エマ(3)
「えっ?」
「えっ?」
突然の降格宣告。マルナールは、理解できずに聞き返した。そして、突然の昇格宣告。エマも同様に聞き返す。しかし、ライリー上級内政官は特に感情も見せずに淡々と答える。
「聞こえなかったか? 君が降格をする代わりに、エマを代わりに昇格させると言ったんだ」
「そ、そんな! 私がなにをしたと?」
「逆だ」
「ぎゃ、逆?」
「ここ一年見てきたが、君はほぼなんの功績も残していない」
「……っ」
キビシー、とエマは思った。だが、彼女自身、特に人の仕事を気にする性質ではないが、確かに納期遅れ、書類の不備など目にはついていた。
そのくせ……いや、その分と言った方がいいだろうか。部下や後輩には人の書類には針の穴を通すほどの正確性を求めていた。
それで、功績も残していないとなると、確かに難しいだろうなと思う。しかし、当のマルナールは、やはり、わかっていない。むしろ、心外な表情を浮かべて身振り手振りを交えて反論する。
「そ、それは……私は、中級内政官なので、部下たちの管理をしなくてはいけない訳で。その分、自分の業務が疎かになったといいますか」
「管理? 君がこれまで指導してきたガダメンについては、むしろ成果は著しく下がっているが」
「……っ、そ、それはコイツが無能で」
マルナールは目いっぱいの殺意を持って部下のガダメンを睨む。しかし、ライリー上級内政官は表情を崩さずに答える。
「将官は常にできる部下だけ持てる訳ではない。どう負荷をかけてどう管理を行うかが重要だ。そして、それができていないと言っている」
「だから、育てようとーー」
「だから、育っていないと言っている」
「……っ」
一刀両断。相変わらず怖い上官だ。
「ついでに言えば、忙しいからと言って自分の仕事が疎かになるなんてことは、理由にならない。例えば、エマは君の10倍以上仕事をこなしているが、そのどれもが完璧な出来だ」
「じゅ、10倍って、それさすがにーー」
「事実だ」
「……っ」
マルナールが驚くが、これにはエマも驚いた。今まで、当然のように大量の仕事を渡されて、必死にやってきた。これが、将官のレベルで当然誰もがやっていると思っていた。
「で、ですが、それはライリー上級内政官がエマた……下級内政官を贔屓し、独り占めしているからではないですか?」
相当に心外だったようで、マルナールは、反論する。
「独り占め?」
「こ、言葉の綾です。単なる、イメージですが。その……そう言った風にも見えると思わなくも」
しかし、ライリー上級内政官から厳しい眼光で見据えられ、ボソボソっと、つぶやく。
「仕方がなくだ。君は自分より高家出身の者に対して指導をしない人間性のようだからな」
「わ、私が差別しているとでも?」
「ああ」
「そんなことは、私は断じてしてません!」
首をブンブンと振って否定するが、ライリー上級内政官は更にそれを否定する。
「至るところから、訴えが多いんだよ。君が高家の出身だから泣き寝入りしている者も多かったが、やっと、十分な数と証拠が揃った」
「……っ」
ライリー上級内政官はそう答えて、机に書類の束を置く。マルナールがそれを手に取ると、ワナワナと震えだした。
「それに、性的嫌悪感のある発言も多かった。訴えられでもしたら農務省全体の責任にもなる」
「そ、そんなことはしてません!」
「だから、それ。証拠だ」
「……っ」
ワナワナと震え出していたマルナールの顔が一気に薄紫色に変色する。そんな中、エマがおずおずと手を挙げる。
「あ、あの……私が中級内政官だなんて」
「すまないな。マルナールは無能な部下だが、これも訓練だ。先ほども言ったが、将官というのは、できる部下だけ持てるわけではない」
「……でも」
とてもじゃないが、自信がない。通常、5年以上はかかる出世だ。1年たらずで出世など、かなり異例だ。
どれだけの嫉妬を浴び、どれだけ妬まれることだろうか。そんな視線を感じることはストレス以外のなにものでもない。
しかし、ライリーは首を振りエマの肩を叩く。
「慣れなさい。君のような優秀な者は、部下に自分より歳上で無能な部下たちがつく。それは、どうしようもないことだ」
「……」
それでも、躊躇していると。ライリー上級内政官はため息をつき、話を続ける。
「情報筋の話だと、君の同僚であるヘーゼン=ハイムは、すでに、ガダール要塞、ロギアント城を落としたそうだ」
「えっ!」
「知らなかったのか?」
「は、はい……ロギアントの事は」
ノクタール国という極小国に左遷させられ、1ヶ月も経っていない。移動距離を含めると、2週間足らず。ロギアント城はイリス連合国からの超重要拠点だ。それをこんな短期間で切り取ったと言うのか。
そして、そんな重要なことを手紙にも書かないなんて。
「紛れもない化け物だな。上級内政官の立ち位置ながら、軍神ミ・シル級の活躍だ。いずれ、我々のような時代遅れの魔法使いは、君たちのような時代を切り開く若者の後塵を拝すことになるだろう」
「……私は」
ヘーゼンはもちろん、そうだろう。でも、自分はただの凡人だ。そのことは、テナ学院の頃からわかっている。
そんな想いを察するように、ライリーはエマに向けて初めての笑顔を浮かべる。
「自信を持ちなさい。私が見た中でも、とびきり優秀な部下だよ君は」
「……」
「あとは、自信だ。ヘーゼン=ハイムという化け物に死ぬほど仕込まれたのだろう? その過酷な日々に、もっと自信を持ちなさい」
「……」
テナ学院で過ごした日々。確かに、将官になっても、あの時より忙しく、苦しく……そして、輝かしい時はなかった。
やがて、エマは強く頷いた。
「……わかりました。中級内政官、拝命します」
「うぐっ……あぐぁ……うああああああああああああああ」
覚悟を持って答えた瞬間、マルナールが膝から崩れ落ち、大声で泣き始めた。




