左遷
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天空宮殿。帝都の中心にあり、贅の限りが尽くされた巨大な建造物である。その場所は、すべての皇族、上級貴族の邸宅があり、かつ、政を行うための権力が集約された魔窟である。
そんな華々しい部屋の数々の端の端の端。皇帝が政を行う玉座の間から最も遠い部屋に、ヘーゼンは案内された。
ノックをし、部屋の中へと入る。中には、どっぷりと腹の出た中年がふんぞり返ってソファに座っていた。
「失礼します。このたび、ドクトリン領中級政務官に配属されたヘーゼン=ハイムです」
「ふむ。貴様が数ヶ月足らずで中尉格に昇進した渦中の男か」
綺麗に生えそろえられた髭を優しく撫でながら、執政官のノリョーモ=バルノルがつぶやく。彼が直轄地ドクトリン領のトップにあたる人物だ。
領地には貴族領と直轄領の2種類が存在する。直轄領は、帝国の戦略的要地などで、主に他国と隣接している戦地周辺や紛争地域など、統治が難しいと見なされる領地が割り当てられる。今回ヘーゼンが配属された領地は、最前線から少し離れた飛び地。言わば、後方支援にあたる。
戦地ではないので、最上位は執政官。そして、彼らは中央に天空宮殿とドクトリン領を行き来するが、実質的には帝都に張り付き社交に勤しんでいる場合が多い。
その方が出世するからである。
ヘーゼンは内政官となり、辞令後にほぼドクトリン領の張り付きとなる。中尉格相当なので中級内政官――いわゆる中間管理職という立ち位置だ。
「北方ガルナ地区では、ジルバ大佐の大攻勢によって出世の機会が与えられたのだろうが、後方支援では勝手が違うだろう。陽の当たらない仕事が多い」
「はい」
「まあ、地道にコツコツと。そして、円滑な人間関係。そつなくこなしていれば、いずれは中央へと戻れる機会もあるだろう」
「はい」
「……ところで、手土産もないのか?」
「ありません」
「……」
「……」
しばしの沈黙後。ノリョーモがのっそりと立ち上がり不快そうにこちらを睨む。
「ないのか?」
「必要性を感じませんでしたので」
「……自身の実力を過信し、地道な仕事や協調性を軽んじる。君みたいなタイプは、私は嫌いだな」
「そうですか」
「特別なコネがあるのかもしれないが、私は私の評価でしか上にはあげない」
「わかりました」
「現時点での君の評価は最悪だ」
「なるほど」
「……話は以上だ、下がれ」
「失礼します」
ヘーゼンは頭を下げて、部屋を出た。当然、衛士のカク・ズは側に居たが、もう一人。一連の会話に聞き耳を立てていた中央勤務の美女が、あんぐりと信じられないような表情を浮かべていた。
エマ=ドネアである。
「な、なんでそんなに平気な顔でいられるの?」
彼女は、天空宮殿農務省の期待の若手である。ヘーゼン、そしてカク・ズとは同じ学院で共に学んだ間柄だ。彼女はヘーゼンを『人として不安定』だとみなしているので、心配でついてきた。が、案の定というか、至極予想外というか、失礼行動の数々に驚きを禁じ得ない。
しかし、黒髪の青年は。不思議そうに、無邪気に首を少しだけ傾ける。
「とは?」
「とは、じゃないでしょ!? 執政官って、その土地のトップよ? トップ! ト・ッ・プ!」
執政官は武官で言うと大佐格。中尉格のヘーゼンとは4階級違う。上級貴族の上位であるエマでさえ、敬語を遣うほどの階級差である。
「最前線とは違って、まどろっこしい上官だったが。まあ、上手くやるさ」
「う、上手く? そんな気配は毛ほども感じなかったんですけど。と言うか、毛虫並みに嫌われてなかった?」
「そう?」
「わ、わかんなかった? 信じられない」
エマは信じられないような表情を浮かべる。
このヘーゼンという男の飛び抜けた優秀さは疑う余地もない。人の感情を読む力には異常に長けている。心の機微にも敏感であるが、なぜか、そこから嫌われるとか好かれるという感情までに行きつかない。
「確かに手土産は用意してなかったが。まあ、次は自領で生産した酒の試作品でも贈っておくさ」
「……そう言うことでもないんじゃないの?」
明らかに要求していたのは賄賂。いわゆる、袖の下というやつだ。そして、それ自体は違法ではあるが、止めようがなく横行している。今のところ口裏を合わせれば容易にすり抜けられてしまうような法律だからだ。
むしろ、貴族の間では必然的にやり取りされているので、ヘーゼンのように何も持ってこないことの方が珍しいくらいだ。
さすがに、それをわからないほど愚かな男ではないが、それでもヘーゼンは首を振る。
「自身の実力以外での評価指標は極力排除した方がいい。そして、僕は実力以外で評価を受けるつもりはない。だから、賄賂などは必要ないんだ」
「はぁ……そんなことで出世できなくてもいいの? 言いたくないけど、ドクトリン領の後方支援はヘーゼンにとって外れ部署よ」
この天空宮殿は、玉座の間から近い部屋ほど重要な位置付けだとされている。平民出身で異例な出世を遂げたヘーゼンに対する如実な嫌がらせである。
「出世だけが目的ならそうするさ。しかし、僕の目的はそうじゃない。それだけのことだ」
「はぁ……」
相変わらずと言うか、不動と言うか。まるで変わらない友人に、エマはため息をつく。
「まあ、見ていてくれ。最高の功績を挙げて、最短で帰って来てみせるよ」
「……なんでだか、ノリョーモ執政官が可哀想に見えてきた」
ヘーゼンはその言葉を聞いて、不敵に笑った。




