抹消
「売っ……た?」
「ああ」
「……はっ……くっ」
チンゴックは、まるで、悪い夢を見ているかのようだった。昨日は、深酒だったからか……まだ、ベッドに眠っているのかもしれない。いや、そうであってくれ。何度も何度もそう願った。
しかし。
縄でキツく縛られたこの痛みが。硬く冷たい絨毯の感触が。人生最悪の屈辱を受けたにも関わらず、一向に変わらない景色が、現実から逃れることを許さない。
そして。
絶望を覚えるチンゴックを。
黒髪の男は、清々しい爽やかな笑みで出迎える。
そして、現実だと思い知った瞬間に、母親の愛しき顔が脳裏に浮かぶ。
「な、な、なんでぇ!? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでええええええええっ!?」
「わからないのか? 王制とは優性思想だ。その根幹は優秀な子孫を残し、劣悪な遺伝子を排除し続けることが前提だ。必然的に、優秀な親を持つ子は、優秀であらねばならない」
ヘーゼンは髪をガン掴みして、チンゴックの目を射抜く。
「ひぐっ」
「それなのに、お前みたいな無能なクズが生まるなんてことはあってはならないんだ」
「あ、あってはならないって……」
そんなこと言われても。
そんなこと、言われたって。
「だからさ。お前は、その出自を否定されなければならない」
「……はっ?」
いちいち、言っている意味がわからない。なにを言っているのか、まったくと言っていいほど。チンゴックが王位継承権第一なのは、公然とした事実だ。完全不可逆的であり、絶対に。
しかし、黒髪の男は首を振る。
「お前はマラデカ様の子ではなく、淫乱女が不義を行った末に生まれた出来損ないでなければならない」
「……っ」
そんな馬鹿な。
「王制の仕組みは、そう言うことだ。劣悪な子は、常に排除の対象となるべき。だからこそ、排除されないための不断の努力が必要なのだ」
「ひぐっ……ひぐぅ……」
そんなの。
そんなこと、今更、言われたって。
「王が、特権だけを享受できる軽いものだとでも思ったか? そう思ってる時点で、厳しい争いから排除されているのだ。残念だったな」
「えぐっ……えぐぅ……」
言われなかった。
そんなこと、一言だって、言われなかった。
「むしろ、それが歪められた時、初めて国家の崩壊が起こる。だから、事実はどうあれ、お前はノクタール国の歴史から抹殺されなければいけない」
「ひぐぅ……」
酷い。酷過ぎる。
「……と、言う前提で事実を創り上げようと思っていたが、いざ調べようと思ったら、インラインの浮気相手の証言が出るわ出るわ。これ、証拠だから。よく味わえ」
!?
ヘーゼンは、丸まった洋皮紙をチンゴックの喉に思いきりねじ込む。
「うぐおおおおおおおおええええええええっ!? ごええええ! ごええええええええええええええ」
長く丸まった固い物体を強制的にインされたチンゴックは、その喉ごしに耐えられずに、嗚咽を漏らす。
「まあ、しかし。自分に性的な魅力もないのに、迫らられる方も辛いな。ほぼ全員が王の妃という権力を笠にされて、半ば強制的に性行為に従事させられたというのだから、恐ろしい話だ」
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
「……」
何度も何度も頑なに否定するチンゴックに対し、ヘーゼンは笑顔で答える。
「嘘じゃないよ」
ニッコリ。
「……っ」
「むしろ、私的には合点がいった。貴様みたいなクズが生まれる土壌は、先天的にも後天的にも整っていたというのだから」
「……母上は」
「だからさ。売ったんだよ」
「……どこへ」
「心配しなくいでいい。そこは、私の有能な執事がセッティングしてくれたから。なあ、モズコール」
「はっ……ご安心ください」
黒髪の男の横で、品の良さそうな執事がサッとお辞儀をする。
「彼はへん……性的な調整において、右に出る者はいない。世の中需要と供給がある。王宮内では嫌がられるほどの性的嫌悪感の持ち主でも、いい供給先を探してくれるようだから」
「淫乱な元王の妃。喉から下半身が出るほど欲しがっている愛好者がいっらっしゃいますので」
「……っ」
ガッチガチの変態。
こんな生粋のイカれ執事に、我が母が。
「……と、という訳で、安心しろ」
「ふ、ふざ、ふざふざふざけるなーーーーーーー!? 母上を……母上をぉおおおお!」
「……」
黒髪の男は、再びチンゴックの髪をガン掴みして迫る。
「被害者面するなよ? ゼルーサ様の精神が蝕まれたのは、誰のせいだと思ってるんだ?」
「ひっ……そんなの知らない」
「お前の母親だよ。異常なほどしつこく、異常なほどの粘質的な嫌がらせのおかげで、療養を余儀なくされたんだ」
「嘘だ……嘘……」
「嘘な訳ないだろう?」
「……父上……ちち、うえ……ち、ちちっ……うえぇ……」
泣きながら。チンゴックは、何度も何度も父親のことを呼ぶ。
嘘だ。これは、夢だ。自分は王であるマラデカの息子で、次期王子だ……何度も何度もそう言い聞かせる。
「はぁ……どうします? マラデカ様」
黒髪の男がため息をついて、視線を移すと、そこには見慣れた父親が立っていた。
「ち、父上! 父上だ! 父上!? ちちうえええええっ!」
「……」
「お前など、息子じゃない」
「……っ」




