血
ジオスは目がおかしくなったのかと思った。ヘーゼン=ハイムの拳から滴り落ちる血。顔面の形が変わるほど殴られて、ピクピクしている父。
「……」
しかし、何度も目を凝らしたところで、見える光景は同じだった。そんな中、ヘーゼンは血塗られた手で地面に落ちていた王冠を拾う。
「ああ、ジオス王。呼びに行く手間が省けました。ちょうどいいので、これから戴冠の儀を執り行いましょうか」
「ど、どう言うことか……まったくわからないのだが?」
「おっと、失礼しました。そこのマラデカ王にお願いしたのですよ。『ノクタール国のために、即座に王の座を退いてください』と。苦渋の決断だったと思いますが、強く説得しまして。最後には納得して頂きました」
「……っ」
物理的な苦渋。
物理的な説得。
「こ、こんな暴挙が許されるものか!」
「ジオス王。王たる者は、自らが率先して責任を取る覚悟を見せなくてはいけません。それこそ、血を流すほどの覚悟で」
「……っ」
皮肉にも、ヘーゼンの言葉は、ジオスの想いと見事に合致していた。
ただし、物理的に血を流しているだけで。
「み、みんな……なぜ、声を上げない?」
ジオスが周囲を見渡すと、全員が下を見ながら俯いている。
「無駄ですよ。マラデカ王の派閥は、汚職の証拠を押さえてます。他、帝国に逆らうほどの気概を持つ者もほとんどいない。いたとしても、ジオス王。あなたを慕う者ばかりだ」
「……トマス」
ジオスが震えながら声をかけると、外務大臣は
「申し訳ありませんが、ヘーゼンの言うことは事実です。先ほど、マラデカ王が王位継承を了承し、我らもそれを見届けました」
「……バカな。なぜ」
唖然とするトマスに、ヘーゼンはニッコリと笑顔で伝える。
「正直、もう少しかかると思ってたんですが。『わかった、譲るからもう殴らないでー!』と、泣きながら喚いてましたので、幻滅する者も多かったのでしょう」
「……」
ジオスはマラデカの方を見る。すでに、意識が回復したのか、震えながら気絶したフリをしている。確かに、その様子はもう王とは呼べない気がした。
「さて、ジオス王。今後、私は、あなたの教育係として尽力させていただきます。よろしくお願いします」
「……私は、認めた覚えはない」
ジオスはヘーゼンを睨みつける。
「拒否権などありませんよ」
「……っ」
「勘違いしないで頂きたいのですが、王だからと言って、私が礼を尽くすとは思わないでください」
「……っ」
「王とは正統な血筋であればなれるものです。目の前にいるこの男のような愚王でも、崇拝の対象となる」
「ひぐぅ……」
ヘーゼンは元王のマラデカを足蹴にグリグリとする。
「お、お父様……や、やめろ!」
「この罪人が何をしたのかご存知ですか?」
「……」
「この男は、自身が王になりたいが為にイリス連合国を裏切り、帝国に与しました。それがどのような結果をもたらしたのか。あなたはご存知でしょう」
「……」
「あなたにとっては唯一の父親かもしれないが、ノクタール国の民にとっては災いの元凶。こんな無能が王になったことで起こる悲劇は、計り知れない」
「……やめろ」
ジオスは怒りでどうにかなりそうだった。しかし、ここで殴りかかろうとも、勝てないことは明白。逆らう力もない己の無力さを呪った。
そんな中。
「師! いい加減にしてくださいよ!」
黒髪の少女が突如として乱入してきた。ヘーゼンに臆することなどまったくなく、真っ赤な顔で怒りながら近づいていく。
「ヤン、来たか。早速だが、内政全般をどうにかしてくれ」
「ど、どうにかって! いや、そんなことよりなんのつもりですか!? 一国の王を足蹴にするなんて……」
「先ほど引退したから、もう王ではない。ただの無能だ」
「し、信じられない。敬意とか……いや、その前に倫理観とかないんですか!?」
「あるよ」
「……っ」
端的に述べた言葉に、ヤンと呼ばれた少女は、ガビーンという表情を浮かべる。
「カケラでもある人はそんなことしないんですよ!」
「この無能は、大量の民が死に、兵たちが奮闘しながらも、その現実と失政に目を背け、玉座の間に引きこもっていた正真正銘のクズだ」
「……っ」
「クズに倫理観など不要。もっと言えば、人権を与えるのすら僕の倫理観に照らし合わせると抵抗があるが、そこはジオス王の親であると言う事実を考慮して我慢する」
「ああ、そうでしたね。師のイカれた倫理観では、まともな判断を求める方が酷でしたね」
めくるめく口論に、誰もが口を挟めない。とにかく、ヤンと言う少女がヘーゼンの弟子であることはわかったが。
「そんなことより、早く仕事につけ。ヤン、君の働きが1秒足りとも惜しい」
「だったら、こんなことにかまけてないで、師もさっさと働いてください」
「ヤン、僕は君に指図するが、君の指図は受けない」
「キー! 頼みますから、1秒でも早く死んでください!」
「「「「「「……っ」」」」」」
全員が思った。
超、とんでもないヤツらが来た。




