侍女はみた
彼女の勤める王宮には、和める狸がいる。
ぷりぷりのお尻と箒みたいな尻尾の可愛い子狸である。
といっても、王宮で飼っている訳ではない。
王宮にお仕事に来ていた公爵様を追いかけてやってきた、公爵様の可愛らしい婚約者なのである。
狸だろうと、言うなかれ。
此処は女神さまの坐すお国。狸が人間になっても誰も不思議に思わない。
それくらい大らかな国なのだ。
さて、件の子狸。
最初の頃は、警戒していたのか、怖がっていたのか。
使用人たちをちょっと遠目にお散歩をしていたけれど、少しして、短い足でぽてぽてと近づいて来るようになった。
そして、小さな身体で一生懸命こちらを見上げ、円らな目で見つめてくる。
きらんきらんな黒目で、あざとくも首まで傾げるものだから。
思わず座り込んで「お手」といった使用人たちは揃って、
「つい、思わずやってしまった。反省はしていない」
などと、何故か、きりっとのたまった。
だって、差し出した掌に前足を乗せて、どや顔をする子狸なんて、何でもありのこの国でも、きっと滅多に出会えない。
面白過ぎる。
つい、構い倒してしまいそうになって、しかし、公爵様のブリザードで凍らせられたのは、恐ろしい思い出だ。
けれども、渾身の力作、『お菓子籠』を背負って歩く狸を見ることが出来たので後悔はしていない。
そんな、そこに居るだけで面白い子狸だが、飼い主……違った、婚約者である公爵様のために張り切る姿はさらに楽しい。
肩に乗って一生懸命肩もみする姿も、湯たんぽ代わりに膝を温める姿も。
女の子の姿になってお茶を運ぶ姿も、洗濯女に混じって、嬉しそうに、楽しそうに公爵様のシャツを洗っている姿も。
お日様の匂いのする洗濯物の誘惑に勝てず、狸に戻ってその隙間に潜り込み、尻尾と後ろ足だけはみ出して眠ってしまっている姿も。
その後、寝ぼけて壺や棚の中に嵌っている姿も、公爵様、もしくはその従者に回収されていくところまでを含めて、全て侍女の密かな楽しみなのである。
と言う訳で、毎日何かしら可愛らしい姿を見せてくれる子狸なのだが、今日の舞台はどうやら庭園の中らしい。
子狸は、咲き誇る躑躅の花壇の前にいた。
まんじりともせず、蜜たっぷりな花の前で座っている。
恐らく公爵様に最も甘い蜜を吟味しているのだろう。
しかし、あまりに微動だにしないその様子は、まるで置物。
そう思ったのは侍女だけではなかったらしく。
庭師が、しれっと子狸の横に狸の置物を置き、去って行った。
いつ準備したのだろう。
というか、何のためにそれを買った?という疑問は脇に置き、侍女はその置物のチョイスに身を震わせた。
勿論、笑いの発作である。
余りにも子狸とぴったりのサイズ感。
何とも剽軽な表情に、後ろ足で立つその姿。
でべそがアクセントの真ん丸な白い腹。
その横で、じっと蜜の吟味を続ける本物の狸。
そして、ようやく決めたのか、本物の狸は鼻先を突っ込み、選んだその花を口で器用に摘んだ。
満足気な表情でくるりと向きを変える。と、目の前にあった狸の置物に、ぺっこり挨拶をして場所を譲り、何の疑問も持たずに、軽やかな足取りで公爵様のお部屋に戻って行った。
その一部始終を目撃していた侍女は。
「ネリちゃん、それ置物だからっ」
笑いの沸点が越えて、膝が砕けた。
それから、少しして、王宮の庭に狸の置物が大流行したのは余談である。