晩餐
「くっ……」
ゲスリッチは一瞬掠めたその感情を慌てて打ち消した。こんな、葬儀の場で。しかも、親友の妻に対して、自分はなんと下種びた感情を思い浮かべているのだと。
むしろ、最近はそんな欲情に駆られる事などない毎日を送っていた。
実際、妻は3人いるが、皆同い年かそれより少し下の年頃で、最近は夜の営みもない。ゲスリッチも年齢に応じて、そういう欲も減ってきていたので、まあ、そんなものかと思っていた。
「……ぐっ」
しかし、なんだか、猛烈に、ヘレナの熟れた尻が気になる。特段、いい尻という訳ではない。こんなことを言えば軽蔑されると思うが、他に綺麗な女はいくらでもいる。
ゲスリッチは、それでも、彼女の甲斐甲斐しく右往左往する尻に目が離せなくなった。
そんな中、参列者のすぐ後ろで、数人の若者の噂話が聞こえてくる。
「おい、どうやら死因は腹上死らしいぞ」
!?
腹上死。いわゆる、性行為中に死を遂げた場合の死因である。ゲスリッチは信じ難い表情でヘレナの尻を凝視する。
「腹上死!? あの奥様、相当凄いのか?」
「ああ、噂だとな」
「いや、それはある意味羨ましいな」
「執事の噂では、夜な夜なあえぎ声が響いてたらしい」
「はぁ……はぁ……」
そんな会話を聞きながら、欲情が抑えきれずに息が切れる。なにかがおかしい。この、沸るような熱い感情はなんだ。歳とともに忘れかけていた、この童貞感丸出しの14歳かのような、ギラついた欲望が破裂しそうになる。
「おいおい……そりゃ、奥さん寂しいな。夜、どうするんだ?」
「お前が相手してやりゃいいんじゃねぇか?」
「……君たち。失敬じゃないかね」
これ以上、そんな話を聞くのは耐えられない。ゲスリッチは、噂していた者たちを睨みつける。
「も、申し訳ありません」
「わきまえたまえ。ここは、厳粛な葬儀の場だ」
そう注意をして、何度も何度も自分にも言い聞かせる。そうだ。こんな厳粛な場で、しかも、唯一無二の親友の死を前にして、あり得ないだろう。
マスレーヌを偲ぶのだ。今日はそのために来たのではないか。うん、そうだ。彼と過ごした青春の日々を追憶しながら、再び視線をヘレナへと向かわせる。
「……っ」
――なんて、熟れたお尻だろうか。
そして。
そんな視線に気づいたのだろうか。ヘレナと目が合ってしまった。
「あの……どうかされまして?」
「い、いや。申し訳ない」
反射的に謝ってしまい、ゲスリッチは後悔した。なにもしていないのに、謝るというのはなにか後ろ暗い事があるみたいではないか。
腹上死……か。
「えっ?」
「い、いえ。なんでもありません。ははっ」
「……そうですか。あっ、そうだ」
なにか思いついたように。プリプリとプリ尻を震わせながら、ヘレナが近づいてくる。
「葬儀後の晩餐ですが、よろしければご一緒にいかがでしょうか? 今日は、主人とゲスリッチ様の昔話を聞きたいです」
「……っ、も、もちろんです」
そう答えながら、密かに『誘っているのではないか』という想いが脳内を駆け巡る。しかし、そんな訳がない。彼女は夫に先立たれた未亡人……
未亡人。
「ぐっ……」
「ど、どうかされまして?」
「ちょ……ちょっとだけお腹が」
ゲスリッチは前屈みでお腹を抑える。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ。ご心配なさらず。とにかく、わかりましたから。では、晩餐で」
ゲスリッチは慌てて前屈みで、自らの席まで戻った。
・・・
そして、葬儀後。なんとか、平静を取り戻したゲスリッチはマスレーヌの城へ到着した。
「よくおいでくださいました。執事のモズコールでございます」
「ゲスリッチです。今日は、お招きいただきありがとうございます」
「では、早速お部屋へと案内します」
モズコールは優雅に先導して、部屋へと案内した。
「晩餐までは、もう少し時がございます。どうぞ、好きに散策いただき、亡きマスレーヌを偲んでいただければと思います」
「ありがとう」
執事は華麗にお辞儀をして、去って行った。
それから、数十分が経過し手持ち無沙汰になったので、部屋の外へと出てみた。主人がいないので、妙に閑散とした城内が寂しい。あらためて、ゲスリッチは親友のいない喪失感に浸りながら、城内を歩く。
その時。
「あなた……なぜ、逝ってしまったの」
司書室から声がした。
ヘレナの声だ。
「……」
ドクン。
かつてないほどの高揚感が、モドリッチを支配する。恐る恐るその扉を開けると、ヘレナが人知れず泣いていた。
「……」
人前では決して涙を見せずに。
なんて、可憐な女性だろうか。
ゲスリッチは、下種びた感情を振り払い、そのまま扉を閉めようとした。
しかし。
その時、ヘレナが人目を気にしながら本棚を横にずらして、出てきた扉を開けた。
隠し部屋だ。
モドリッチは、またしても、興奮した。こんな人知れずの隠し部屋が、なんでこんなところに。
いったい、彼女はなにをしているのだろうか。
気がつけば。
ゲスリッチは隠し部屋の扉に、へばりついていた。




