思考
グレースと別れた後。ヘーゼンたちは天空宮殿の居住地区へと向かった。ここでは、将官での地位を表す『官位』よりも、貴族での地位を表す『爵位』の序列で振る舞わなければいけない。
なので、超名門ドネア家の令嬢であるエマともに歩けば、大抵の貴族は道を空けて深々とお辞儀をする。
「……無駄な慣習だ」
「ヘーゼン。しっ」
廊下で歩きながらつぶやくヘーゼンを、エマが慌てて制止する。しかし、当人としては、こうした不合理な行動が嫌いでならない。すれ違うたび、爵位が上の相手のために立ち止まり、頭を下げねばならないなんて。
30分ほど歩き、ドネア家の屋敷に入った。瞬間、エマが屋敷中に響くような大声で怒鳴り散らす。
「気をつけてよ、もう! グレース様にあんな口の聞き方、死罪になってもおかしくはないわよ!」
「……君みたいな反応だったら、よかったんだがな」
ヘーゼンが思わず口にする。試しに胸がザワつくであろう言葉を並べたててみたが、彼女の思考をや読み取ることはできなかった。
並大抵の精神力ではないか。
もしくは。
「……」
早速ヘーゼンは洋皮紙を拡げて相関図を書き始める。先ほどすれ違った者の顔、名前、そして関係を整理するためだ。
どう利用できるか。
どうハメるか。
ぐるぐるぐるぐると、ヘーゼンの脳が回転をする。
「エマ。ヤンをここに呼べるか?」
「いいけど。なんで?」
「考えを整理したい。アレがいると、いい考えが浮かぶ」
「……ふーん」
なんとなく面白くなさそうなエマだったが、すぐに執事に指示をした。その間も、ヘーゼンは休むことなく書き留める手を止めない。
「……」
手持ち無沙汰になったエマは、しばらく黙っていたが、やがて、暇になったのか先ほどの事について、思うところを口にする。
「ねえ、いいの? この期間だけでも、エヴィルダース皇太子殿下の派閥に与しておけば、次の配属先はいいポジションに就かせてもらえるかも」
「必要ない。むしろ、それによって同じ陣営と見なされる方が不利益を被る」
ヘーゼンは迷わず首を振った。
特にイルナス皇子の神輿を担ごうとした時に、その行為が背反行為と攻めたてられる可能性もある。今は不遇を受けようとも力をつけて時を待つ。
大まかな戦略は固まった。
「担ぐ皇子はもう決めた」
「正気? はっきり言ってイルナス皇子が皇帝になる可能性は皆無だと思うけど」
「いや、皇帝にする」
「……絶対に不可能だと思う」
「する」
「……っ」
驚愕の眼差しを向けるエマだが、ヘーゼンに迷いはない。もちろん、確証も、手段もまだない。しかし、皇帝については最重要事項で妥協する気はない。
イルナス皇子は賢帝になり得る器だ。グレースの思惑に乗るのは本意ではないが、彼女のお陰で確信を持てた。
「……」
脳内の無数に散らばっていた道が1つとなり、また、それは無数に散らばっていく。その1つ1つを潰し込むように、ヘーゼンは洋皮紙に書き留める。
基本的に一度見たものは一度で覚えるヘーゼンだが、本気で思考を回すと分岐の言葉を書き留めなければ覚えていられない。
脳内が激しく回り、熱を帯び始める。
ぐるぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐると。
戦略的思考が巡り、戦術思考が固まり、また霧散すること。そんな繰り返しを脳内で秒間、数千回繰り返す。
「……」
エマは、そんなヘーゼンに声をかけられなかった。ただ、遙か先の思考に行ってしまった友を……想い人を見ることを、黙って見ることしかできない。
そんな中。
ヤンが屋敷に入ってきた。呼び出されたのが不満だったのか、膨れっ面を隠そうともしないで、思考中のヘーゼンの周囲を目ざとく、チョロチョロとし出した。
「なんですかもー」
「……」
「せっかく、師のいない貴重な瞬間を楽しんでたのに」
「……」
「ま、また、よからぬ事を考えてるんじゃないでしょうね?」
「……」
「モズコール秘書官……いや、ダメだな」
「卑猥なこと考えてた!?」




