馬鹿げていることがあるだろうか。
麒麟児。天才。才媛。自身の才能を妬む言葉は、嫌になるほど浴びせられた。ラスベルは、そのたびに少し首を傾げ、困ったように笑った。
才能について論じるのならば、少なくとも自分と同じだけの努力をするべきだと思った。
大陸最高の魔法使いになるために、ものごころついた頃から弛まぬ修練を重ねていた。1年間365日、24時間、そのためだけに生きてきたと言っても過言ではない。
そうなろうと努力してきた。
しかし、目の前にいる魔法使いのそれは、理不尽だ。
仮にラスベルがその着想を得たとしても、理論にし、研究し、実践するのに何年……いや、何十年かかるだろうか。それに一生費やしても惜しくはないとすら感じるだろう。
こんなに理不尽なことがあるだろうか。
*
「気がつきましたか?」
「はっ!?」
気づけば、そこは見知らぬ天井だった。そして、側にいたのもまた、見知らぬ人だった。
「あなた……は?」
「おっと、申し遅れました。私は、ヘーゼン様の第2秘書官、モズコールと申します」
深々とお辞儀をして、ニッと歯を見せて笑う。
「第2秘書官……」
「ゴレイヌ国の要人接待を命じられましてな。やれやれ、我が主人は人使いが荒い」
「……」
余裕があるような佇まいが、印象的な紳士だ。傷心のラスベルは、やり場のない感情を抱えたまま、場を繋ぐための質問をする。
「あなたも……なにかしらの才能が買われて秘書官になったんですか?」
「才能? いえ、私などは非才の身で」
「とぼけないでください!」
ラスベルは声を荒げる。心がザワめいて、とてもではないがそんな謙遜を聞く気になれなかった。
「あのヤンって子と同じ秘書官なのに、なんの才能もない訳がないじゃないですか!?」
あの幼女は紛れもなく天才だ。そして、あの怪物を前にしても堂々と議論ができるほどの。同じ立ち位置の者が、なんの才能もない訳がない。
モズコールはしばらくラスベルの方を見つめ、やがて、表情をフッと綻ばせる。
「そう興奮なさらないでください。お身体に障りますから」
「……」
「才能ですか。ふふっ……」
「な、なにがおかしいのですか?」
「冷めますよ、ダージリンティーが」
「……」
手の先には、ティーカップが置いてあった。ラスベルは気を落ち着かせて、口をつける。
「美味しい」
「隠し味にアップルを入れてるんですよ。ほんのすこーしね」
「……ふふっ」
紳士の執事が悪戯っぽい微笑みを浮かべると、ラスベルの表情が思わず綻む。
「懐かしいですね」
「えっ?」
「私もね。秘書官に雇われた時、『なんの能力を買ってくれたのか?』って問いかけたことがあったんですよ」
「……ヘーゼンさんはなんて?」
「残念ながら、私の望むことは言われませんでしたよ。正直、不本意でした」
「……」
「しかし、それでも。私には娘がいましたから。なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃという想いで必死になって働いてきました」
「……」
ラスベルは思わず下を向く。そうだ、こんな人もいるのだ。働くモチベーションは人それぞれだ。誰もが望む才能を持ち、望む仕事につける訳ではない。それなのに、自分はなんて贅沢な悩みを持っていたのだろう。
「勘違いしないで欲しいのですが、私はこの仕事には満足しています。やりがいというのも、徐々にですが感じてきました」
「……」
「特に、ヘーゼン様には素敵なお母様もいますし」
「まあ」
ラスベルは思わず微笑んだ。家族ぐるみの良好な付き合いなのだろうか。恐らく、この人はその人柄を買われて雇われたんじゃないだろうか。
ヘーゼンがこの執事を秘書官に置いた理由が、なんとなくわかる気がした。
「あの方は決して既存の才能だけを見ておりません。むしろ、隠れた特性を見つけ、伸ばし、時に厳しい鞭を、時に甘い飴をくださいます」
「……」
見ている視野が違うということか。魔法という一点に囚われすぎて、物事を狭く見ていたのかもしれない。
「……私もまた、ありのままのあなたを見ていますよ」
「えっ?」
「特に、あなたのようなキラキラした新人嬢が入ってくる時は、いつも心が踊るのです」
「……ふふっ」
おどけたように笑う表情が本当に優しい人なのだと思った。
その時。
ヘーゼンが部屋に入ってきた。
「モズコール……」
「お久しぶりです」
「約束の時間よりも数時間早いが」
「早く着いたので。新人嬢が入ったということで、少し様子を見てました」
「……ちょっと、こっちに来て」
黒髪の魔法使いは手招きしてモズコールを呼び出し、ボソボソっと耳打ちをする。
「はっはっ、してませんしてません」
彼は快活な笑い声をあげなら、爽やかな表情でラスベルに流しウインクをする。
「では、また」
「……」
颯爽と去って行く紳士の秘書官を、黒髪の魔法使いは見送っていた。彼のおどけた仕草を見て。少しだけ肩の力を抜こうと思った。
まだ、人生は始まったばかり。
先はまだまだ長いのだ。
「取り乱して、申し訳ありませんでした」
ラスベルは深々とお辞儀をする。
「……」
「私、少し焦ってたのだと思います。今後は、モズコール様のことを見習っーー」
「彼は変態だから、くれぐれも気をつけてくれ」
「えっ?」




