派閥
「で? なんで、派閥の内情を知りたいの?」
「少し派手に動きすぎたからな」
「……聞いてる」
エマは半ば呆れ気味にため息をついた。
ヘーゼンの活躍は、おおよそ現在の階級社会では考えられないことだ。ドクトリン領配属時は、中級政務官(武官であれば中尉格)の地位だった。
しかし、領内の収益が今後数十倍に跳ね上がること。そして、最前線への補給任務が10分の1ほどの支出になること。その他諸々、功績を挙げたらキリがない。
要するに、領主代行(武官であれば大佐級)のポジションですら成し得ないような破格級の業績を数ヶ月足らずで叩き出してしまったのだ。
「よくもまあ、あれだけ派手に暴れたね」
エマはヘーゼンの実力と気性について熟知しているので、他者よりはまだ免疫がある。しかし、それでも、ここまでの働きをすることには自身の耳を疑った。
「北方カリナ地区の時は、功をロレンツォ中佐になすりつけたが、今回はマラサイ少将もいたので、さすがに難しかったな」
それでも可能な限りは押し付けたのだが、と答えると、ますますエマの口はあんぐりと開いてしまう。
「天空宮殿でも、よく噂になってる。『ヘーゼン=ハイムとは何者だ?』って」
「わかるだろ? よくない傾向なんだ」
「……うん」
派閥は常に人材を欲している。1つは利用できるほどの爵位、官位の高い人材。もう1つは、利用できるほどの能力の高い人材。当然、ヘーゼンは後者にあたる。
しかし、一方の派閥に与することは、もう一方の派閥に与しないことを意味する。つまり、敵対する派閥にとっては脅威の対象なりうることだ。
「タイミングとしても、この期間に派閥の誘いが来る可能性が高い」
辞令は派閥の意向を大いに左右する。すなわち、この数日でどこの派閥になびくかで、ヘーゼンの将官人生の方向性が大きく変わってくる。
エマは神妙な面持ちで頷きながら、説明を開始する。
「まず、簡単なところから。派閥のトップは、当然、皇位継承権第1位のエヴィルダース皇太子」
猛き華と敵兵から恐れられる軍神であり、官位序列4位『四伯』のミ・シル。彼女を筆頭に、錚々たる爵位の者が揃っている。
四伯は帝国で最も武功をあげた4人の敬称である。それぞれ、数国を従属させた莫大な功績と周囲を圧倒するほどの強大な魔力を併せ持つ怪物たちだ。
他宮殿内の主要な官職の大半を占め、皇帝に次ぐ権力者として大いに猛威を振るっている。
エマが主要な人物の名前を次々とあげると、ヘーゼンが難しそうに唸る。
「想像以上に大きいな。もう少し拮抗してると助かるのだが」
「ここの派閥は怖いよ……よくない噂も多いし」
「……ああ。聞いてる」
エマが少し声を細め、ヘーゼンは頷いた。エヴィルダース皇太子の派閥は、『腐敗政治の温床』とも目され、彼以外の派閥に対しては容赦がない。
皇位継承候補第2位はベルクトール皇子である。こちらは一時、エヴィルダースの勢力を越えるほどの勢いを誇っていたが、近年失態を犯して格下げされた。
3位のべルーマン皇子。4位のドナナ皇子。彼らはエヴィルダース皇太子と母親が同じなので、同じ派閥のような立ち位置である。
5位のナダル皇子以下は、次期皇帝の可能性はかなり低いので、大きくは勢力を奮っていない。
ひと通り説明を終えて、エマはいっそう小さな声でヘーゼンに囁く。
「噂だと、特にエヴィルダース皇太子の陣営があなたに興味を示してるって」
「……マズいな」
「マズい? なんで?」
「腐臭が移る」
「……っ」
その辛辣さにエマが思わず後ずさりする。しかし、ヘーゼンとしては偽らざる想いを述べたつもりだ。約半年を過ごしたが、この帝国という大樹は幹から腐敗している。
天空宮殿の腐敗政治の温床は、地方にまで飛散し収賄や着服が後を絶たない。能力よりも爵位や官位、そして派閥が優遇され有能な者の台頭を疎外している。
「だから、あくまでエヴィルダース皇太子とは距離を置き、他の派閥に与したかったというのが本音だ」
「……なるほど」
「エマはどうだ?」
「私は少し特別だから。お父様がアレだし」
彼女は紅茶に口をつけ、苦笑いを浮かべる。当主ウォルド=ドネアは、現皇帝レイバースの側近中の側近だ。
彼は10代の頃から千を超える戦場を駆け巡った正真正銘の猛将である。元々は、帝国の叙勲一等の四伯だった人物であり、皇帝の相談役でもある。
当世一代の皇帝に仕える彼らは『皇帝派』と呼ばれ、当代では絶大な権力を誇るが、同時に次代にその力は残せないので将来性は見込めない。
「僕もその傘下に入るという手もあるが」
「やめときなよ。もう数年もすれば、確実に世代交代の波がくるだろうし」
「……そうだな」
いわゆるレームダックというやつだ。現皇帝のレイバースもかなり高齢になってきたので、徐々に権力がエヴィルダース皇太子に集まっていると噂だ。
「となると、皇位継承候補第2位のベルクトール皇子?」
「いや、どうせ傘下に入るなら、序列は低い方がいい」
「高い方じゃなくて?」
「それらはすでに人材は揃っているだろう。長い間仕えている方が、皇子も信頼するだろう。絶対的な忠誠を捧げるなら、最側近というポジションは譲れない」
互いになんでも言い合える間柄。それが、ヘーゼンが皇帝に仰ぐ条件だ。
「だったら、レイバース陛下の寵愛を受けている側近ヴァナルナース様の息子であるイルナス皇子がいるけど」
「……けど?」
エマが、それこそヘーゼンの耳元にまで顔を近づけて囁く。
「噂では、発育不良ですって」




