序 思い出の少年
「────君、大丈夫? なんで泣いてるの?」
父に連れられ、はじめて王城を訪れたあの日。
毎日の厳しい特訓に耐えかねて、ひとり園庭で隠れて泣いていた自分を、見つけてくれたのが彼だった。
きれいな顔の、いくらか年上の少年は、灰色がかった青い目を瞬かせてメイフィリスを覗きこんだ。
ぽろぽろ涙をこぼしていた少女は、相手が誰かなど深く考えもせず、気がついたら涙声で答えていた。
「……あのね……魔術のおべんきょうがつらいの」
「そうか……君はまだ小さいのに。大変なんだな」
「そうなの、すっごいたいへんなの。もう家出したいよぅ」
顔をぐしゃぐしゃにして泣く自分の顔を、少年は取り出したハンカチで、優しく拭ってくれた。
「じゃあうちにくる?」
「あなたのおうちに?」
「うん。僕のお嫁さんになったらいいんじゃないかな」
「……なぁにそれ」
「あ、笑った」
突拍子のない申し出にぷっと吹き出すと、少年もつられたように白い歯を見せて笑った。
「君は、泣いてるより笑った方がかわいい」
そんなことを臆面もなく言われて、かーっと赤くなる。その時、父が自分を呼ぶ声がした。
「父上がよんでる……あたしいかなきゃ」
「そっか。勉強、頑張って。君ならきっとやりとげられるよ」
「ありがとう。あの、よかったらあなたのお名前をおしえてくれない?」
「レン、だよ」
「レンさま……すてきなお名前ね。今日はありがとう。またあえるかしら」
「うん。たぶんね」
思い切り泣いて、慰められたおかげで、かなり気が晴れた。立ち上がって微笑むと、向こうで心配そうに自分を探している父に駆けよる。
────これは、ずっと大切に胸にしまっていた昔の思い出。
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夢を見た。
浅い眠りから、意識がふわりと浮上する。
どこだろう、ここは。メイフィリスが薄く目を開けると、見知った男が自分を覗きこんでいた。
なぜこの男が……?
ぼんやりした頭で考える。
顔を合わせるたびにこちらを小馬鹿にしてくる、ものすごく嫌なやつ。メイフィリスの誰よりも苦手な相手だ。
それなのに。
そいつがいつもと違って見えるのはなぜだろう。泣きたくなるほどの懐かしさに胸が詰まる。
…………そんな感傷に浸っていられたのは、わずかな間だった。おそらく一分にも満たない。
寝起きの頭が動きだして、状況のおかしさに気づいた途端────メイフィリス・レナード王宮魔術師長は、ひゅっと息をのんだ。
見知らぬ部屋のベッドの上に、男と二人きりで、並んで寝ている。
「…………」
「やっと起きたか」
男がため息混じりに言った。
どこかで小鳥の声がする。窓の外はすでに明るい。
時が止まったかのような空白。思考停止から数拍置いて、魔術師は思いきり息を吸いこんだ。そして────悲鳴を上げる寸前、無骨な手がさっとメイフィリスの口を塞いだ。
「んんんーーーーーーーーっ!!」
「おい、叫ぶな!」
耳元で男が焦る。窒息しそうになりながら、どうしてこんなことになったのか────メイフィリスは昨夜の出来事を必死に思い出していた。
以前削除した別アカウントで書いた作品の、スピンオフになります。(元作品削除済)