世間話
モズコールの全身から汗が噴き出てきた。脳内からは嫌と言うほど『ヤバい』と言う言葉が連呼される。
「わ、私を脅す気か?」
「そんな気はまったくありませんよ。ただ、お話をしましょうと言っているだけです」
「ちゅ、忠告しておくぞ。私は脅しには屈しない」
今まで、こういう輩を腐るほど見てきた。一度でも弱みを見せると、調子に乗ってどんどん要求がエスカレートしていく。
絶対に退くわけにはいかない。
「……私からも1つ。忠告させていただいても?」
「はっ!? 忠告? ふざけるな。死なばもろとも。仮に、私が捕まった時は絶対に貴様を道連れにーー」
「ラコザルオさんという女性」
「……っ」
「もちろん、赤ちゃんプレイを楽しむのは個人の勝手です。しかし、お金を支払っているとは言え、言っておりましたよ。『めちゃくちゃ気持ち悪いので、もう来ないで欲しい』と」
「はぐぁ!?」
「特に『おむつをはかせろ!』と強要された時は、思わず吐きそうになったそうです。あなたは、人それぞれ感性が違うということを認識した方がいい。例えば、『おむつをはかせられる』という行為。あなたは快楽を感じるのかもしれないが、私としては屈辱的な行為に他ならないので」
「ひっぐぅ……」
瞬間、モズコールの脳内に、かつての記憶が木霊する。
*
「あ、あらあら、おいたしちゃったの? いけない子ね、モズコール」
「やだやだ。バブちゃんって呼んで!?」
「ば、バブちゃん。駄目でチュねー」
「えへ……えへえへえへ。僕ちゃん悪い子」
「よく反省できまちた。いい子いい子」
「えへへ。ママー。おちっこ、もらちちゃったー」
「し、仕方ない子ねっ」
「おむつー。おむつー」
「お、おむつ? いえ……その、そう言うの、ウチには」
「……」
「……」
・・・
「えっ……お前、マジか? おむつも置いてないのか?」
「そ、そりゃウチはただの会員制バーで」
「基本だろうが!」
「ひっ……」
「基本! 基本だよ、き・ほ・ん! き ほ ん!」
「も、申し訳ありません。ただ、モズコール様に合うサイズが――」
「バブちゃん!」
「ば、バブちゃんに合うサイズがなさそうで。赤ちゃん用ならあるんですが」
「バブちゃんも赤ちゃん!」
「ひっ……」
「……おい、本当にないのか?」
「ご、ごめんなさい。先日、言われた時はかなり酔ってらしたので、まさか本当にーー」
「言い訳はいい! バブちゃん、言い訳は聞きたくない!」
「ご、ごめんなさい」
「なければ作ればいいだろうが? 金なら山ほど支払ってるだろうが! 裁縫して準備するんだよ、普通なら! サービス業なら当然だろ?」
「……はい」
「バブー」
*
顔から火が出そうだった。このやり取りを、聞いた? 聞かれてしまった? そう考えただけで、全身を焼かれたような熱さを感じる。
そして、ヘーゼンと言う男は、明らかに軽蔑の眼差しをこちらに向けていた。
「内政官という職業柄、ファクトチェックは欠かさない性質なんで。視察も兼ねて、聞き込みに行ってきましたが……まあ、事実でしたね。被害者多数。目撃者多数」
「そ、そ、それがどうした? 私は脅しには屈しない。法には触れてないんだから、個人の自由だろうが」
社会的な地位は危うくなるかもしれない。しかし、法律には違反していない。相手が不快になっただけで、捕まるような法律は帝国にはない。
モズコールは何度もそう言い聞かせる。弱みを見せたら駄目だ。弱みを見せたら、終わりなのだ。
そんな様子を眺めながら。
ヘーゼンはため息をついて、ボソッと口を開く。
「……モズコール=デリス。38歳。コナロクト地区在住」
「な、なんのつもりだ?」
「いえ。ただ、あなたの経歴をバドダッダ内政補佐官から聞きましたので。そちらについても、言っておいた方がいいと思いまして」
「……よく、そんな嘘を」
いったい、どういうつもりで言い出したのか。バドダッダが会話の中で秘書官の情報など漏らすはずがない。しかし、そんな事は気にもせず、ヘーゼンは笑顔でモズコールの情報をツラツラと並び立てる。
「恋人、キサロ=コナズ。27歳。以前は結婚されてましたが、現在は離婚調停の裁判を起こされて、子どもも2人いますね。ロカレオ、ニワイルというお嬢さん。2人とも娘さんなんですよね。16歳と13歳……ああ、今が多感な時期ですね。子育てに苦心しておられるんじゃないですか?」
!?
「……な、な、なんでそこまで。そんなことまで話してないぞ!?」
「職業柄、ファクトチェックは欠かさない性質なんで」
「……っ」
悪魔。
こいつは、完全なる悪魔だと、モズコールは認識した。
「しかし、かなり娘を溺愛しているらしいですな。娘さんも尊敬されているご様子でしたよ」
「やめろ……」
「あと、1つ忠告を。内政官たるもの、口の利き方には気をつけた方がいいですな。特に人にものを頼むときには」
「……っ」
目の前の青年は、悪魔的な微笑みを浮かべる。
「ああ、ロカレオさんには許嫁がいるんでしたね。上級貴族のタイレース家ですか。羨ましいですね。相手のラグレス君と言いましたか? イケメンですね。相思相愛だそうで、それもまた非常に羨ましい」
「や、やめてください」
「もう1つ忠告を。少し高いと思うんですよね」
「な、なにが……」
「頭が」
「……っ」
「確かに法律には違反してませんね。ただ、世間と言うものは世知辛いですな。少し変わった性癖を持った者に対して、冬の雨のように冷たい」
「……ください」
「えっ? 聞こえないです。もう一度」
「や、やめてください。この通りです。なんでもします……なんでもしますから」
モズコールは地面に頭を擦りつけて、何度も何度も懇願する。ヘーゼンはその様子を眺めながら、笑顔を浮かべる。
「あれ? そんなに嫌でしたかね。ただの世間話が」
「では、あらためて。面会記録の話をしましょう、モズコール秘書官……おっと、バブちゃんとお呼びした方がいいんですか?」




