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後編

 その昔、世界には魔法が満ちていた。人々が言葉を体得し、名付けを始めたときから、その〝力〟は歴史とともにあった。


「魔法使いたちは事物の本質をよく理解し、逆手に取って操ったという。そのために天空に浮遊する庭園や、水晶でできた宮殿などを造ってみせたらしい」


 ほかにも、水の流れを下から上へと変化させ、老いる身体を若返らせ、あらゆる病を根絶した。芸術も豊かで、人々は奴隷無しで安楽に暮らしてきたとのことだった。


「わたしはね、それほどの文明が滅んだ〈大海嘯(だいかいしょう)〉という現象を口惜しく思っている。この世の不幸はその時代の叡智(えいち)でほとんど解消できたはずのものだ。だとすれば、いまこうして諸国が分断され、争うことそれ自体が不毛な歴史の繰り返しに過ぎない。そう思うからこそ、わたしは魔法文明の遺物とその痕跡を持つ能力者を集めているのだよ」


 王の言葉は、説得力に満ちていた。自分が国を持つ理由を、魔術師を求める理由を、そして世界に覇権を持って何をするかを、明確に、丁寧に語って見せた。

 少女はしかし、疑いを持って反論した。魔術とは万能のものではない。それはかたちを持たないがゆえに、際限がない。大きな〝力〟とは、常に同じだけ大きな反動をもたらすのだ、と。


 これは実のところ、旅人がそれとなく教えてくれたことの受け売りに過ぎなかった。


 しかし王はゆっくりうなずいた。


「もっともだ。だからこそ、われわれは知らなければならない。〈大海嘯〉が無知ゆえに引き起こされたことならば、なおのこと知る必要があるのだよ」


 ──なぜなら〝力〟とは使い方次第に過ぎないからだ。

 無知であったことは罪ではない。

 しかし無知で居続けようとすることはそれ自体が傲慢(ごうまん)なのだ。だから、〈大海嘯〉という事実の一部始終を知っているとされる〈最後の魔法使い〉に、その全ての教えを()いたい、と。


(そうなのか……!)


 少女は感銘を受けた。

 だとすれば──


「──なんだ、こりゃ」


 秋色の木陰で安らぐ旅人の周囲に、無数の術者が顔を揃えていた。

 顔の見えない魔術師たち。そこから少女のすがたが現れるのを見つけると、一瞬だけ表情が凍りついたようだった。


「あー、そういうことね」


 頭をぼりぼり引っ掻く。その頭からふけが飛び散る様子は、首都暮らしに慣れ始めた少女にとってはひどく醜く見えてしまった。


(ほんとうに全部知っていたの? 〝力〟を持ち、知識を持ち、過ぎ去った時代の記憶すらも持っていてなお、わたしに何も教えようとはしなかった、というの?)


 ふつふつと腹の底で何かが(うず)いている。この蠕動(ぜんどう)めいたものが、怒りと呼ばれるものだとわかるには、少女の精神は幼すぎた。

 彼女はあごで、捕らえろ、と示した。旅人は観念したように魔術師たちの捕縛の術に囚われると、ゆっくりと王宮のほうへと歩き始めたのだった。


 すれ違うとき、旅人は無言だった。

 まるでそれがお前さんの出した答えなら、おれは何も言わないよと言っているような気がして、少女は心が痛んだ。


(なんだ、この気持ちは……!)


 問いを立てても、誰も答えをくれない。ただ背後で、タケダカソウが寂しく揺れているばかりだった。



     ※



「手荒なマネをして済みませんでした。しかしまさか、マルガレーテがあなたの弟子だとは思いもよらなかったですよ」


 魔術を封じる陣の中央に、旅人は鎖で身柄を拘束されていた。

 王は、旅人と鉄格子を挟んで相対する。謁見の間ではない。あえて王から地下牢に足を向け、衛兵その他すべての部外者に席をはずさせてから、こうして話に臨んでいる。


 つまり、一対一の問答だった。


「魔法使いには寿命がないと聞きます。そんなあなたでも、自らの技術の継承を求めるのですね。やはりほかの六人の魔法使いが居なくなってしまったことが、気に病まれているのでしょうか?」


 旅人は無言だった。表情に変化はなく、王とも顔を合わせず、ただ虚空を眺めるように茫然と座っているだけだった。


「やれやれ、だんまりを続けて、わたしにお喋りをさせようという魂胆ですかね? まあいいでしょう。魔法文明のことをどこまで知っているかについては、訊かれなくても話すつもりでしたから、別に良いんですけどね」


 そして、王は語り出す。華々しい黄金時代と評される魔法文明の栄光の数々を。その伝説と知識とを、すべて。

 もっともここには誇張もあると、王は踏んでいた。三十年前という近過去とは言え、現在の目線からの理想の投影だって少なくないだろう。だからその点、冷静に註釈を付け加えながら、彼は自らの知識を開示した。


「──別に魔法文明が理想郷だと言いたいわけじゃないんです。空腹が満たされれば喉が渇きますし、喉を潤せばもっと違う欲望に気付きます。そういうわけで、魔法がすべてを解決するというほど、きれいごとになるとは到底思えない。しかし、現実には飢えも渇きもある。だとすれば、魔法文明の〝力〟はまだ必要とされている、そう考えるべきではないでしょうか?」


 ここで、初めて旅人は気怠(けだる)げに、王のほうに顔を向けた。王は少しだけ気持ちが(はや)った。雲か(かすみ)を掴むようなこの男の意志をようやく手繰り寄せられる、と思ったのだ。


「しかし、わからない。かの文明が滅んだとされる頃から、わずか三十年──三十年ですよ! たったそれだけの時間しか経っていないにもかかわらず、魔法文明はものの見事に忘れ去られています。いくら年齢を重ねた魔術師に尋ねても、辺境の古老に問うても、『憶えてない』と来た。

 だとすれば、当事者だったというあなたに訊くしかない。あなたの記憶だけが、もはや頼りなのですよ。どうか、教えてほしい。なぜ魔法文明が滅ぶことになったのか? さもなくば、このまま時代は無知のまま魔術を掘り起こし、あなたの期待と裏腹に、同じ誤ちを繰り返してしまうことだろう」


 王は深々と頭を下げた。部下の前では決してできないことだった。


「──ときどき、いるんだよ。上手い質問をすれば正解を教えてもらえると期待するような、貴様みたいなバカやろうが、さ」


 旅人はとても冷ややかな目で、王を見下していた。


「そう言って、どれだけの人間を食い物にした? 貴様がほんとうに知りたいのはそんなチャチなもんじゃない。ちがうか?」

「やれやれ、だいぶまわり道をさせられた気分だ」


 王は膝を立てた。穏やかな眼差しで、旅人を見る。


「別に大したものではありません。わたしは生まれつき人の欲望に敏感なだけですよ。功名心に逸るやつには競争を与え、承認欲求の強い子供には名前を呼んで実力を評価してやる、それだけでみなわたしに付き従った。

 わたしはね、だから気になって仕方がないんです。もしこの世のありとあらゆる悩みや欲望がすべて解消してしまったとき、それでも人は何を欲望するのか、ということをね。おそらく魔法文明はそのせいで滅んだのでしょう?」


 旅人はふうっとため息を吐いた。


「まあ、大方まちがってない」

「だったら、早く教えてくださいよ」

「──人の不幸だよ」

「……は?」


 旅人はゆっくり立ち上がった。鎖の束ががしゃりと音を立てて落ちる。

 王は冷や水を浴びたように緊張した。捕縛の術も、魔封じの陣も、何ひとつとしてこの男の身を捕らえてなどいなかったのだ!


「欲望ってのは際限がないだろ? 際限がないってことは終わりがないってことだ。そうなりゃ人はいつしか飽きるし諦める。結論のない無駄話をいつまでも聞き入れられないのとおんなじさ。だから結論がぱっと見分かりやすくて、安心感のあることだけ人は求めるようになる。

 つまり、〝ああ、自分は不幸じゃないんだな。いま、ここにいることが幸せなんだな〟っていう現状維持の自己肯定感が欲しかったってわけ。それを立証する一番手っ取り早いものが、人様の失敗や不幸だったわけさ」


 旅人はそのまま鉄格子に近づくと、その網目状に出来た金属を凝視した。すると、格子の一角がみるみるうちに拡大されてゆき、扉と同じぐらいの大きさになったかと思うと、男はするすると抜け出した。


「すごいだろ? だから魔法文明の末期は必死こいて〝もっともらしい不幸〟を量産していたんだ。死ぬ間際の人間がどんなことに後悔するかとか、どんな不条理が人を怒りや悲しみに掻き立てるのかとか、そんな不毛な研究ばかりやってた。そうでもしないと、座ってりゃなんでも持ってきてもらえると勘違いした連中を満足させられないからな」


 王は尻込んでいる。さきほどまでの饒舌はすっかり引っ込んでいた。


「信じられねえか? まあこういうのはまじでなんでもかんでも満足した時代に生まれついてみないとわかんないだよな。不謹慎かもしれないけど。もしそう思うんだったら、人間に生まれつき備わってる、出来の悪い自己意識を呪うしかなくなるんだ」


 と、ここで旅人は牢屋の出口から、不穏な気配を察知した。


「さて、全部聞いてたんだろ、お嬢さんよ」


 かつーん、かつーんと階段を降りる靴音が聞こえる。そこから現れたのは、少女に他ならなかった。

 しかしその様子は、不自然だった。さながら関節から糸を引かれた操り人形のように、動かされていると言ったほうが正しい。


「十二年ぶりかな。いい加減、その子の口を塞ぐのはやめてやってくれないかね。てめえが最初からその子の身体に寄生してんのは、わかってんだからさ」

『気付いていたなら仕方ない』


 少女は口を開いた。外見に似つかわしくない低くて重い声だった。


「あ、あれはいったい……」

「魔物──魔法文明の遺産さ。さっき言ったろ? 理不尽でもっともらしい、誰もが納得するような不幸のかたちがあれだ」


 正体不明の絶対悪。人間に恐怖と悲しみを催すためだけに生まれた幻影。実害をなし、時に村や都市を丸ごと破壊してみせる人工生命体。いや、それを生命と呼んですら良いものか、どうか。


「あまりに豊かすぎる時代は、かえって不幸や不穏や不安を探して叩きまわるのさ。誰も自分が何者でもないってことに耐えられないんだからな」


 旅人はふわり、と地面を蹴ると、急速に間合いを詰める。


「今度は逃がさん」

『どうかな』


 途端、少女の目の色が変わった。魔物が少女の内側に引っ込んだのだ。

 旅人は一瞬だけためらった。しかしその隙を魔物は見逃さない。


 黒い風が、旅人の脇腹を掻っ捌いた。


 地下室に血しぶきが上がる。返り血が少女の頬に飛び散った瞬間、ふたたび彼女の目の色が変わった。


『ほう。魔法使いの血も赤いのだな』


 吹き飛んだ旅人に近寄り、とどめを刺そうとする。

 ところが、二歩、三歩と進んだとき、少女の瞳の焦点が合わなくなる。グラグラと揺れる視界のなかで、彼女は衣服の袖で、自分自身の首を絞め始めた。


『なんだ! よせ!』


 首から上が叫んでいる。しかし少女は諦めない。


(あんたが、あんたが、わたしの全てを奪ったんだ……!)


 旅人の血を浴びた瞬間、少女は思い出していたのだ。十二年前の、あの日、あの時。少女の身体に取り憑いたそれが、声を奪い、心配した村人を片っ端から切り裂き、皆殺しにし、柵を壊していったことを。

 少女はまだ幼かった。自分がすべての元凶だとは思いたくなかった。だから記憶を封じ込め、忘れたことにした。なかったことにしようとした。


(でも、もうわたしは逃げない)


 腕の力を強くする。痛い。苦しい。それに、とても悲しい。あの日に何もできずに人の死を目の当たりにしたことではない。ただそれを見なかったことにして、いままでのうのうと過ごそうとしていたことに、対してだった。

 それに比べれば、いまの痛みは全く気にならなかった。


『ァアァ……』


 白目を剥く。舌が伸び切って、口からこぼれ出そうとする。魔物は素早く防衛本能が働いた。このままでは間違いなく死ぬのは分かっていたのだ。

 だから、咄嗟(とっさ)に少女の喉を飛び出し──


 ──旅人の短刀の餌食になった。


「あばよ」


 蛇のようなかたちをしたそれの本体は、数秒間もがいて、力尽きたのだった。


 しかし、旅人も同時に(くずお)れた。


「おじさん!」


 少女は初めて、自分の意思で声を発した。自分でもびっくりするぐらい幼くて、儚くて、悲しい声だった。

 旅人は苦しげに笑った。


「おいおい、第一声でおれを『おじさん』呼ばわりってなんだよ……」

「ダメだよ、死んじゃ嫌だよ! わたしはもうこれ以上、誰にも死んでほしくない!」

「いいや、受け入れろ。これが現実だ」


 涙がぽたぽた流れ出る。喉がすでに裂けそうなほどに痛い。それでも、いま声を出さないと、この人は逝ってしまう。

 そんな少女の頬に、旅人は手を差し伸ばした。


「いいか、グレートヘン。出来の悪い娘よ。お前さんはようやく自分の言葉を勝ち取ったんだ。喜ぶと良い。今日がお前の誕生日だ。祝福したろう」

「なッ……」

「いま、悲しいか? 苦しいか? それをよく憶えておけ。歳をとるとそんなもんかとさっさと流してしまう。けどな、本当は『辛い』も『苦しい』も口に出して良いんだ。今度は目を逸らしちゃいけない。だから……」


 旅人はぐっと身を起こし、少女のくちびるにそっと口づけした。それからその身体を抱き寄せると耳打ちをする。


「記憶せよ、我が名は──」


 名乗り終えると、旅人は仰向けに倒れた。それが最期だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] きっと、出会うべくして出会った二人だったのだろうなぁ。 答えをただ求めるのではなく、自ら学び、失敗を乗り越え、成長した彼女はきっと彼を忘れないでしょう。 彼の想いが、教えが、いつまでも継承さ…
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