The 5thゲーム③
「……………………そこか!!」
ガサっという、極々僅かな葉の擦れる音。
木々や植栽の生い茂ったしげみへと、逸馬が振り返ると同時に風船を投げる。
そこからほんの少し離れた場所から、愛姫が逸馬の側面に回り込むよう姿をあらわした。
「ハッハー! 俺の勝ちだ!!」
そう叫びながら、次弾を投げ付ける。
しかし、それを躱しながら愛姫が腕を振りかぶった。
「なっ!!」
隠し弾などなく、間違いなく水風船はもう持っていない。
その予想外の動きに逸馬が驚愕の表情を浮かべ、そして愛姫は腕を振り切る。
次の瞬間、複数の破裂音と共に、逸馬の全身はびしょ濡れとなった。
「は、はぁああああああああああ!?」
「ふふっ、私の勝ちね!!」
水飲み場の上に置かれた水風船が全て割れたことを確認すると、愛姫がしてやったりと言った満面の笑みで逸馬に近付いた。
最後に愛姫が投げたもの。
それは水風船ではなく、指先程度の複数の小石だった。
「てめぇ、反則だろ!! っていうかちょっと俺にも当たったぞ!!」
「ちっちゃいのばっかり選んだから別にそんなに痛くなかったでしょ。それに、あんただって木に当てたり地面に当てたりして風船割ってたじゃない。逆にしただけよ」
「だからって人が近くにいるのに砂利を投げる奴がいるか!」
愛姫が放った小石の散弾は、水飲み場の上の風船をことごとく割り切った。
残っていたのは取り回しの悪いパンパンに膨れた大きめの風船ばかりだったので、小粒とはいえゴツゴツとした小石の刺激でそれらは簡単に割れた。
特に、愛姫が勢いで作った小玉スイカほどの特大風船が中央に鎮座していたが、その威力は凄まじく、他の風船の破裂を巻き込んで大きな水しぶきになった。
「いいわけしちゃって見ぐるしいわね。大人しく負けを認めなさいよ」
「ぐっ……!! 確かに初心者の分際で頭を捻ったのは褒めてやる」
逸馬は苦し紛れで反則だと言ったが、何かを使って残弾の風船を割ってしまうという作戦は逸馬が子供の頃にも存在した。
遠くからパチンコ玉を使って狙撃するなど、当時では高等テクニックの一つとして数えられるほどだった。
「だがな、それでお前の勝ちってわけにはならないぞ」
「ふん、そんなこと言ってもあんたずぶぬれじゃない。それなのに負けてないって言うの?」
「あぁ、確かに俺の方が濡れてる。全身びっしょりだ。しかしな、この勝負の勝敗は、相手を如何に濡らすかじゃなく、どれだけ多く水風船を相手に当てたかで決まるんだ。最初に説明したけど忘れてただろ」
「わ、忘れてないわよ……」
「お前のことだから、少し濡らしてやればムキになって俺を濡らすことに気を取られると思ったぜ」
「そんなことないもん!」
否定しながらも愛姫の表情が僅かに怯んだ。
自分が風船をいくつ当てて、いくつ当たったか思い出そうとしてるようだった。
「お前が俺に水風船を直撃させたのは、背後からの一発のみ。で、お前が当たったのは何回だ?」
「えっと…………、あっ! 私もあの割れなかったのが一回だけじゃない!!」
「そう、一回ずつだ」
「じゃあ引き分けってこと? ふふふっ、引き分けなのにそんなに濡れちゃってバカみたい! あんたの負けみたいなもんじゃない!」
「はっはっはっ、本当にな、馬鹿みたいだよな。だけど俺の勝ちだとしたら?」
「なに言ってんの? あんたさっき引き分けって言ったでしょ?」
「現時点ではな。お前さ、このゲームがどうやったら終わりかちゃんと説明聞いてたか?」
「……たしか、風船が全部割れてなくなったら」
「本当に全部割れたか?」
「え?」
そう言われ、愛姫がキョトンとした表情を浮かべる。
そして、逸馬の「ほれ」という声と共に、愛姫の起伏の少ない薄い胸に、ポヨンとした柔いものが当たった。
軽く跳ねて足元に落ちたそれを、逸馬が踏み潰す。
小さな破裂音と共に、地面に僅かばかりの水が広がった。
「はい、俺の勝ちー」
「え、えぇ!? だって、もう風船は全部……」
「お前に投げて割れなかったやつだよ。お前が隠れてるうちに地面に落ちてたの回収しといたんだわ」
そう、不発に終わったピンポン玉サイズの極小弾。
逸馬は割れずに転がっていたそれを、念のため拾ってポケットに収めていた。
「でもさっきは引き分けだって……」
「勝負は全部の風船が割れるまでって言っただろ。だから、現時点では引き分けって言ったんだよ。分かったか? 俺が勝ってお前は負けたんだよ。ははは、ダッセー!! ドヤ顔で勝ち誇っちゃって恥ずかしー!!」
びしょ濡れでせせら笑う逸馬と、あまり濡れてはいないが顔を歪め悔しそうに歯噛みする愛姫。
「ぐ、ぐぐぐっ」
「ふは、くはははははっ! あーっはっはっはっはっ!! いいぞ、その顔だ! この負け犬のクソガキめが!! 俺の勝ちだ!! うはは、はーっはっはっはぁっ!! …………はー、ははは、この後会社戻らなきゃならねーのにどうすんだよこれ……」
ひとしきり笑い終えて我に返ったのか、目の前の現実に逸馬が乾いた笑いを漏らした。
勝負には勝ったが、引き換えに負ったダメージは相応に重かった。
あまりにマジなトーンで逸馬が呟くため、愛姫も冷静になり若干引いていた。
都心の真ん中で、雨でもないのにずぶ濡れの社会人。しかも仕事中。
取り返しが付かない感がすごかった。
「だ、大丈夫なのあんた……?」
「あぁ、うん、多分。暑いし、すぐ乾くだろ……。それに勝負での結果だし」
「え、えっと、ハンカチ使う?」
愛姫が珍しく逸馬に気を使う。
逸馬のやっちまった感が凄まじく、根の優しい愛姫はちょっと心配になってしまったのだ。
さらに勝負とはいえ、自分の攻撃によるものだったので罪悪感もあった。
「いや、いいよ。ハンカチぐらいじゃどうにもならないだろうし、なんか悪いし。あー、お日様、あったけーなぁ……」
ベンチに座り込みながら、半ば現実逃避気味に逸馬が呟く。
全身が濡れた状態ではさすがに肌が冷え、真夏の日光が心地よくさえあった。
逸馬から間を空け、ちょこんと愛姫もベンチの端に座る。
二人共先ほどまでと違い、濡れたせいで汗はそんなにかいておらず、苦痛ではなかった。
ジリジリと地面を照らす太陽。
公園を包む夏の空気とセミの声。
そして木漏れ日の射すベンチに座る幼女とおっさん。
「……なぁお前さ、夏休みの間ってどうすんの?」
「どうするって?」
「いや、学校もないだろうけど、一人でこの公園にいんのかなって」
「……」
愛姫が言葉に詰まって俯く。
「あ、いや、なんとなく聞いただけで」
「夏休みは忙しいの」
「え?」
「宿題もあるし、友達とも遊ぶし、お祭りに行って、プールにも出かけて、お母さんに映画とか海とか遊園地にも連れていってもらって、それで……」
「それで?」
「とにかく、忙しいからこんな公園に来る時間なんてない。だからあんたも来るのやめなよ」
「お、おう」
少し強めの語調で言われ、思わず逸馬がたじろぐ。
二人の間にやや気まずい沈黙が流れた。
数分後、沈黙を破ったのは逸馬だった。
「さてと」
「行くの?」
「いや、このままじゃさすがに戻れねぇよ。喫茶店でマスターにタオル貸してもらうわ」
「そう」
「お前も来るか?」
「え、なんで?」
「お前今日午前授業だったんだろ? 飯食ってないんじゃないのか?」
「そ、それは……。でも私今日は勝負に負けたし! どうせ食べさせてくれる代わりに何かしろっていうんでしょ?」
「ちげーよ。俺は腹減ってないし、タオルまで借りるのにコーヒー1杯じゃ申し訳ないだろ。別にいらないんだったらいいよ。それじゃあな」
そうぶっきらぼうに言い残して逸馬が公園の入口へと歩いて行く。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
そう言いながら、喫茶店に向かう逸馬に愛姫が着いていった。
店に入ると、びしょ濡れの二人をいつもの店主が柔和な笑顔で迎え入れてくれた。
プールの後のような程よい疲労感の中、いつものように言い合いながら二人は軽食を取った。
しかし結局、逸馬の服が乾き切ることはなく、会社に帰ると「そんなに汗だくになるほど頑張ってきたのか。珍しいな松井」、そう上司に言われた。
言うまでもなく皮肉である。