1-0 プロローグ
世に、羞花閉月、沈魚落雁という言葉がある。
いずれも容姿の優れた女性を表す言葉で、「女性の美貌に打たれて、花は恥じらう」、「月は雲に隠れ、魚は水底深く沈み、雁は飛ぶ列を乱して地に落ちる」という意味だが、これからお話しする、とある異世界の美の女神フレイヤを賞賛するには、それらの言葉では、まだ足りない。
何しろ、フレイヤが天上から地上へ舞い降りると、この世のものとは思えぬ美貌に、全ての人間はたちまち魅了され、妖艶な笑みと金色の蠱惑的な瞳に、彼らの魂は天外を飛ぶのだ。
美の女神の容姿を後世に伝えようと、いつの時代も、詩人、画家、彫刻家など、あらゆる芸術家が全身全霊を傾け、褒め称える多くの作品を残してきた。
典型的な描かれ方は、背丈が170センチメートルを越え、腰まで届く淡紅色の髪と純白の一枚布の上着が風になびく姿。顕現するときに身につけている装飾品は、毎回異なるため、作品は様々なバリエーションが存在する。
今日もまた、どこかでフレイヤが姿を現し、人々の目を釘付けにしていることだろう。
このように、異世界で長きにわたり、あらゆる人間を虜にし、無数の賞賛を浴びてきたフレイヤだが、実は、美の権化のような存在からは想像が付かない、意外な能力が二つある。
一つは、戦闘能力。
人知を越えた神だから強いのは当たり前に思うかも知れないが、全ての神がこの手の能力を持っているとは限らない。ましてや、優雅な衣装を纏った美の女神が戦っている姿は、想像できないであろう。
もう一つは、人間界とそっくりな疑似空間を作り上げる能力。
そんな空間が何の役に立つのだろう、作って何をするのだろうと思うかも知れないが、フレイヤの娯楽を知らない者にとって、理解し難いのは無理もない。
この女神は、疑似空間を作って、そこにお気に入りの人間を招き入れ、どのように行動するのかを見て楽しむ趣味があるのだ。
フレイヤは、それを「ゲーム」と呼んでいる。
例えば、ダンジョンの疑似空間を作って、勇者を招き、魔物討伐を依頼する。
依頼された勇者は、魔物を倒す度にレベルが上がり、実物の魔石も得られる一方、フレイヤは勇者の雄々しい姿を堪能出来る。正に、Win-Winの関係だ。
最近のフレイヤは、悪役令嬢に興味を抱き、令嬢が活躍出来る疑似空間――恋愛物のゲームを作ったので、プレイしてもらえる相手を物色している最中だ。
そんなある日。
天界にいて、知り合いの神との語らいに飽きてきたフレイヤは、刺激を求めて人間界を見渡していた。
「何か、面白いことでも起きないかしら?」
多様な人間と動植物で溢れる人間界は、今日も様々な出来事で溢れている。それらを、つぶさに観察していると、面白いことは面白いが、心を引き寄せられるほどでもない。
ところが、
「あら? 人間界の時空が乱れている。またクロノスの仕業ね?」
知り合いの時空神クロノスは、最近、異世界間を行き来する実験をしており、その影響で人間界の時空が乱れるのだ。
「地震は、起きていないようだけど――」
時空が乱れる影響で、地震が起こることもあるので、人間界にとっては迷惑極まりない実験であるが、天上界の住人には娯楽の一つだ。事実、フレイヤを始めとして、多くの神が面白がっている。
「あらあら? あそこに影響が出たみたいね」
好奇心旺盛な女神は、すぐさま、ショーカーン王国の、とある裏通りに時空の裂け目を発見した。
ところが、その裂け目の中で、モヤモヤと動く灰色の何かがある。
「何かしら?」
すると、人間界では見たこともない灰色の服を着た女性が中から現れ、ここはどこだと周囲をいぶかる彼女の背後で、裂け目が閉じた。
「別世界の人間のご登場ね! こうしては、いられないわ!」
フレイヤは、急いで地上へと向かった。