エマ(2)
「なにをボーッとしてるんだ?」
そんな時、上司のライリーが声をかけてきた。この人は、下級貴族出身でありながら、自身の才覚のみで上級内政官にまで昇進った生粋の叩き上げである。
下級貴族出身の者は、上級貴族に忖度する性質だが、この人は違う。誰にでもフラットに厳しく接する生粋の職業人だ。
「も、申し訳ありません」
「頼んでおいた仕事はやったのか?」
慌ててお辞儀をするエマに対し、ライリーは、いつものように厳しめな表情で尋ねてくる。
「は、はい。今から、提出します」
「……すべてか?」
「あの、そうですけど」
膨大な資料を上官の机に置きながら、エマは首を傾げる。
なんでだろう。
ライリー上級内政官には、こう言うことが、よくある。与えられた仕事は確かに量が多い。だが、毎回、期限にはキチンと間に合わせているし、内容について大きく指摘されたこともない。
「……」
今回も、いつも通り厳しめな表情で資料を高速でめくっている。ただ、それで何か言われるかと言えば、何も言われない。他の、例えばマルナールやガダメンなどは、結構な頻度で指摘を喰らうのに。
指摘するほどの価値もないのだろうか、と心配になってきた。
一方で。後輩いびりに飽きたのか、マルナールはチラチラと格好をつけながら、説教相手のガダメンに笑顔を向ける。
「本当に、私が寛容でよかったな。こうして、お前みたいな無能を見捨てずにいるのだから」
「は、はい」
「はい、じゃ・ねー・だろ! そこは、申し訳ありません、だろ? まったく、使えねーヤツは、気も遣えねーなぁ!」
マルナールは、下を向いている後輩の頭をペシペシと叩く。
「も、申し訳ありません」
「……」
なんだか、いたたまれなくなってきた。エマは、チラッとライリーの方を見るが、彼はそんなことには構わずに、ひたすらエマの提出した資料を眺めている。
「本当に、お前は使えない男だよ。エマたんの方が100倍マシだよ。 ねー、エマたーん」
「……っ」
コメントがしづらい。これみよがしに、媚び、あわよくば愛人にしようとでも考えているのだろうか。その気持ち悪い笑顔と、『たん』付けにゾワっと悪寒が走る。
「い、いえ。そんな私なんて」
「いやいや。女なのに、君は本当に十分な仕事をやってるよ。女で、ここまで優秀なヤツはなかなかいない」
「は、はぁ……」
恐らく褒めていると思っている。でも、そもそもこの発言が『女』というものを見下していることに気づいていないのだろうか。そんなこと言われて、嬉しがる女性なんてまずいない。
ヘーゼンなら、瞬殺だろうなとしみじみ思った。
そんな中、突然ライリーが席から立ち上がる。
「マルナール。ちょっと来てくれ」
「はい! どうしましたか!?」
勢いよく返事をして、マルナールはすぐさま上官の側まで駆け寄る。上には媚びて、下はいびる。この人は天空宮殿にいる高家の将官の典型である。
「……」
こんな人にだけはなりたくないなぁと、エマはフッとため息をついた。
「なにかご指示でしょうか? なんでもおっしゃってください」
「……なんでもか?」
「はい! 私は、ライリー上級内政官をこの世で一番尊敬しておりますから」
「……そうか。わかった」
「……」
絶対に嘘とわかる嘘を、この人はなんでつくのだろうか。そして、この人がそんなおべっかが一番嫌いだということも理解できないなんて。
「このたび、エマを中級内政官に昇格させようと考えている」
「え、エマた……初級内政官をですか!?」
マルナールは、目を大きく見開いて驚く。そして、突然宣言された本人――エマも同様に驚いた。
「不満か?」
「いえ。その、彼女は確かにドネア家のご令嬢ですが」
「仕事に家柄は関係ない」
「……っ、それはもちろん」
慌ててマルナールが手のひらを返す。
「ただ……まだ、彼女には早いのでは? 女ですし、荷が重いと思うんです。彼女のために、もう少し下積みをさせては?」
殊更に『彼女のため』を強調し、マルナールは深刻な表情を浮かべる。気に入らないことは、その態度でわかった。しかし、無理もない。
マルナールは、10年以上この農務省に従事して、やっと中級内政官に昇格したところだ。それを、入省して1年未満の新人がそんな異例の出世を遂げるなんて。
「性別は関係ない。女だろうが、優秀な者は優秀だ」
「し、しかし! まだ、新人ですし。そもそも、中級内政官の枠は1部門4人と決まって――」
「そうだ。だから、マルナール。君は降格だ」




