工作
それから、ヘーゼンの周囲は慌しかった。皇位継承権第2位のデルクトール皇子と接触しようと、ドネア家。そして、かつて派遣されていた北方ガルナ地区、ドクトリン領のツテを頼り探っていたからだ。
そんな中、エマが渋い表情でやって来た。
「どうだった?」
「ダメ。相当におかんむりよー」
「そうか……」
ドネア家のコネも完全に通用しないほど、すべての関係筋との接触が遮断されている。地方からの報告も芳しくはない。北方ガルナ地区のジルバ大佐、ロレンツォ中佐、ドクトリン領のクレリック領主代行、モルドド次長等に依頼したが、すべて潰された。
「マラサイ少将に当たってみるか。彼も無派閥だが、あの方は他の派閥からも一目置かれているだろう」
「……ダメだと思う。あの方が動くのは戦闘のことだけだと、お父様が言っていたから」
「わかった。ありがとう。だが、もう少しだけツテを頼ってみてくれ。ヤン、補佐してくれ」
「嫌ですけど、わかりました」
「……う゛ーっ、私もわかった。でも、あまり期待しないでね」
「ああ」
エマがヤンを連れて去った後、1人の老人が部屋へと入ってきた。ハゲが限りなく進行した痩せ細った老人、ダゴルだった。彼は以前、ヘーゼンの策略によって完全な奴隷契約を結んだドクトリン領領主である。
「……」
「おい、どうした。報告は?」
「……っ、は、はい」
相変わらずの鬼畜振りに、ダゴルが信じられないような表情を浮かべる。しかし、ヘーゼンは全く気にしない。ダゴルとは奴隷契約が済んでいるので、遠慮することなどは一切存在しない。
報告は、開口一番、泣き言から始まった。
「や、や、やはり無理ですよ、皇位継承権第2位のデリクール皇子と接触したいなんて。わ、わ、私は派閥にも入れてませんし」
「やれ」
「……っ」
圧倒的命令。ダゴルは相変わらずの主人に、大きくため息をつく。
「……わかりましたが、難しいということだけは言わせてください」
「賄賂だ」
「えっ?」
「金で仲介を買って出る者がいれば払え。幾らでも糸目はつけない」
「……っ」
当然、糸目をつけないのはヘーゼンの金ではない。ダゴルの金だ。それを、完全に自分の所有物であるかのように振る舞う。
とんでもない化け物である。
「い、いやしかし無理です。わかるでしょう? すでに、全部の動きが筒抜けで、下手に動けば絡め取られる」
「それでも、なんとか探せ。法に触れないよう網を潜って、慎重にな」
「そ、そんなの……」
「まあ、慎重にならないでも、僕は一向に困らない。お前など、切る算段はいくらでもつけられるからな」
「……」
「どうした? 返事は?」
「は、はい!」
泣きそうな顔でそう言い残して、ダゴルは逃げるように部屋を後にした。
「しかし、思いのほか対応がしっかりとしているな」
*
屋敷への帰り道。エマは小さくため息をつく。初手の動きから間違っていたのだ。ヘーゼンの初手は、ブュギョーナを焚きつけるための行動。しかし、その間に相手は対立派閥への接触を封じるためのすべてを行っていた。
「……」
そもそも、なぜ、今頃になってデルクトール皇子と接触を試みようとしているのか。そんな風に戸惑うエマに対し、隣にいたヤンがちょんちょんと肩を叩き、ボソッと耳打ちする。
「師の試みは成功しますよ」
「……ヤンちゃんにはヘーゼンの考えてることがわかるの?」
「思考からして違うんですよ。師によって、初手から逆方向にベクトルを向かわされている」
ヘーゼンは恨みを抱いた人の心理を熟知している。防止しようとすればするほど、ブュギョーナが燃え上がることを知っている。だからこそ、右往左往しているところを見せる。喜ぶ。そして、ますます燃え上がる。
執着心と粘着質の塊のような人間性を瞬時に見抜いた結果だとヤンは分析する。
「ドクトリン領の領主に賄賂まで強要して?」
「使い捨ての奴隷ですからね。相手方に本気だと思わせる一手です。あなたや他の方には、そこまでは強要させていないでしょう?」
「……っ」
たかが、演技のためにそこまで。
「そんな対応は異常よ!」
「師に異常でない対応はありません」
「……っ」
確かに。
「もう1つ。師は、今回の行動で人を見ているんです」
「……」
「権力に屈する者。屈しない者。賄賂を受け取る者。受け取らない者。忖度する者。しない者。優秀な者。無能な者。師にとって、必要か、そうでないか」
必死に探ることで、相手の情報を取得していく。それが、いつのタイミングで使えるのかわからない。しかし、天空宮殿で立ち回ることでより多くの情報が入ると確信しているのだとヤンは言う。
「その中で、権力に屈せず、賄賂にも興味がなく、忖度もしない。ただ、自身の能力のみに頼り、燻っているようや人材を。ひたすらに探しているんです」
「そんなの……いないわよ」
エマはため息をついて首を振る。今の時勢で、エヴィルダース皇太子の派閥に逆らえる者はいない。天空宮殿とはそういうところだ。
「いたら。その人こそ味方だと考えてます」
「……なんで。ヘーゼンは何がしたいんだろう?」
わからない。エマはそう嘆いた。誰からも理解されようとせず、理解を求めず、ただ有能な者を手元へと置く。
ついて行けない。
長く時を過ごせば過ごすほどに。距離は遠くなっているように感じてしまう。今では自分の声がキチンと届いているか不安になるほどに。
そんなエマをジッと見つめながら、ヤンは脳天気に笑顔を振りまく。
「心配しないでください、エマ様。私は師なんかより、ずっとあなたの味方ですからね!」
「はぁ……」
美しい淑女はそんな少女をギュッと抱きしめながら、大きくため息をついた。




