価値
ディナステルドの村を出発した。ヘーゼンはヤンを鞍の前に乗せ、その後ろに跨る。
「君が馬の手綱を握って駆けるんだ」
「ええっ!? でも、私、やったことないのに」
「なにを言っているんだ? さっき乗っただろう」
「ムキー。あれは、さらわれたって言うんです!」
怒りながらも、ヤンは手綱を動かして悪戦苦闘する。
「ところで、さっきの交渉だが」
「い、今の光景見えないんですか!? 話しかけないでください」
「必死な時ほど、別の思考もできるようにしなさい。何事も訓練だ」
「わーん! 嫌だよーこの人ー! 誰か助けてー」
「……」
ヤンは泣き叫ぶが、第8小隊は全員見て見ぬフリをする。
「続けるぞ。君はもう少し自分を高く売れた。次から交渉は君に任せるから、よく反省することだ」
「えっ!? 銀貨2枚以上の価値があるってことですか?」
そう驚きながらも、すでにヤンは手綱の操作をマスターし始めている。やはり、叩けば叩くほど伸びる子であるとヘーゼンは確信する。
「当たり前だ。僕は、価値がない買い物はしない」
「か、買い物? 言い方が腹立つんですけど……じゃ、どれくらいが交渉成立ラインだったんです?」
「手付けで大金貨5枚。毎月小銀貨3枚。以降、昇格毎に給料の三分の一を毎月支払い続ける。まあ、これ以上だったら少しは躊躇したかもしれないな」
「な、な、な……」
これには、ヤンの口も塞がらず、思わず手綱を落として落馬しそうになった。
「まずは、ヤン。僕は君が魔力を持ち、いずれ成長すると言った。そうすれば、自力で稼ぐことなど容易にできるだろう。だから、『引き取り手がない』と言う僕の仮定は誤っている可能性が高い」
「う、嘘つき!」
「嘘ではない。可能性の著しく低い仮定をして、想像させ、ノルウェ院長に対して疑問を投げかけただけだ」
「それを嘘って言うんじゃないんですか!?」
「嘘ではない。仮に僕が君の未来を見通せる能力を持ったならば、それは嘘だが、未来は神ほどの能力がないとわからない。よって、間違っている可能性の高い未来を提示しただけだ。いわゆる、詐欺行為だな」
「さ、詐欺……もっと駄目じゃないですか!?」
「言っただろ? 僕は嘘をつかないって。信用に足る人物だと信じてもらいたいからこそ、約束を守った訳だよ」
「わーん! いったい、なにを言っているのか全力でわからないので、誰か通訳してもらえませんか!?」
ヤンが全力で叫ぶが、やはり、第8小隊は全力の知らん顔である。それから、しばらく泣き、喚き散らかした後。黒髪の少女は再び口を開く。
「で? 結局、なにが言いたかったんですか?」
「一つは、『もっと交渉のテクニックを磨け』と言うことだ。感情に流されず、相手の妥協点を見極めて、希望額の8割ほどは引き出すべきだ」
「……目指すなら最大じゃないんですか?」
やはり、非難より疑問がくるらしい。倫理観よりも興味が勝る子は、だいたい伸びる。
「最大と最低は紙一重だ。交渉のテーブルそのものがご破産になる可能性が高い。無用のリスクは避けるべきなのだよ」
「……仮にノルウェ院長が大金貨100枚と言ったら? まったく売る気がない場合に」
「君を異民族と交流した罪に問い、追放罪に処した。その後、奴隷として引き取って、後は同じだよ。結果は変わらない」
!?
「な、な、なんて鬼畜なことを平然と言ってるんですか!?」
「当然だろう。異民族と交流を持っていると言うことは、下手をすればスパイの嫌疑にかけられてもおかしくない行為だ。もちろん、軍に協力すれば例外だが、そうでなければ軍規に沿って処罰する」
「……信じられない」
ヤンは暗い表情を浮かべながらつぶやく。
「嘘は言ってない」
「嘘がなければなにやってもいいってものじゃないと思いますけど!?」
「まあ、僕も時間がかかるからこの手段は取りたくなかったんだ。お金で解決できるものなら、それが最善だ」
「じ、時間がかかると言う理由は、この場合、最下位にこなければいけない理由だと思いますけど」
「で、もう一つ。なぜ、僕が君に本当の価値を言ったか」
「……どうせ、ろくでもない理由なんでしょう?」
「違う。君は自分を安く見積もり過ぎだ。僕は、あの額が最低限の価値だと考えている」
「……」
「君は伸びる。少なくとも、僕が提示した額の10倍以上は」
「……」
ヤンはしばらく黙っていたが、やがて、ヘーゼンを下から覗き込んで口を開く。
「ヘーゼンさん」
「ん?」
「あの、もしかしてですけど」
「なんだ?」
「もしかして……私を元気づけようとしてくれてます?」
「……」
「……」
「違う」
!?
「ち、違うの!?」
「なにを聞いてたんだ? 君には小金貨1枚、毎月小銀貨2枚の働きで甘んじるようでは許されない。手付けで大金貨5枚。毎月小銀貨3枚。以降、昇格毎に給料の三分の一。この10倍以上の働きをしなくてはいけないと言うことだ」
「うわーん! 誰かー! 奴隷商でもいいから、誰か助けてください!」
それから、軍の要塞に帰るまでヤンはひたすら泣き続けた。




