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ある春の幼馴染の話

ある話と同じ世界の二人です。

前触れもなく吹いた一陣の冷たい風が、そっと陽に透けるような金の髪を揺らす。

それを追うように見上げれば、蒼穹に流れる白い雲と、視界の端に捉えた淡い色が、いつか彼を見上げた先に見えたそれらを思い起こさせた。


*


「ねぇルー!桜だよ!」


私はたくさんの人混みの中、満開の桜の前まで来たところでくるりと反転する。

そうして桜に負けないくらいの満面の笑みを浮かべながら彼を振り返れば、ひらひらと少し冷たい風に舞う桜色が、数え切れないくらい私の顔の横を過ぎていった。


「………気をつけないとぶつかるぞ」


妙な間を置いた後、彼はそう言って私の腕を引いた。

途端にぐっと近くになった距離に私は思わず目を瞠って、どこか硬い彼の声に楽しくないのだろうかと不安を抱く。


「…ルー、楽しくない?」


すぐ後ろを人が通る気配を感じながら、私は見慣れた金の髪を見上げた。


「いや、そんなことはないけど」


私と似たようで少し違う金の髪が透けて、その奥に広がる青空と浮かぶ雲を見せる。

辺りを風に運ばれた淡い色が漂って、地面はその色で埋まっていた。

そんな、今までに見たことがないほど綺麗な景色の中で、彼はただ困ったように私の頭を撫でた。


「でも…」


私は気落ちしたような態度を隠せずに俯く。

視界いっぱいに映る桜色は、先程のように私の心を浮き立たせてはくれなかった。


「…こんなに綺麗だとは思わなかったから、驚いてたんだ」


その言葉に勢いよく顔を上げれば、彼はなぜかそっぽを向きながら私の名前を呼んだ。


「今日、誘ってくれてありがとな」


その言葉に私はまた笑顔になってうん、と首を振ると、彼の手を取って別の桜の下へと歩き始める。


「あのね、この桜はソメイヨシノって言うらしくて――」


桜を見上げたり彼を振り返ったりと忙しない私を呆れたように、でも少しだけ楽しそうに見ながら、彼は大人しく私の話を聞いてくれて。

時折私が誰かとぶつかりそうになると、繋いだ手を引っ張ることで避けてくれた。


「ルー、あのね」


やがて不意に思い立って、私は道の脇で立ち止まると、隣にいる彼の金の瞳を見上げる。


「ん?」


映り込む私と花びらが金に溶けて、そのまま彼の瞳に焼きついていてほしい。

残っていてほしい。


「――綺麗だね」


そう願った。


「ああ、綺麗だな」


今この時、私に向けられたルーの笑顔が、青い空が、羊雲が、淡い桜が、私の瞳に焼きついたくらい。


*


大切な思い出を一つ掬いとって、また大事に仕舞い込んだ。

いつか見たのに近い桜の道を歩けば、物足りない何かを心の奥の奥から訴えられる。


「………!」


空も、雲も、桜も、冷たい風と共にどこかへと繋がっていく。

私はそんな綺麗な光景を眺めながら、足りない色を求めて先へと進んでいった。


「…!………!」


けれど求めて止まない色はどこにもなくて、あるのは景色に不似合いな喧騒だけだったから。


「…がう!………い!」


私はそっと瞼を閉じて、そこに確かに居る姿から勇気を貰った。


「ほら、行って」


胸倉を掴まれ逃げられない状態だった子供を男の手の甲を抓ることで解放して、私は見るからに酔っ払った男と対峙した。

少し躊躇った後逃げていった子供の姿を視界の端で見送り、苛立った様子で伸ばしてくる手を回避する。

ある程度の距離さえ取れば酔っ払っているせいか狙いはあまり正確でないため簡単に避けられたが、その間聞かされる言いがかりのような罵倒は聞くに耐えなかった。


いつ逃げるかを図りながらも、厄介なことに首を突っ込んじゃったなー、と、見過ごせなかった自分に心の中で苦笑したとき、業を煮やしたのか突然大声で叫びながら突っ込んできた男の気迫に怯んで動きが止まる。

それによって遂にその手が私の元まで届きそうになった、瞬間だった。


「ちょっとちょっとー!」


聞き覚えのある声が近づいてきたかと思うと、あっという間にその男を蹴飛ばした。


「朝っっっぱらから酔っ払ってんじゃないわよー!!!」


振り返れば見覚えのある姿と先程逃げたはずの子供の姿があって、私はホッと息を吐きながらも納得したのだった。

そして同時に、思う。

どうして私の知り合いは、こうも腕に覚えのある人ばかりなのだろう、と。




「で、どうしてあんなことになってたわけ?」


場所は移り、私は一週間前から泊まっている家に戻ってきた。

同時にこの家の主である友人も当然ながら一緒に戻ってきているので、私はテーブルを挟んで向こう側に座っている彼女をそっと窺う。

呆れたような物言いをしてはいるが、その態度は完全に面白がっていた。


「………桜が」


なんと言うべきか迷って少し黙った後、小さな声で零すようにそう呟けば、彼女は不思議そうな顔をして「桜?」と復唱する。


「えっと…頼まれてた洗濯物を取り入れた後、桜が見えたから…ちょっと見てこようと思って」


私はなんとなく感じた気まずさから視線を逸らしながらも、今度はしっかりとそう返した。

しかしどうやら、それは彼女のお気に召さなかったらしい。

彼女は強引に私の両頬を掴んで前を向かせると、まるで怒っているような声を発した。


「頼んでいた洗濯物を取り入れた後ちょっと桜を見てこようでこんな時間から酔っ払いに絡まれる人がいるもんですかっての!」


自然と眉を下げて返す言葉もなく項垂れた私の頬を解放した後、豪気な友人は下がっていた私の肩をポンポンと叩く。


「いやーホント、ニジュダといると退屈しなくていいわ!ほら、わかってるでしょ?あたしは気にしてないんだから元気出して!」


なんて、先程までの言葉を投げ捨てて逆に励ましてくる彼女に、私は更に脱力すると、つい唸るようにぼやいた。


「なら毎回そんな風に言うのやめてくれないかな…」


お決まりのような会話が繰り返され、彼女の腰に手を当てるいつもの動作が流れるように行われる。


「“様式美”、ってやつよ」


ウインクが恐ろしいほどに似合う人だと、いつも思う。




「で、夕方には帰るんでしょ?荷造りは終わってるの?」


昼食後の片付けを終えて寝室にやってきた私に、この家の主はベッドに散らばった書類を整理しながらそう問うた。


「うん。この一週間、いろいろとありがとね」


私は布団の上に座って一息つくと、この一週間を振り返りながらそう返す。

彼女のおかげで無事滞りなく仕事が終わり、明日の昼前には家に帰ることができそうだった。


「こっちこそ、家事とかしてもらっちゃって。助かったわ。こっちに来るときはまたいつでも泊まりに来てね」


にっこりと、楽しげな笑顔が向けられる。

私は一度頷いて、感謝を込めた笑顔を浮かべた。


「ありがとう。また泊まりに来るね」


そうして次の日、大切な友人とたくさんの桜に別れを告げて、生まれ育った街へと帰還したのだった。


*


見慣れた地を踏みしめて、晴れ渡った空を見上げる。

視界に入った白い月が珍しくて、綺麗で、数瞬見惚れた。


「…一旦帰らなくちゃ」


私は僅かに表情を緩めながらも軽く頭を振ると、荷物を持ち直して帰路につこうとした。


「…イーク?」


聞き慣れた低音が耳に届くまでは、そのつもりだった。

呼ばれた名前が呪縛となって足を止め、一瞬振り返ることすら忘れさせた。

ぐっと噛みしめた奥歯の奥から漏れ出てきそうな言葉達を押し止めて、私は世界で一番大切なその単語を口にした。


「ルー?」


振り返れば、瞼の裏に浮かぶ姿よりもなお鮮やかな、焦がれた色がそこに在った。


「久しぶりだな。今帰ってきたところか?」


私の持っている荷物を見てか、彼はそう言うと微笑みながら近づいてくる。


「…うん、そう。ルーは今日、仕事ないの?」


溢れてきそうな感情の波を抑えつけ、私はギュッと手に力を入れて微笑んだ。


「ん、休みだ」


そうなんだ、と頷こうとして、自然な流れで彼の手に私の荷物が移動したことに驚く。


「ちょうど帰るところだったし、送っていく」


えっ、と目を丸くして、私は軽くなった両手をさ迷わせると、お腹の前で合わせて彼を見上げた。


「いいの?…っ!」


額を指で弾かれて反射的に目を閉じた後、おずおずとまた彼を見れば、彼は数歩先に進んだところで振り返って私を見ていた。


「バーカ。さっさと行くぞ」


そうしてまた歩き出す彼の広い背中を追って、私はほんの短い距離を小走りで進む。


「ルー!…ありがとう」


感謝の言葉と共に自然と零れた笑みを向ければ、彼はふいっとそっぽを向いて「別に」と返したのみだった。

私は「えへへ」と更に笑って、そういえばと、今回の仕事で見たものを思い出した。


「今回行った場所なんだけど、結構懐かしいところなんだよ。覚えてる?前に一緒に桜を見たところ」


歩き慣れた道を二人並んで進んだ。

時折すれ違う人達を何の気なしに眺めたり、空に浮かぶ羊雲を目で追いかけながら話す。


「…ああ、覚えてるけど」


一瞬、視界の端で彼が私のほうを向いたのが見えた気がした。

けれど私は気にせず空を眺めたまま話を続ける。


「まだ満開にはなってなかったけど、十分綺麗だったの。桜の蕾とかたくさんあってね」


あの様子だと満開になるのはいつかなー、とか、お昼とかたくさんの人で賑わってきてたとか、そんな話をして、それから少し間を置いた。


「――また、一緒に桜を見に行きたいね」


噛みしめるように乞うた。

いつかまた、二人で。


「…そのうちな」


隣を見上げれば、なぜかそっぽを向いてそう言った彼に、見えていないとわかっていてもつい頷いて、それから今度は声を出して頷いた。


「うん!」


その後は桜以外の仕事先での取り留めのない話をしていたら、少しして彼の足が止まった。

もう目と鼻の先にある家から彼に視線を移して、名前を呼びながら首を傾げると。


「言い忘れてた」


まっすぐに向けられた金の瞳が、私を絡めとる。

冷たい風がさぁっと吹いて、靡いた私とは違う金の髪に瞬きすら忘れて見入った。


「おかえり、イーク」


そうしてまた視線を逸らした彼に、私は強く感謝した。

一瞬止まった呼吸をゆっくりと繰り返して、気を取り直すように息を吐く。

私は、今の自分の顔を、絶対に彼には見られたくなかった。


「………いま」


知らなくていい。

絶対に気づかなくていい。


私がどんな意味を込めて彼を呼んでいるか。

私がどんなに彼の隣にいることに幸せを感じているか。

私がどんなに彼の隣に帰りたがっているか。


「――ただいま、ルー」


いつも彼の姿を見るたびに、帰ってきたんだと、強く感じていることなんて。

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