提言
にわかに信じられないことが起きていた。トマスも情報処理には自信があった。彼は平民出身だったが、強い魔力を持ち、叩き上げとして出世した。20年前の地方文官時代、先代王からその能力を認められてこの地位まで来た。
そして、そんな彼もまた、地位だけの無能を憎んだ。公平に能力だけを評価させる社会であれば、どれだけいいだろうかと夢想もした。
しかし。
「……はわわわわっ」
瞬く間に、数百の書物が積み上げられるのを眺めながら、トマスは文官としての無能を思い知らされた。
人って、こんなにも能力が違うものなんだぁ。
もはや、悔しさの感情すらも浮かばない。人間としての格が違う。違いすぎる。絶対に、天地が逆転しても、無理。そんな人を目の前にすると、驚きしか感じないのだとわかった。
そして。
「ふぅ……」
数時間後。すべての関係書類を読み終わったヘーゼンは小さくため息をついた。
「だいたいこの国の内情は理解しました」
「ほ、本当にですか?」
「7割方です。すべてを把握するのは、ヤンにやらせますから」
「……っ」
その6歳児の化け物、なに。
「と、そろそろ任命式の時間ですかな?」
「えっと……も、申し訳ない。まだ、準備が」
「そうですか。できれば、簡素なものがいいですな。ある程度の格式を重んじなければいけないのはわかりますが、儀式に割いている費用も時間ももったいない」
「ご、ごもっともです」
いちいち、頷くことしかできない。
「あと、この国の内情を把握した上で、王に1つだけ提言したいことがあるのです」
「て、提言ですか。あの、それはどういう……」
「簡単なことです。特に資金を要することでもないので、気軽に考えてもらえると助かります」
「……わかりました」
トマスは二つ返事で了承した。恐らく、いや間違いなく、このノクタール国を憂い、将来のことを見据えた提言だろう。確かに、王、及び臣下たちに危機感を植え付けるには、この授与式が適当だ。
いちいち、無駄がない。
「あの、少し王と打ち合わせしてきてもいいですか?」
「どうぞ」
「で、では失礼します」
逃げるようにその場を後にしたトマスは、足早に廊下を闊歩して玉座の間に辿り着いた。そこには、老王が、満面の笑顔で座っていた。
マラデカ王は老齢ながら肌艶がよく、丸々と太っている。最近は運動不足を指摘されているのだが、なかなか動きたがらない性分らしい。
トマスが玉座の前で片膝をつくと、マラデカ王は待ち侘びていたような満面の笑顔を浮かべる。
「おお、どうじゃ? 帝国の新任将官は?」
「一言でいいますと、とんでもなく優秀な方です。あの方ならば、亡国の危機に瀕した我が国を救ってくれるかもしれません」
「おお、そうかそうか」
「それで、少佐任命後に、ヘーゼン殿から提言したいことがあると言っております。王からお尋ねになってください」
「おお、わかったわかった」
マラデカ王は朗らかな表情で頷く。その後、玉座の間をグルリと回ったが、準備が遅れなく進んでいるようで安心した。
トマスは急ぎ足でヘーゼンのある部屋まで戻った。
「お待たせしました、では参りましょう」
「わかりました」
ヘーゼンは数種類の書類を秘書官に手渡し、席を立った。
玉座の間に入ると、すでに大臣たちは揃っていた。そして、軍務畑の面々はそこにはいない。この点だけで、この国の不協和音が根強く流れていることを感じる。
ヘーゼンは玉座に座っている王の前に進み、片膝をついた。
「マラデカ王、初めまして。このたび、帝国から将官として派遣されたヘーゼン=ハイムです」
「お、おお。そなたが! 話は聞いているぞ。よく、ガダール要塞を奪還してくれた」
「ありがとうございます」
「うんうん……っと、まずは固苦しい授与式を執り行わなければな」
マラデカ王はコホンと咳払いをして、原稿を読みながら辞令を読み上げる。
「ヘーゼン=ハイム、この度、貴殿をノクタール国の少佐へ任命する」
「はっ! 謹んでお受けします」
「「「「……っ」」」」
その場の誰もが見惚れるほどの立ち振る舞いで。ヘーゼンはノクタール国式の礼をした。360度見回しても、まったく隙のない完璧な作法で。
「うんうん……実に素晴らしい人材だ」
マラデカ王は満足そうに頷く。
「ありがとうございます」
「それでだ。そなたから提言したいことがあると聞いたが?」
「はい」
「遠慮せずに、なんでも言ってくれ」
「ありがとうございます。ではーー」
「その玉座を降りて欲しいんです」




