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The 14thゲーム

「……帰りたくないな」


 関東は近郊、海水浴場。

 砂浜で夕陽に照らされながら物憂げに呟く少女が一人。


 生麻愛姫。

 好きな運動は追いかけっこ。クラブ活動は屋外スポーツ。

 運動神経良好な健康優良児である。


「お前らガキと違って、俺やお前の母親は明日仕事なんだよ」


 そんな文字通り黄昏る愛姫の背中に声をかける男が一人。

 

 松井逸馬。

 中学生のときの部活は野球部。高校では軽音部の幽霊部員。

 今となってはすっかり身体の鈍った不健康体である。


 逸馬が着替え終わり外に出ると、愛姫は一人で砂浜に面した堤防へと腰をかけ、足をプラプラとさせていたのだ。


「お前、落ちたりすんじゃねぇぞ」

「大丈夫よ。あんたじゃあるまいし」 

「……」


 否定しようとしたところで、愛姫と同じ歳くらいの頃に見事に堤防から落ちたことが思い出される。

 小学生の頃の逸馬は、まさしくバカで元気の良い子供だった。


「他のやつらは?」

「お母さんが春香と小夏の髪乾かしてる。私は先に終わったから」

「へー、あいつら今日一日でずいぶん仲良くなってんだな」

「そっちは?」

「悪ガキが、どうせ女は準備が遅いんだろ、とか言って二人でどっか行った」

「ふーん」


 気のない返事をしながら、遠く、赤く色づく海面に視線を投げる。

 逸馬はそんな愛姫に並ぶわけでもなく、反対の方を向いて堤防のヘリへと腰をかけた。

 夕日で辺りも朱色に染まる中、一定のリズムを刻む波音が響いてくる。

 気温も下がり、海水のべたつきを落とした肌に風が心地よかった。


「そういえば聞きたかったんだけど、あんたってなんでロリコンなの?」

「は? なんだよ急に」


 逸馬の方を見る訳でもなく、海の方を眺めながら愛姫が口を開いた。


「ちっちゃい子が好きって、その、大人の女の人には興味がないってことなの?」

「そんなはずあるか。昔はべっぴんな彼女もいたっつーの」

「ロリコン、そんな嘘付いちゃダメよ」


 振り向いた愛姫に真顔で諭すように言われ、思わず堤防のヘリから腰を落としそうになる。

 嘘を付いたつもりはないのだが、愛姫にとっては信じ難い事実のようだった。


「まぁべっぴんってのは彼氏の贔屓目もあったかも知れないが、いつもの公園あるだろ? あそこから近い病院のナースでな、結構モテる子だったんだぜ」

「そんな人と付き合ってて、なんでこんな風になっちゃったの?」

「こんな風ってお前な。……まぁ、その頃はがむしゃらに仕事してて彼女に気を回せる余裕がなくてよ、愛想尽かされたんだわ」

「へー、あんたもちゃんと仕事してる時があったのね」

 

 愛姫が意外そうにしみじみとした様子で言った。


「事あるごとに悪態付くんじゃねぇよ。俺だってほんの数年前までは真面目にやってた頃もあったわ」

「なんで真面目にやらなくなったのよ?」


 少し眉を寄せながら、逸馬が懐かしむように口を開く。


「お前らからすりゃ俺はおっさんかも知れないが、社会的に見ればまだまだ若造なんだよ。それこそ20代なんて生意気なただのガキだったんだが、何を間違ったのか入社数年でそこそこの成績が出せるようになっちまった」

「すごいじゃない」

「ところがな、それを面白く思わない連中もいるわけよ。上からも若手で調子いい俺のこと引き合いに出されて詰められるわけだしな。だから、当時の先輩連中にやっかまれたのは別に変な話じゃねぇんだ」

「やっかまれるって?」

「ようは当て付けだよ。そんで、仕事やらミスやら押し付けられて、忙しくしてたら彼女にも振られたと、まぁよくある話だ」

「なにそれ! あんた悪くないじゃん!」

「社会なんてのはそんなもんだ。それで、仕事も放り出して彼女に病院まで会いに行ったんだけどよ、違う病院に異動になるしもう二度と会わないって言われちまった」

「……」


 何気なく言ってはいるが、当時の逸馬は酷く落ち込んでいた。

 愛姫には伝えなかったが、圧迫した仕事も関係し当時病床に伏せっていた父親の死に目に会うことも出来なかった。

 必死に頑張っていたはずが、何一つとして報われず、理解されず、それどころか裏目にしか出なかったのだ。

 無力感と世の中の理不尽さに、絶望感すら覚えていた。

 

「そんで、病院の広場でボーってしてたら、女の子に話しかけられたんだよ」

「女の子?」

「あぁ。小学校上がるか上がんねーかぐらいだったと思うんだけど」

「あんたまさかそんな小さい子に……」

「何もしてねーよ。年が離れた姉ちゃんみたいなのに連れられててな。その子なのか姉ちゃんの方なのか知らないけど、病気か怪我でもしてたんだろ。それなのに、落ち込んでた俺のこと気にしてくれて、『大丈夫? どっか痛いの?』なんて心配してくれたんだわ」

「……へー」

「そんで、飴くれたんだよ。『元気出して!』って。それがすげー無邪気な顔で、なんかひたすらに純粋な感じでな」

「……ふーん」


 当時、逸馬の周りにはそんな顔を向けてくれる存在はいなかった。

 自分に嫌がらせをしたり足を引っ張る先輩、愚痴や嫌味しか言わない同期、そんな自分の状況を理解してくれず、愛想を尽かした彼女。

 亡くなってしまった父親、自分を責める母姉。

 苦しい関係しかそこにはなかった。

 だから逸馬は、何気ないその幼い思いやりに、屈託のない笑顔に、胸を打つほど励まされたのだ。


「だからあれだよ、俺がガキを好きってのは、それが切っ掛けなのかもな」

「……やっぱり、そういう子の方がいいの?」

「は?」

「だから、そういう風に無邪気で、素直で、優しい子の方が好きなの?」

「はぁ?」

「だってあんた、小夏や千冬といるとき、……といるときより、嬉しそうじゃない」

「あ? なんだって?」

「……だから! 私といるときより、嬉しそうじゃない! そういう子の方がいいんでしょ! 今の私より、そうやって素直で可愛い感じの方がいいんでしょ!?」

「急にどうしたんだよお前。また訳分からねぇコンプレックスこじらせてんのか?」

「――っ! もういい!!」

 

 愛姫は堤防のヘリから下りると、逸馬に背を向けて駆け出そうとする。

 しかし、その細い腕を逸馬が手に取った。


「ちょっと待てよ」

「離して!」

「……もしかしてあれか。普段から俺が可愛くねーとか素直じゃねーって言ってるから、それ気にしてんのか」

「……」


 愛姫は答えない。けれど、その沈黙が肯定だと逸馬は判断した。


「あのなぁ、ガキってのはただ無邪気だからいいってもんじゃねぇんだよ。ガキだからこそ、成長するからこそいいんだ」

「……」

「小せぇのに、悩んだり、大変な目にあったり、遊んだり楽しんだりしながら、一生懸命に変わってくのがいいんだよ。ガキの頃からそのままの人間なんて誰もいねぇんだからな」


 逸馬は、ペットを愛玩するように幼い子供を愛でているわけではない。

 自分に都合良く、純粋に接してくれることだけを望んでいるわけでもない。

 葛藤して変わっていく幼さやひたむきさも含めて好きなのだ。


「お前は確かに可愛げないし、妙に小賢しいし、生意気でひねくれてるけど、ただなんつーか、……嫌いじゃねぇよ。一緒にいて暇もしねえ。それが今まで積み上げてきたお前の価値だろうが」

「……よく分かんない」

「アホか。そのままで良いっつってんだよ」


 珍しく、何の下心もなしに、自然と逸馬の手が伸びた。

 そのまま愛姫の頭へと手を乗せる。

 なんだかそうしたくなったのだ。


「っ、触んないでよ!」


 一瞬の間を空けて愛姫がそれを振り払う。

 背けた横顔が夕日に照らされて紅く染まっていた。


「はは、まぁガキにも大人にも言えることだけど、どんな形になろうとそれぞれの良さってのがあんだよ。純粋でい続ける奴も、足掻いて変わってく奴もな。ガキにはちょっと難しいかも知れないけどよ」

「なによそれ……。大人ぶって」


 普段のからかうようなものではなく、微笑ましいものを見るように逸馬が笑う。

 調子が狂ったように、「まったく、子供扱いして、まったく……」と、愛姫がブツブツと不満げに俯きながら呟いた。


「すみません、お待たせしました」

「見て見て愛姫ちゃん、紗妃ちゃんがね、小夏と春ちゃんの髪もやってくれたんだよ!」

「もう帰るだけだからいいのに」


 そんな二人の下に、帰り支度を済ませた紗妃たちがやってきた。

 小夏と春香の髪が綺麗に結われたり編まれたりしている。

 それは愛姫と同じく可愛らしいものだった。


「えへへー、お揃いだね」


 愛姫に駆け寄った小夏が背中に回って抱き付く。

 戸惑いながら満更でもなさそうな愛姫がコクリと頷いた。


「おーいおっさん! やべぇよ! バカでけぇカニがテトラにいてさ!!」


 興奮した様子で秋人が走ってくる。

 その後ろを千冬が眠そうな顔をしながら付いてきていた。

 

「分かったから、いつまでもはしゃいでんじゃねえよ。そろそろ帰るぞ」


 全員が揃ったところで、逸馬が荷物を載せながら車の準備をする。

 車に乗り込んだ後も愛姫たち子供グループは、しばらく今日のことを振り返って楽しそうに話していた。

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