きれいな青
"不死の魔術師"を倒して城に戻ったメイフィリスとオルレーンは、"黒の賢者"を招聘し、悪鬼の封印を強化するよう国王に進言した。
"賢者"とは、高位の神術と魔術を使いこなす者の呼称だ。彼らは非常に稀な存在で、歴史上数えるほどしかいない。そして現在、賢者の称号を持つのは、フォルターナ聖導王国の"黒の賢者"ただひとり。
また、彼は、鬼人としてはじめて賢者になった人物として有名だった。百年以上前、フォルターナの危機に際して降臨した天使から祝福を受け、強大な神気を得たという。
メイフィリスの曾祖母も、"青の賢者"と呼ばれた賢者だった。彼女が生まれる前に"星海"に旅立ったので、会ったことはないけれど。
ちなみにこの曾祖母が、"水晶塔の魔女"エティを拾った育ての親でもある。
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…………火蜥蜴と"不死の魔術師"の襲撃から、数日後。
国王の要請でやってきた"黒の賢者"は、飄々とした鬼人の男だった。鬼人族の証である、羊のような漆黒の巻き角と、深紅の瞳に散った星のような光が印象的だった。
彼は、神官たちにてきぱきと指示しながら、自ら封印の修復に当たった。そしてあっという間に作業を終わらせ、風のように去っていった。
すべてが落ち着いた頃。
御前会議が解散して、メイフィリスとオルレーンは、何となく並んで執務室に戻った。二人の執務室は、実は隣同士。単に方向が同じなだけである。
ただ、こうして並んでいても、以前のようなぎすぎすした空気はない。顔も見たくないと思っていたのに、今では隣にいても平気だ。
意外と良いやつだし、"不死の魔術師"に捕まった自分を助けてくれた恩人だし、何よりあの"レン"だったわけだし……と胸の内で理由を並べていると、隣を歩く長身の騎士から低い声が降ってきた。
「……じゃあ今晩、飲みに行くか」
「えっ…………誰と誰が…………?」
翡翠の瞳を見開いて、魔術師長は男を見上げた。
「お前な……忘れたのか。愚痴でも何でもつきあうって言っただろ」
呆れる男に、メイフィリスは忙しく瞬きしながら「そんなこと言ってたっけ」と記憶を探る。
「お前もこのあと予定はないだろう。あとで声をかける」
そう言うと、彼は返事を待たずにスタスタと大股で歩き去っていった。
そして、なんだかんだと連れてこられたのは、この間とは違う酒場だった。
メイフィリスはそわそわと落ち着かない。店の雰囲気は悪くない。ただ、周囲からどう見られているかが気になった。
彼女も一応、貴族令嬢でもある。男と二人で酒場に出かけるのなんて当然ながらはじめてだ。
端のテーブルに座って、オルレーンが花酒とグラスを頼む。初老の店主は、物腰も丁寧にそれらを用意してくれた。
乾杯すると、カランと氷が軽い音を立てた。それから、とつとつと会話が始まった。
話題は仕事に関わるものが多かったが、メイフィリスは前回の失態もあって、酒も愚痴も控えめにした。さすがにあれを繰り返すのは恥ずかしい。
そして、なんとなく"不死の魔術師"の話になった。
「悪いやつって、なんで聞いてもないのにペラペラと長話するんだろうな……」
「バカだからじゃないのか」
オルレーンが身も蓋もなく切り捨てる。そして、
「お前、部下の身代わりになって捕まっただろ。あの時は肝が冷えたぞ。もう二度とあんなことはするな」
と、苦々しい顔をした。
「それは約束できない。私は王宮魔術師の長だ。部下の代わりに、矢面に立たねばならない」
メイフィリスは肩をすくめる。
「同じ立場になれば、貴様もそうするだろう」
「たしかにそうだけどな」
オルレーンはため息をついて、彼女の正しさを認めた。そんな彼を見て小さく苦笑する。
「またああいうことが起きてもどうにかなるように、せいぜい腕を磨くしかないな」
「……結局それしかないんだよなぁ」
魔術師長と将軍は、酒を酌み交わしながら、しばらくとりとめもない話をした。
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遅い時間になる前にお開きとなった。店を出ると、暗い空に、弓のような細い月が上っている。ぼんやり見上げていると、隣の男がぼそりと呟いた。
「俺は、酔いざましで歩いて帰る」
「……なら私も、途中までそうしよう」
ほろ酔いの帰り道。
並んで歩きながら、二人は家路を辿る。メイフィリスは転移魔術で帰宅しても良かったが、何となくこの時間が終わってしまうのが惜しくて、無言で男の隣を歩いた。
ふっと息を吐く気配がした。男の指がメイフィリスの肩に軽く触れる。立ち止まって見上げると、オルレーンはじっと彼女を見つめていた。
男の眼差しに宿る、不思議な光の正体を見極めようとして、青の瞳を覗きこんだ時、
「愛している」
静かな低い声が耳を打った。同時に力強い腕にとらわれる。
メイフィリスは目を丸くして固まっていたが、暫くしてようやく声を絞り出した。
「貴様、何を……」
「レン、と」
呼んで欲しい、と相手がいう前に、メイフィリスはその名を口にした。風の音に負けそうなくらい、小さな声で。
「レン」
あまりに声が小さく掠れていたので、聞こえなかったかもしれない。上目遣いで見上げると、騎士は灰色がかった青の瞳を細めて、それは嬉しそうに笑っていた。
その微笑に、初恋の少年の面影が完全に重なった。彼はずっとここにいたんだ、という不思議な感慨で胸がいっぱいになる。
騎士の胸に顔を埋めて「……レンが好き」と呟くと、抱きしめる腕に力がこもった。
相手の表情が見たくて、顔を上げようとしたら、大きな手のひらが頭をおさえこんだ。メイフィリスの顔が逆戻りして、厚い胸板に押しつけられる。
「……見るな」
一瞬見えたオルレーンの耳は、夕日のように赤かった。大人になって素直ではなくなったこの男は、それを見られるのが恥ずかしいのだ、と気づく。
だからメイフィリスは言われるまま、しばらく大人しくしていたのだった。