微笑み
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アウラ=ケロス。エヴィルダース皇太子の第2秘書官である。酷く痩せたこの男は、分単位でスケジュール管理をしている。
しかし、ここは天空宮殿。突発的に起こる上位貴族・皇族の会談は避けようがない。そんなパンパンなスケジュールの中でも、重要性の大小を交互に入れることで柔軟性のある対応をこなしている、非常に優秀な秘書官である。
そんな中、急遽ねじ込まれたのがドネア家の令嬢エマ=ドネアとの会談だった。皇帝派の筆頭ジルバの溺愛する1人娘からの緊急アポによって、数年待ちの末に機会を得た下級貴族との会談は一気に立ち消えとなった。
そして。
会談をねじ込んだ張本人のエマは、激しく頭を下げ続ける。
「本当にほんとーに、申し訳ありません!」
「い、いえ。お気になさらず」
その申し訳なさそうな様子に、アウラは苦笑いを浮かべる。とてもではないが、彼女が無理矢理行ったようには思えなかった。
「そして、本日はどのようなご用件で?」
「いえ。その……実はお話をしたいのは私ではないのです」
エマが言うと、後ろに控えていた黒髪の青年がお辞儀をする。
「ヘーゼン=ハイムと言います」
「貴殿が……初めまして」
なるほど、そういうことかと小さく会釈をする。中級内政官でありながら、領主でもなし得ないほどの大功績をあげたと噂の男。
しかし、最下級の貴族位だと聞いていたので、まさか、ドネア家の令嬢と繋がりがあるとは思わなかった。
「それで、用件はなにかな?」
「先日、第3秘書官ブュギョーナ様から派閥の誘いを頂きまして」
「……それを、どうして私に?」
「実はお断りをさせて頂いたんです」
「ほぉ」
アウラは目を丸くした。現状、この派閥の誘いを断るような将官がいるのかと。しかも、最下級の貴族位でありながら、古参の大貴族の誘いを断るだなんて。
「すでに、他の派閥に?」
「いえ」
「では、なぜ?」
「少し言いづらいのですが、あの方の下に付くのは嫌だったんです」
「……っ」
アウラは笑いを堪えられず吹き出しそうになった。確かに、ブュギョーナは不気味極まる。性格も回りくどいし、決して有能とも言えない。
そして、基本、家柄にこだわるので、ヘーゼンにとっていい斡旋者とは言い難いだろう。
「派閥の誘いを受けるということは、少なからず斡旋された側の影響が残ります。エヴィルダース皇太子からの誘いは非常に光栄なのですが、それは少し」
「……私からはなんとも申し上げにくい話ですな」
そう答えながら、『無理もないな』とも思った。
アウラ自身、当初はそこまで位の高い貴族ではなかった。それをたたき上げでここまで来た経緯もあり、家柄が高いだけのブュギョーナからは酷く嫌われている。
「それをオブラートに包んで申し上げたのですが、酷く怒って帰って行ってしまって」
「珍しいですな。あの方はあまり癇癪を起こすようなタイプでもないですが」
性格的には難があるが、決して感情を表に出すタイプでもない。悪く言えば古狸だ。
「私が平民出身の貴族だからでしょうか。断った途端に、そう言い捨てて屋敷を出て行かれまして。そうですよね、エマ様?」
「え、ええ」
「……なるほど」
これは、少し問題だと思った。ドネア家の令嬢が見ている前で、そのような品位に欠けるような怒りをまき散らしたとあれば、エヴィルダース皇太子の評判に関わってくる。
エヴィルダース皇太子にとって、最も引き入れたいのが皇帝派だ。彼らは現政権で確固たる地位を確保しており、一定の影響力を持っている。
当然、皇帝崩御後に引き入れたい勢力であり、その筆頭がドネア家である。
「しかし、申し訳ない。これは、エヴィルダース皇太子がブュギョーナ秘書官に命じたことで、私が干渉すると少々ややこしい事態になってしまう」
「そうですか。できれば、アウラ第2秘書官から取り次いで頂きたかったのですが」
「今からでもブュギョーナ秘書官に謝って、派閥入りのお願いをされては?」
「……いえ。あの方の怒りようでは難しいでしょう」
「そこまで」
アウラは、ブュギョーナの認識をあらためた。不気味ではあるが、表だって平民を蔑んだりするような真似はしないように思えたが。
しかし、エマが見ていたとなれば、こちらの証言に重きを置かざるを得ない。
真実がどうであろうとも。
「わかりました。私にできることは、決して貴殿がエヴィルダース皇太子に敵意がないと伝えること。これでいいかな? エマ様」
「は、はい! 助かります」
「ありがとうございます」
ヘーゼンが深々と頭を下げる。
「エマ様に感謝するのですな。彼女にとって、あなたは相当に得難い人材のようだ」
「はい。ありがとうございます、エマ様」
「い、いえ」
「……」
要するにバランスであるとアウラは考える。ここでドネア家に借りを作ることは、皇帝崩御後の体制造りに影響をもたらす。
であれば、ヘーゼンという人材を逃したと言えど、足し引きでは大いにプラスだと、エヴィルダース皇太子も判断するだろう。
しかし、アウラはヘーゼンが見誤ったと考えている。多少、ブュギョーナの顔が潰れて、ことなきを得たと感じているだろうが、あの男の粘着質は異常だ。恥をかかされた分、生涯を掛けてねちっこく嫌がらせを仕掛けてくるだろう。
まあ、それは、こちらには関係のない話だ。
「では、そろそろいいですかな?」
アウラはそう言って微笑み。
「はい。では、ご機嫌よう」
ヘーゼンは微笑んだ。




