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前編

イセカイフドキ(@fudokift)さんの競作企画「祝」の参加作品です。

 時の(さざなみ)に耳を傾けながら此岸(しがん)を歩いていると、人気のない漁村を見いだした。

 廃墟なのは間違いないだろう。茅葺(かやぶき)屋根はほとんど()がれ、母家の壁は潮風に痛みつけられていた。しかし旅人は希望に(すが)りたくて足を向けてしまった。


 そして廃屋巡りを行い、結局誰もいないことを確認していく作業に入った。


「ここもダメか」


 首を振る。もはや死者を数えることは諦めていた。西の柵から南に掛けて足跡が続いているところを見ると、魔物の群れが歩いて行ったのだろう。

 おそらく昨日のできごとだ。渦巻く時の流れに耳を(そばだ)てていると、彼はこの村の歴史が途絶える場面を察知する。砂嵐のような音を掻き分けながら、悲痛な叫びを踏み倒されていく人の命を追憶した。


 〈大海嘯(だいかいしょう)〉以来、世界は変わり果ててしまった。


 魔法技術の氾濫(はんらん)が招いたかの災厄は、かつての首府を呑み込み、帝国の首脳部を決定的に破壊した。

 さらに、追い討ちを掛けるように各地の封印が(ほつ)れた。経年劣化した魔法陣の亀裂から魔物たちが湧き出すと、さながら蛆虫(うじむし)のように首無しの世界の遺体を食い始めたのだ。


 あとに残ったのは、ただ腐敗して土に還るのを待つばかりの人間界の有様だ。

 魔術師への恐怖と嫌悪から、人々は城壁や柵に囲われた集落で肩身を寄せ合って自己防衛に勤しんでいたものの、それはいたずらな延命措置に他ならない。資源と体力が尽きた街から自滅していくばかりだった。


 この村も、そうやって少しずつ疲弊(ひへい)していた。そこに疫病(えやみ)のように素早く魔性の存在が介入し、一気に滅びを迎えてしまったというあらましだった。


(これ以上思い返しても仕方あるまい)


 旅人は追憶を断ち切って、廃村を立ち去ろうとした。

 しかしそこで足を止める。そのとき初めて彼は、現実界の音を聞いたのだ。


 少女の(すす)り泣きを。


 ふと見ると、背中を切り裂かれたおんなの身体からくぐもった声が聞こえる。旅人が歩み寄り、死体をどかすと、骨と皮だけになったような少女がびくっと身を動かしたのだ。

 まだ小さい。三つか四つで、物心も付いたばかりだろう。つまり、初めて意識的に理解したものが魔物だったというわけだ。


(不幸な時代に生まれたものだ)


 旅人はこう思わずにはいられなかった。ようやく生存者に巡り会えたというのに、なんて残酷な感情だろう。我ながら虚しい感想だった。


「……死にたければそこにいろ。生きたければついてこい」


 それだけ言い残して、旅人は(きびす)を返した。



     ※



 最初はついてこないと思っていたのだが、百歩ほど進んだところで、ぱたりと倒れる音がした。

 それで、旅人は少女の生きる意志があることを確認した。だから彼は素早く彼女を介抱し、近くの洞穴で休ませたのだった。


 少女が目覚めたときには、日の光もすっかりなくなっていた。

 代わりに焚き火の(ほのお)がチラチラと蛇の舌のように壁面に揺らめいた。最初影の動きを魔物と勘違いした少女は、息を詰めた。しかしその声に反応した旅人のすがたを認めて、肩の力を緩める。


 旅人は何も話そうとはしなかった。ただゆっくりと少女の傍らに座って、焚き火に掛けた鉄鍋を眺めている。

 ときおり、木の柄杓で中身を攪拌(かくはん)すると、なんとも言えぬ(かぐわ)しい匂いが漂った。乳の香り。少女にはしかし、馴染みの薄いものだ。


 きゅるる、と音がした。まるで自分のものではないかのように白々しく聞こえた。旅人はそっけなく、「もう少し待て」とだけ言った。

 それからもうしばらく待たされた。やがて木製の腕に白くて湯気の立つ液体が注がれると、旅人から手渡される。


「熱いぞ、気をつけろ」


 少女は、しかしわけもわからず、衝動のままに腕を(あお)った。


「おい、バカ──」


 口の中に激痛が走った。少女は慌てて腕を取りこぼした。かしゃん、という音とともに汁が虚しく泥になる。その様子はとうとうと(つつみ)を超える河の氾濫にも似ていた。

 流れ出る液体は次第に、色を変え、夜の闇に溶けるにつれて、赤黒い血を連想させた。


 少女は頭の中が真っ白になった。


 思い出したくない。見たくない。聞きたくもない。知りたくない。あらゆる否定形が少女の中から(あふ)れ出し、どす黒い感情となって上書きされる。現実を否定する力。拍動する心臓から送り出される体液の流れを意識すると、それが見えない力となって、目の前の景色を否定するために動き出そうと──


「やめろ」


 ──したところで、少女の腕を掴む手があった。


「お前さんの〝力〟は、よくわかった。なるほどこれは大した才能じゃないか」


 我に還ると、少女の目の前には、巨神の拳でも撃ち込まれたかのような不自然な大穴が空いていた。

 旅人は左の頬に切り傷を付けている。上衣もボロボロになっていた。


「わかった。おれが責任を持って育てよう。お前さん、自分の名前は憶えているか?」


 少女は首を振った。無理もねえな、と旅人は言った。


「じゃあこうしよう。お前さんの名前は今日からマルガレーテ。グレートヘン、と呼ぶことにする。いいな?」


 良いも何もなかった。少女は無言でうなずいた。


 しかし、それが旅人の〝力〟だった。


 彼女は以来、何かに驚くときも、悲しむときも、あれほど唐突に〝力〟を発動することはなくなっていた。

 名前が自分を呼び起こしてくれるからだろうか。それまでの彼女は、怒りや悲しみや恐怖を感じたとき、自分の境界が無くなるような気分だった。氷が水の中で次第にかたちを失うように、自分とそれとの間がなくなり、まるで最初から同じものだったかのように、自分の意思でそれが動かせた。けれどもそれが次第に制御できるようになっていたのだ。


 ある日、旅人にこれがなんなのかを尋ねてみようと思った。しかしそのときになって少女は自分の言葉を持ってないことを知った。


「なるほど」


 旅人はそれだけ言うと、木の枝を拾ってきて、夜な夜な地面に得体の知れない線を引き始めた。それが〝文字〟というもので、言葉をかたちにする方法だと教わった。

 少女はまず自分の伝えたい感情を想った。それから感情の赴くままに枝を振るう。しかしそこにあるのは、文字ではない。ただぐちゃぐちゃに掻き乱された地面があるだけだ。


「決められたかたちがあるんだよ。おれやお前さんは、そのかたちを作ることで、初めて気持ちを伝えられる。おれの話してる言葉だって、決められたかたちに口を動かしているだけさ。それでも、おれの想いは自由だ」


 最初はどういうことかわからなかった。しかし少女はいったん我慢して、かたちに従った。するときれいにできたような気がした。旅人はうなずいて、「よくできたな」と頭を撫でてくれた。


 こうして十二年の月日が流れた。


 その間さまざまなできごとがあった。ふたりはいつしか旅路をともにする仲間になっていた。雨の日も風の日も歩き、ときどき廃村や人里に隠れるように軒下を借りた。人々は胡散臭い眼差しでふたりを見ていた。しかし旅人は皮の袋から薬草や貴石を取り出してうまく取引をした。

 少女はまだ自分の口で話せなかったが、背丈も伸びてきており、いつしか旅人の胸と同じぐらいの高さになっていた。


 目線も変われば視界も変わった。見ている景色は灰色で無意味だったのが、いつのまにか彩豊かになっている。文字や言葉が判るようになったからだろう。いつしか少女の眼差しは、道端の石や森に生える草の名前を素早く知り、その本質を見抜くほどになった。


(あれはタケダカソウ、背の高い雑草で秋口によく生える。だからもうじき秋が近いのかもしれない)


 口にはまだできなかったが、自分で想いを言葉に変えられるようにもなっていた。さながら粘土板に刻むように、自らの内面の額縁に想いを記すようになったのだった。


 内側を抑えられるようになると、自分の外側のことも理解できるようになる。少女は自分が幼い頃と、いまとでは時代が変わりつつあることもわかってきた。


 少女は知るよしもなかったが、すでに帝国が崩壊してから三十年が経っている。新しい国が乱立し、成長期の子供の歯のように無数に入れ替わっていた。

 新しい覇権をめぐった国家間の争いは、次第に多くの魔術師たちの名望の比べ合いにも発展していた。ときに人心を掌握し、ときに超自然の現象で戦争を有利に働かすそれらの〝力〟は、旅人や少女の持つそれと同じであることに薄々気づいていた。だから少女は一度、旅人に訊いてみたことがある。


 どうして人目を避けているのか、と。


 今まで自覚はしてこなかったものの、自分たちの持つ〝力〟は実は人に見せても怒られたりしない、誇るべき才能なのではないかと少女は思うようになったのだ。


「恐ろしいことを訊くなァ」


 旅人は、少女の書いた文字を読んで、頭を掻いていた。それからすごくしかつめらしい顔をして、「面倒だから」と答えた。


 ──でも、隠れる必要はないでしょ。


「お前さんの思ってることはわかるよ。確かにどこぞの(いく)さ好きやボンクラ文化人が抱えている魔術師のことを思えば、おれたちはもっと〝正当に〟評価されても良い、て言うんだろ。でもな、魔術ってそういうもんじゃねえんだよ」


 ──そもそも、魔術ってなんなの? わたしはなんでこんな〝力〟を持って生まれることになったの? どうして?


「何度も言っただろう。そこに答えはない」


 ──けち。


 少女は書いた言葉を蹴っ飛ばすと、むすっとしたまま立ち歩いた。旅人は両手を頭に回したっきり、木立の影から彼女を見送るだけだった。

 この点、旅人はいつまでも放任主義だった。少女の「なぜ?」に答えは決して与えず、彼女が自分で何かを見いだすまで黙して語らない。三日か四日戻ってこないこともあったものの、旅人はそれでものんびり待っていた。まるで自分には底知れぬ大洋と同じぐらいの広くて深い余裕があるかのように。


 当時は少女はあまりにも無知だった。世の中のことを知らず、魔術の使い方を知らず、何より自分のことを知らなかった。知ろうともしなかった。だから旅人無しでは生きることが叶わず、飽きた頃に戻ったのだ。

 しかしいまは違う。少女は旅人の道連れとして、多くの集落や国家の栄枯盛衰を眺めてきた。〝魔術師狩り〟と呼ばれる術者の処刑騒ぎや、集落に住む人々の暗い感情も目の当たりにした。かつて自分が住んでいた場所の記憶はもはや残ってなかったのだが、こうだったのではないかとも思わされた。自由になって良かったとすら感じたものだった。


(そろそろひとりで生きてもいいのかもしれない)


 こうして、少女は名を挙げつつあったある王国の首都に足を向けた。

 そこでは魔術師を名乗る術者を集め、〝力〟を競わせ、最も強いものを側近に置いている。まるで毒蟲(どくむし)を育てるような不気味な手続きを踏んでいるこの国は、しかし能力さえあれば素性は問われないということで、出世欲の強いものには楽園のような場所だった。


 少女はさっそく、王の側近の魔術師を三人ほど気絶させ、最も強い術者すらも瞬き三回で壁に張り付けて、実力を示した。

 これは、もはやいつでも王の寝首を掻けるという示威行為にほかならなかったのだが、王はむしろ静かな笑みを湛えて、ゆっくり拍手を送った。


「なるほど。声がないというのは不便だが、能力は確かだ。ここまでの術者が世に名を挙げてなかったのはかえって不思議なものだが、まあいい。名前は?」


 ──マルガレーテ。


「よろしい。マルガレーテ、きみをわたしの密偵に任命する」


 このとき、少女は名前を呼ばれることに喜びを覚えた。旅人以外に名前を呼ばれること自体が初めてだった。だから、初めて自分が自分であるように感じられたのだった。

 それは、さながら洞窟から差し込まれる日の光のように暖かい感情だった。


「ところで、さっそくだが、きみに頼みたいことがある」


 そんな気持ちを知ってか知らずか、王は口角を上げて、話しかける。いまの少女はすっかり王に心を明け渡していた。しかし、次に渡された指令には、顔を凍りつかせずにはいられなかった。


「人探しをしてほしい。なに、そんなに難しいことじゃない。ある男を探してほしいだけさ、〈最後の魔法使い〉と呼ばれる……」


 その男とは、他ならぬ旅人のことだった。

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