絶望のバスチーユ02
同日昼休み。
既に朝の段階でアハト先輩に告白して受け入れてもらっている。
断られる可能性を微塵も感じない自分は自惚れているのだろうか?
とまれ、僕はカモ蕎麦をすすりながら、アハト先輩はオムライスを頬張りながら、リセット現象について語っていた。
「運命否定論ですか……」
「百目鬼はそう言っていました」
「九十九が体験した三度の経験が実体験だったとして、それが必ずしも私の死を示唆しているとは限らない……と」
「はい」
「ふぅむ……」
とアハト先輩は呻る。
気持ちはわからないでもない。
僕とてこうまで体験している以上、
「今回こそアハト先輩は助かりますよ」
とは言えなかった。
いや……仮にだけどアハト先輩が助かったとして、リセット現象が止むという保証はどこにもないのだ。
そう僕が言うと、
「リセット現象と私の死とは独立していると?」
考えるようにアハト先輩。
「可能性の話です」
僕は降参するように両手を挙げた。
「実際のことは僕にはよくわかりません。僕の言っている理論なんて全て百目鬼の受け売りで……僕自身はあまりそういう向きの思考のベクトルを持っていませんから」
「では九十九の好きな本のジャンルを教えてもらえますか?」
「冒険活劇です」
「ファンタジー兼アクション……ですか」
「ですです。SFは好みません。勧善懲悪こそ最高の娯楽と信じて疑わないゆとり世代ですから」
「それを自分で言いますか……」
クスリと笑うアハト先輩だった。
「…………」
その笑顔があまりに綺麗で……僕は既に速い胸の鼓動をより速くする。
「どうなされました九十九……黙り込んで……」
「いえ、先輩の笑顔が綺麗だったもので」
「良く言われます」
さいですか。
閑話休題。
「ともあれ……」
コホンと咳を一つ。
僕は確認する。
「先輩は運命肯定論者なんですね?」
「否定も肯定もしませんよ」
「曖昧ですね」
「運命そのものが曖昧ですからね。おそらく百目鬼さんは運命という言葉をラプラスの悪魔と同義に考えているのでしょうね……」
「ラプラスの悪魔って何でしょう?」
「とある刹那の時間を切り取って、その時間における宇宙全ての原子の活動性を認識し演算できる存在のことです。もしこれでもわかりにくいなら運命の神様とでも認識していればいいと思いますよ……」
「運命の神様……」
「はい。運命の神様……」
ポカンとする僕にニコリと笑むアハト先輩。
「先輩は運命に肯定も否定もしないんですよね?」
「そうですね」
オムライスを嚥下してアハト先輩は言葉を続ける。
「人の運命とやらを信じると言えるほどロマンチストには成れず……かと言って人の運命を信じないと言えるほどリアリストにもなれません」
「もし運命論が肯定されるか否定されるのなら?」
「もちろん証明されたのなら手の平を返します」
悪戯っぽく笑ってアハト先輩はそう言った。
「私……神様が私の前に現れて「我を信じよ」って言うまで無神論者でいることにしています故……」
「素晴らしい思想だと思います」
「ですです。要するにどうやって要領よく手の平を返せるかが人生において大事なことだと思っていますので」
またしても閑話休題。
「では先輩……」
カモ蕎麦をすすって僕は言う。
「今回も先輩は死ぬと思いますか?」
「…………」
沈黙。
妥当だろう。
残酷な予想を突きつけただけである。
「すみません。問うべきではありませんでした」
頭を下げる僕。
「いえ、この沈黙は九十九を否定するものではありません」
「そうなんですか?」
「はい。ただ……三回程度じゃ何もわからないでしょう?」
「それはそうですね」
たしかに不謹慎な思想と断じることを認めたうえで、これを実験とするなら三回ではデータに意味を与えられない。
「とすると……ふぅむ……」
僕は考えたけど思考は纏まらず散逸するばかりであった。
馬鹿の考え休むに似たりとは僕のことである。
「でも因果の逆転はあるかもしれません」
とこれはアハト先輩。
「因果の逆転?」
「はい。つまり結果が先に有って、その結果に収束するように原因が落とし込まれる……という論法ですね」
「もう少しわかりやすくお願いします。お粗末な頭で申し訳ないですけど……」
「つまり『私が死ぬ』ということは決定事項で、そこに至る過程に意味はない……と言いたいんですけど」
「でもそれだとアハト先輩を助けられないってことですか?」
「そういうことになりますね」
「困ったなぁ……」
あんな思い……二度としたくないんだけど……。
「ともあれ三回くらいじゃまだ結論は下せませんよ。それより九十九……」
「何でしょう?」
「はい、あーん」
そう言ってオムライスを乗せたスプーンを僕の口元まで運んでくるアハト先輩。
「なんのマネです?」
「九十九と私は恋仲です。ならばこういう趣向もありかと」
学食に集まった生徒……特に男子生徒の僕を見る目に嫉妬と憤怒と殺気とを感じるのは気のせいかな?
*
同日、放課後。
僕は四月朔日が夕食を作っている間に百目鬼と二人してリビングでブレードランナーを観賞していた。
「という話を先輩としたんだけど……」
「ほう……」
「どう思う」
「面白いな」
「面白い……かなぁ?」
割と洒落になってないと思うんですが……。
「因果の逆転か」
「うん。因果の逆転」
「先輩の死は確定していて原因にさほど重要性は無いと」
「うん」
いやな喩だけどね。
「百目鬼はどう思う?」
「論外だな」
「論外か」
「論外だ」
「運命否定論者だもんね」
「冷静に考えてみろよ」
百目鬼は人差し指をピンと立てて教鞭のように振るう。
「お前……自身を構成している原子や電子の作用なんか気にしたことあるか」
「……いや、それは……」
無理な話だ。
「宇宙にとっての人間ってのはその比じゃねーぞ? 運命があるならそいつは間違いなくラプラスの悪魔の仕業だ」
つまり一挙手一投足全てが等しく繰り返されると。
「ここまで自由度が高いリセット現象に置いて結末であるアハト先輩の死だけが決定されていると考えるのは人間本位な勝手な理屈だ」
「……もうちょっとわかりやすくお願い」
「つまり自惚れるなってことだよ」
「自惚れ……」
「ああ」
頷いて四月朔日の淹れてくれたコーヒーを飲む百目鬼。
「人の死が運命によって決定されてるだぁ? はん! 本当にどこまで人間は図に乗れるんだろうな……」
「そんなことは在り得ないのかな?」
「当たり前だろ」
「なんかシュタゲ否定してない?」
「当たり前だろ」
コーヒーを飲みながら泰然と百目鬼。
「時間のアトラクタが個人の死に収束するなんて自惚れもいいところだ。なら動物も植物も細菌も……生物と物質の特性を併せ持つウイルスにも死が決定されているのか? じゃあ死が無い物質はどうなる? もし本当に死が決定されているのならやはり一挙手一投足全てが同じでないと理屈が合わねえだろうが」
「なるほど」
「つまり未来は無限大だ。自分の力量の及ぶ範囲で人は運命を変えられる」
「そうだよね。可能性は等しく無限にあるべきものだよね」
「そういうことだ」
「百目鬼……」
「なんだ?」
「ありがとう」
「礼を言われるようなことはしてねえよ」
「でもありがとう」
僕はホッと安心する。
「本当は先輩の仮説に絶望しかけていたんだ」
「先輩の死が決定してるって奴か」
「うん」
僕は頷く。
「正直なところ、打ちのめされた気分だった。僕は後何度も何度も先輩の死を見なくちゃならないのかって……」
「…………」
「だからそれを否定してくれてありがとう。僕、頑張ってみるよ」
「おう。頑張れ頑張れ」
そう言ってコーヒーを飲む百目鬼だった。
と、そこに、
「……九十九ちゃん……百目鬼ちゃん……御飯出来たよ」
と四月朔日が声をかけてきた。
僕と百目鬼はダイニングに顔を出す。
夕食が完成していた。
「「「いただきます」」」
と言って僕らは夕食を始める。
夕餉を始めると同時に四月朔日が僕に問うてきた。
「……九十九ちゃん……本当に明日先輩とデートするの?」
「うん」
「……そっか」
「そうだ」
食欲が無いのか箸の進まない四月朔日さん。
「四月朔日……どうかした?」
「……ううん……何でもない。……何かはあるけど……言わないよ」
無理のある笑みを浮かべる四月朔日。
「そ」
なら僕の言うことは何もない。
「あ、そうだ百目鬼……デートの件なんだけど……」
「俺が見繕ってやるよ」
「何の話題かも言ってないんだけど……?」
「デートに行く服が無いってんだろ?」
「よくわかったね」
「わからいでか」
そんなにわかりやすい性格なのかな僕……。
ちょっと複雑な気分。
まぁ友情には感謝するけどね。




