対峙
「君は、彼女の器になれるんだ」
────"大罪の魔術師"は嗤った。無表情を装いながら、メイフィリスは必死に頭を回転させる。だが、
「おしゃべりは終わりだ」
笑いをおさめたジャレッドは、老人のようなひび割れた声で言うと、無造作に右手を掲げた。そこに魔力が集中していく。
もう腹を括るしかない。
たった一人で"不死の魔術師"に抵抗しても、きっと勝てない。ならば可能な限りダメージを与えて、いっそ自害した方がましだ。
悪鬼の器になるくらいなら……と、覚悟した瞬間。
ドゴーン!という派手な轟音とともに、天井が崩れ落ちた。降りそそぐ石の欠片から頭を庇いながら、彼女は上をふり仰いだ。
「メイフィリス、無事かッ!?」
上階の床をぶち抜いた穴から、怒りの形相でこちらを見下ろす騎士と目が合った。騎士の鋭い目が、わずかに安堵で緩む。
「……貴様、すごい格好だな」
騎士を見て、メイフィリスは思わず目を見張った。……それは、ガチガチに武装し、加護の神術をかけまくって淡い金色の光を全身に纏った、オルレーンだった。
崩れた天井の隙間から飛び降りてきた騎士は、すばやく"大罪の魔術師"に斬りかかった。
大剣を紙一重でかわした魔術師は、忌々しげに舌打ちする。
「うるさい虫だな」
「お前の命運も、ここまでだ」
「やれるものならやってみろよ……!」
オルレーンの全身から放たれる殺気に、しかし"大罪の魔術師"は余裕の笑みを見せる。
間合いを詰めた、オルレーンの渾身の一撃。
しかし切っ先は空を切った。騎士の目前にいた敵がふっとかき消え、同時に部屋の角に忽然と姿を現す。
無詠唱の転移。
メイフィリスの翡翠の目が見開かれる。これを会得した者は、記録をたどっても歴史上に数人しかいない。
息つく間もなく、突如現れた炎の塊がオルレーンに襲いかかる。だが、彼に届く直前で、炎は霧のように四散した。メイフィリスの結界に阻まれたのだ。
二対一なら勝てるかもしれない。魔術師長の胸に希望が灯る。大剣を構える騎士を横目に、メイフィリスは急いで詠唱を口ずさんだ。
魔術が完成し、"翡翠の魔術師"は氷の槍を立て続けに放つ。が、"大罪の魔術師"はまたも無詠唱の転移で、部屋の対角線の角に一瞬で移動する。
氷の槍は壁を穿ちながら砕けた。"大罪の魔術師"は、詠唱しながら軽く手を振る。
「……っ!」
空中に現れた無数の炎の矢が、風を切る鋭い音と共に、メイフィリスとオルレーンに雨のように降りそそぐ。
それを、オルレーンは神術のかかった大剣で打ち払い、メイフィリスは結界で防ぐ。
オルレーンの大剣には、魔術を無効化する神術がかかっているらしい。一気に間合いを詰めた彼の剣先が、"大罪の魔術師"の結界を打ち壊す。
パリン、とガラスが割れるような軽い音がした。同時に、メイフィリスは、相手に気づかれぬように用意した麻痺の魔術をはなった。その魔術は、無詠唱の転移の発動より一瞬早く、不死者を捉えた。
麻痺で転移が打ち消され、余裕の笑みを浮かべていた"大罪の魔術師"の青白い顔に、焦りと驚愕が浮かぶ。
この一瞬の隙を逃さず、オルレーンは袈裟懸けに不死者の身体を叩き斬った。ごぼり、と魔術師からどす黒い血が溢れる。オルレーンは剣の勢いを殺さず、一回転して"不死の魔術師"の首を切り落とした。
メイフィリスの呼び出した高温の炎が、魔術師の首を灰すら残さず焼き尽くす。それと同時に、床に倒れた胴体部も、砂でできた像のように、細かく砕け散った。
その後には、中身を失った脱け殻のような黒いローブが、床の上にくたりと残されていた。
「メイフィリス、無事か」
「ああ、ケガはない」
魔術師長の返事に、騎士は大きく安堵の息を吐いた。
呼吸を整えたオルレーンは、油断なく辺りを見回して……眠るように水中を揺蕩う、異形の姿を目にしたらしい。
男から息をのむ気配がした。あれが魔物の王────"悪鬼"だと気づいたのだろう。
「これは、一体……」
「昔、聖女に封印された、"大罪の魔術師"の恋人だ。あの"不死の魔術師"の正体は、ジャレッド・ルクス。千年前、悪鬼に忠誠を誓った"大罪の魔術師"だと自分で言っていたぞ」
「まさか……信じられん」
絶句するオルレーンに、メイフィリスは続ける。
「千年もの長きにわたる封印で、こいつは相当弱ってたらしい。消滅しそうな恋人を、あの男は目覚めさせようとしていたんだ」
「……なるほど。ぞっとしない話だな」
「本当にな……おかげで私は、悪鬼の器にされるところだったんだ。貴様のお陰で助かった。いざとなったら、自害も辞さないつもりでいた」
メイフィリスが肩を竦めると、オルレーンは「自害とか言うな」と盛大に顔をしかめた。
"翡翠の魔術師"はそんな騎士に苦笑し、それから表情を改めた。
「この悪鬼は、早急に封印し直さないとまずい。今の戦闘で、封印に綻びができたかもしれない」
「なら、陛下に進言して、フォルターナの"黒の賢者"あたりを呼んでもらうか」
「あぁ、それが最善だろう」
「……魔術師長、将軍閣下!ご無事ですかっ!?」
今後の対処について話しあっていると、頭上から声が降ってきた。見上げると、オルレーンがぶち抜いた穴から、二人の部下や神官たちが、心配そうにこちらを見下ろしていた。
彼らに「メイフィリスも俺も無事だ!」と手をふったオルレーンは、メイフィリスを振り返った。
「とりあえず、今いる神官に応急措置を頼んで、俺たちは城に戻るぞ」
「承知した」
メイフィリスは頷いて、彼と一緒に、部下たちのいる上階へ転移する。その後、二人は、部下たちをつれて王城に帰還したのだった。