時間のバスチーユ05
次の日。
目覚めは最悪だった。
暗澹たる気持ちで朝日に向かい合う僕。
十月十四日の月曜日。
もうアハト先輩のいないこの世界で、僕は生きていかなきゃならない。
生きていけるのか?
本当に?
「はは……」
笑ってしまう。
この前の夢のように何事もなく金曜日に戻っていればいいのに。
そう思って僕はベッドの枕付近に置いていた情報端末を手に取る。
そして日付を確認する。
「……は?」
キョトンとする僕。
いやいや……。
え……?
十月……十一日……金曜日……?
僕の情報端末は確かに三日前の金曜日を示していた。
いやいやいやいや……待て。
僕は確かにアハト先輩に告白して、受け入れてもらって、デートをして、失ったはずだ。
ならこの状況は何だ?
十月十一日?
金曜日?
ふざけるのも大概にしてほしい。
胡蝶の夢じゃないんだ。
現実が夢で夢が現実で……そんなことはありえない……と思う……多分……。
いや……やっぱり夢……なのか……?
それとも……まさか時間が巻戻ったとか?
それこそまさかだろう。
僕は小説なら冒険活劇が好きであってSFにはさして興味はない。
「……???」
首をひねる僕の……その私室の扉が開いた。
「……九十九ちゃん」
恐る恐るといった様子で私室のドアを開いて中に入ってきたのはプリティフェイス四月朔日だった。
今日も相変わらず小動物のような雰囲気を纏っている。
「おはよう四月朔日」
「……ふえ……おはよう九十九ちゃん。……今日は寝坊しなかったね」
「色々思うことがあってね」
「……思うこと?」
首を傾げて四月朔日。
「四月朔日……」
「……なにかな九十九ちゃん……」
「今日は何月何日の何曜日?」
「……十月十一日の金曜日だよ?」
「やっぱり?」
「……今週も今日で終わりだね。……土日はどうする?」
「それについてはコメントは差し控えさせてもらいます」
「……ふふ……何それ……」
おかしそうに微笑む四月朔日だった。
男じゃなけりゃ可愛いと思っていたことだろう。
いやいや、そんなことはどうでもいい……ってことはないけど……それより重要な案件がある。
僕はいったいどうしたのだろう?
どういう状況に置かれたのだろう?
「……九十九ちゃん……難しい顔をしている」
「せざるを得ないからね」
「……何か悩み事? ……ぼくに話せること?」
「話してもいいけど……」
と、そこまで言って、
「そっか。そうだ。四月朔日……」
「……なに?」
「百目鬼は?」
「……ダイニングで朝ご飯食べてるよ?」
「よし……」
僕は頷いて立ち上がった。
「……あわわ。……九十九ちゃんが自分から起きちゃった。……珍しい」
失礼な野郎だね四月朔日。
とまれ僕は四月朔日を連れて百目鬼のいるダイニングに顔を出す。
ダイニングで味噌汁をすすっている百目鬼は相も変わらずクールガイで、ジャラジャラとお洒落にシルバーアクセサリーをつけていた。
四月朔日は、
「……じゃあ九十九ちゃんの朝食も用意するね」
そう言ってキッチンに消えていった。
僕はダイニングテーブルのいつもの席に座って肘をついて百目鬼を見た。
「百目鬼、相談があるんだけど……」
「なんだ。好きな奴でも出来たか?」
「うん。まぁそれも込みで話があるんだ」
「言ってみろよ」
僕は夢か現かもわからない二回の三日間のことを噛み砕いて説明した。
まともに話せば学校に遅刻してしまう。
要点は三つ。
僕とアハト先輩が付き合ったこと。
アハト先輩が死んだこと。
そして気付けばアハト先輩と付き合う前の十月十一日の金曜日……つまり今日にリセットされいること。
全てを聞いた後、百目鬼は味噌汁の椀をそっとダイニングテーブルに置いた。
「ふぅむ……」
と唸った後、
「仮説は三つあるな」
と百目鬼はそう言った。
「仮説?」
「ああ。お前が陥ってる状況に則した仮説が三つある」
「続けて」
「一つ目は言わずもがな。仮想体験をしたという説だ」
「仮想……体験……?」
「そ。仮想体験」
あっさりと言って百目鬼は焼き鮭の身を頬張る。
「仮想体験って……なに……?」
難しい言葉を使われたら僕にはお手上げだ。
「要するに六日間の夢を見ていたという説だな」
なんだ。
「じゃあ素直に夢だって言えばいいじゃないか」
「そういうわけにもいくか」
「どうしてさ?」
「お前の話が本当とするなら夢という言葉では片付けられない要素がある」
「?」
「一回目と二回目の三日間……今日の今が三回目だとしてな……には共通点が多すぎる。つまり単純に夢を見たってだけじゃ説明がつかないことがある」
「予知夢でも見たっていうの?」
「俺は運命論を信じないから予知夢説も却下だな。そもそも一回目と二回目の三日間はなぞりこそ同じでも細部にわたっては違いがあったんだろう?」
「それはそうだけど……」
「もし本当に予知夢なら一挙手一投足まで同じでなければならないはずだ。しかし三回目の……つまり今のお前はダイニングで俺に相談するという行動を起こしている。つまり予知夢ではない」
「なるほど……」
「さて、そうすると仮想体験説ってのが一番有力になるな」
「僕の体験は仮想だっていうの?」
「意識が覚醒したら時間が巻き戻ってたんだろ? 一番わかりやすく現実的な仮説だと思うがなぁ……」
「あれが……仮想体験……」
「そう。仮想体験……」
そう言って食事を続ける百目鬼。
「それじゃあと二つの仮説は?」
「一つはお前が懐疑している事項だろう?」
「?」
「つまり時間遡行説」
「遡行って何?」
「つまり時間が巻き戻ったって説だ」
焼き鮭の身をほぐしながら滔々と説明してくれる百目鬼。
「時間の巻き戻りなんてあり得るの?」
「知らん」
ですよねー。
「だが可能性の一つとしては考慮に値するな」
「そうなの?」
「仮説という前提条件付きでの話だ。何かの原因があって時間が巻き戻っている。そういう考えも無きにしも非ずってことだ」
「時間……遡行……」
呆然と僕は呟いて、それからハッとなった。
「その原因って?」
「知らん」
ですよねー。
「おおかた九十九が奇跡のパワーを得て件の三日間をやり直したいと思ったことが具現化したんじゃないか?」
てきとうなことを言ってケラケラと笑う百目鬼だった。
「時間の……巻き戻し……」
「仮説の話と言ったろう」
百目鬼はどこまでも淡泊だ。
と、そこに、
「……九十九ちゃん。……朝ご飯だよ」
と四月朔日が盆に僕の朝食を乗せて運んできた。
「あ、ありがとう四月朔日」
「……ううん。……これくらい何でもないよ?」
「それでもありがとう」
そう感謝して、僕は、
「いただきます」
と食事を開始した。
並べられた白米と味噌汁と焼き鮭を食べながら僕は百目鬼に問うた。
「じゃあ最後の仮説って?」
「ん~? 宇宙の再構築」
あっさりと、どこまでもあっさりと、百目鬼は言った。
「宇宙の再構築……?」
「そ」
言って百目鬼は味噌汁の椀を四月朔日に突きだした。
「おかわり」
「……うん。……百目鬼ちゃん」
四月朔日は百目鬼の椀を持ってキッチンへと消える。
「宇宙の再構築って?」
「そのまんま。宇宙を十月十一日の金曜日に再構築することだ。時間の流れはそのままだが宇宙の全てがやり直されれるという一点に置いては仮説として成り立つ」
「そんなこと可能なの?」
「仮説だっつっとろうが。その可能性も無きにしも非ずってだけだ」
「途方もない仮説に聞こえるんだけど。たかだか僕のやり直しのためだけに宇宙そのものを変革するなんて……。地球規模で再構築って言うならまだわかるけど」
「あのな。地球も太陽も太陽系も銀河系も高速で動いてるんだぞ? 地球だけ再構築なんてかましたら地球は宇宙の孤児になるぞ?」
「たしかに……」
頷かざるを得なかった。
「まぁ夢だと考えるのが一番手っ取り早いな。納得もしやすいだろう?」
「うん……まぁ……」
そう言って僕は味噌汁をすするのだった。
「……百目鬼ちゃん……お味噌汁」
四月朔日が百目鬼の分の味噌汁を注いでダイニングに戻ってきた。
「ん。ありがと」
そう礼を言って、百目鬼は味噌汁をすすり、
「うん。いい味。四月朔日はいい主夫になれるな」
皮肉るのだった。
「あう……」
と照れる四月朔日。
何故照れる?
そんな僕の疑問はともかく、四月朔日もまた自分の朝食を始める。
「……そう言えば、さっきから何の話をしてたの?」
と四月朔日は口を開く。
「ああ、九十九に好きな奴が出来たって話だ」
くつくつと皮肉気に笑う百目鬼だった。
「……九十九ちゃん……本当?」
「まぁ……間違ってはいないね」
四月朔日の疑問に、他に言い様もなく僕はそう言うのだった。
「……そう……」
憂いの瞳で四月朔日はそれだけ呟いた。
 




