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お茶会で・兄の結婚式の日に・湧き出る砂を・くるくると回していました。

 「これは一体なんですの?」

 寮長のにこにことした問いに、本好きの少女は答えに窮したようだ。彼女の蓄えた知識をもってすれば、答えを持っていないというわけではない。ただ言葉が唐突に喉に詰まって、ひきつった顔と同時に喉が引き絞られた感覚になっていた。見えない巨大な手があって、自分はいつの間にか糸が通ったぬいぐるみ、口の端から出ていた糸を引っ張られ、生地がぎゅっと絞られたような感じ。こちらに尋ねた寮長のたなごころの中には、ガラス製の小さな砂時計が握られている。本好きの少女はようやく、喉から言葉を絞り出した。

 「すなどけい、ですが」

 「そうですの。何故人間は、時間をこんな入れ物に閉じこめたがるのかしらねえ」


 本好きの少女の耳に届いた寮長のことば何故か剣呑に聞こえ、彼女の天使らしからぬ言い方につい眉をひそめてしまう。本好きの私にとって、寮長は絶対的に利発な天使である。だが彼女は誰にも知られずに失われ、事もあろうに目前の黒い翼と角を生やした悪魔に取って代わってしまっていた。その秘密は今のところ誰にも知られていない。この本好きの少女以外には。だが彼女らがいる場は、二人以外の人間が大勢行き交っているというのに、悪魔の作用か何故か二人に注意を払う者はいない。まるで見えない透明な壁の中に閉じこめられたかのように、誰の注意も引かないというのは寂しいものだった。

 学園生活で苛められている本好きの少女にとって、静寂と完全に誰にも注目されないというのは平穏に繋がると信じていたはずだ。それなのにいざ目の前に人々が行き交うのを眺めるだけとなると、寂しくて寂しくて仕方がない。熱烈に苛めてきた若姫すら恋しくなるほどだ。決まってその不自然な静寂になる時、本好きの少女の横には悪魔がいる。


 「お名前、教えてくれる?」

 「嫌です」

 本好きの少女に断られてしまったので、悪魔は黙ったまま彼女を静寂の中に閉じこめたことがある。まだ悪魔であると打ち明けて間もない時だ。静寂と誰にも認識されない沈黙に身を置いた人間は、次第に精神が耐えきれなくなることを悪魔は残酷にも知っている。だから透明な檻による幽閉を、悪魔たらしめる特異な能力で自分と二人きりにして閉じこめたのだが、本好きの少女は胸に分厚い本を抱えながらこちらを睨んできた。

 「根負けしませんからね。私」

 「どうしてそこまで嫌がられるの?」

 「悪魔に名前を取られたら、契約になっちゃうから。本に、そう書いてありました」

 「どこぞの誰かが書いた根拠のない噂話みたいな本と、目の前にいる悪魔と、貴方はどちらが正しいと思って?」

 「本です」

 本好きの少女は断言する。その頑強さに悪魔は思わず吹き出してしまって、その幽閉を止めて彼女を解放した。解放された彼女はどっと疲労感に襲われて、誰かのぬくもりを求めて無意味に寮を歩き回り、雑言でもいいから浴びたいと思っていた。そして雑言を浴びた時に顔を輝かせてしまうので、最近はいばらを口にする若姫も気味悪がって近寄らなくなっていた。悪循環であろうと本好きの少女は感づいている。平穏な学園生活の幕開けであるが、孤高になればなるほど悪魔との時間が増えてしまう。それが悪魔の狙いであり、本好きの少女を取り込む策であると彼女自身は仮定していた。

 だが今更に友人を作るのもむずかしく、毎日疲労しながらも本を読みふけって寮長を見ないようにするしかなかった。今日も談話室の片隅で本を読みふけっていると、寮長だけが暖炉の炎に照らされ、長い影を伸ばしながら近付いてきた。

 「あなた、変わった子だわ」

 「元から、分かっていた事ではないかと」

 「でも必要以上に私を嫌っている」

 「ここは悪魔を信じるな、という宗教国家ですので」

 「もう宗教よりも聖人よりも、軍人の方がお偉い国ですのにね」

 「それはもちろんそうです。だから、信じたけれど朝になると信じられなくなる。悪魔なんて存在せず、寮長が私をからかってくださってると思えば、耐えられたのに・・・!」

 「この翼と角を疑うんですのにね。私の誇りですのに」

 「目に見える物が真実とは限らない、そう結論つけた科学者の論文も読みましたわ。荒唐無稽だと学会には一蹴されてましたけれど、その論文、今の私には信じるに値すると思っています」

 「あらあら、世の中には埋もれた天才がいるのですね。それは大いに困ったものだわ。貴方の知識は面白いけれど、私の邪魔になるのは好みませんの」

 「邪魔に?」

 「でも貴方、その知識を私の為に使ってくださらなくて?」

 「今は少し、その思いが揺らいでいます」

 「そうですの。でしたら、もう少し乱暴な手に出てもよくってよ」

 「最低な」

 良家の子女らしくない言葉が思わず口を衝いて、本好きの少女ははっと口を押さえた。本の中の登場人物の乱暴な口調が、いつの間にか彼女の頭だけではなくこころにまで染みて真似してしまったのだ。こんな事を口走ったと分かれば、お父様に軽蔑されてしまう!思春期の少女らしく家族への恐れが真っ先に頭によぎり、表情も鬼気迫るものがあったのだろう、寮長はふふんと口の端を上げて笑った。

 「大変ですわねえ」

 他人事の口振りに、恐れが悪魔への苛立ちに変わった。

 「変に付け入ろうとしないで。わたし、私は本だけは読んでいますので、悪魔払いの方法も存じています」

 「だから大丈夫ですって。私の目的は貴方ではなく、このつまらない世界に向けてなんですの。そこで貴方が協力してくれたら、ね? この寮長の秘密を教えて差し上げますわ」

 肩肘張った本好きの少女を、悪魔はにこにことしてその緊張をほぐしていこうと試みた。だが完全に彼女の緊張が解けたわけではない。悪魔たらしめる力を使われてしまえば、自分などは即座に消し炭になるのではないかという”未知”への恐れが本好きの少女を固くさせている。その緊張感がどれだけ保て、そしていつ集団意識をこちらに向けてくれるのかが悪魔は楽しみで仕方ないようだ。

 そして寮長の兄の結婚式の日に、何故か本好きの少女はお茶会に呼び出され、砂時計を回している悪魔との会話に付き合っている。

 「本日は、お兄さまの結婚式のはずでは」

 「それはもう、悪魔の力ですわ」

 寮長が大輪の花を咲かせるように笑う。寮長は今までそんな笑い方をしなかったのに、悪魔がそうさせるのだろう。

 「砂時計は時を閉じこめる道具ですの」

 「それは時をはかる道具です」

 「それは、あなたがた人間が使うからです。道具の使い方を正しくすれば、時は簡単に戻ったり、その時をここに閉じこめたり出来るのよ」

 見せびらかすかのように、悪魔の細い指がつかんだ砂時計を本好きの少女は目にする。これを彼女が奪い取ったりしないかと悪魔は期待したが、彼女はすぐに目もくれなくなった。

 「これを使おうとするかと思いましたのに」

 「あなたが仰ったのでしょう。人間が使うから、正しい道具ではないと」

 「ふふふ、さすがに騙されませんわね。そこまで追いつめられてはいないか」

 「寮長の声で、変な言葉を口にしないでくださらない?」

 「あらごめん遊ばせ。ふふふ、許してね?」

 悪魔の言葉に、本好きの少女は口をきゅっと結んだ。見えない誰かに糸を引っ張られている訳ではない、少女自身が自分の糸を引いたのである。悪魔はその様が大層に面白く、愛らしく見えていた。


原典:一行作家

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