一日目 昼の4
静寂が、理科準備室を支配した。
俺の目線の先にいるのは、倒れた3人の女子生徒……静流=フィルバーン、西田朋美、東畑美樹。
俺の傍らには、佐田妹が半ばショック状態で固まっている。
俺はまだ意識のある静流……シリューに近づく。
「……シリュー、なんだな」
彼女はうなずいた。
「あたしの携帯電話の番号、教えとくよ……意識が落ち着いたら、連絡する」
「分かった」
彼女は番号だけ言い残し、力尽きたかのように意識を失った。
俺は、佐田妹を縛り上げていたロープを、硝子片を使って切ってやった。
「白木くん……」
「もう、もう大丈夫だ」
「何の騒ぎですか!」
第三者の声にはっとして入り口へ振り向くと、忍先生がそこに立っていた。
参ったな……俺には、この状況を先生に説明するだけの能力はない。
「その……先生、私、急に西田さんと東畑さんに襲われて……彼と静流さんが、助けてくれたんです」
佐田妹が、状況を四捨五入して先生に説明した。
「そうですか……分かりました。あなた方にも後程たっぷりとお話しを伺いますが、まずは西田さんと東畑さんに話を伺う必要があるようですね」
「先生……」
「白木くん、佐田さん、後は私に任せて下さい。まず二人は静流さんを保健室へ運んであげてください」
はたから見て、西田と東畑も保健室に運び入れなきゃならない状況に見えるが(とりあえず悪魔の姿の時に負った外傷は消えているようだが)、ともあれ俺達は先生の指示にしたがった。
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その後、俺達はそれほど深く事件について聞かれることもなく解放された。西田と東畑は俺達を襲ったことと理由を先生に説明し、後日謝りに来るらしい。
……起こった事が起こった事だけに、拍子抜けの結末だった。
「……ねえ、白木くん」
佐田妹が、下校途中に俺に問う。
「たっくんや姉さんに、お願いだから今日の事、秘密にして」
あいつらを巻き込みたくない、そういう配慮なのか、彼女はそう懇願した。確かに、卓真たちを巻き込みたくないのは俺も同じだ。だけど、
「……なんでだよ」
状況は、恐らく俺達だけでどうとなる事態をとうに超えている。西田と東畑が現実拡張装置をどこで手に入れたか分からず仕舞いだ。黒幕の次の標的が佐田姉に、卓真にならないと断言できまい。そして、静流=シリューもまた、完全に味方とは限らないだろう。
「黒幕は分かってない。俺は、少なくともあの二人には真実を説明すべきだと思うんだ。出来るか、真希」
たとえ、妄想だと笑われようとも、俺達の経験したしたことをあの二人には共有しておきたい。いざという時、確実に仲間になる人間を作りたいのだ。それが、卓真達の為でも、何より俺達の為でもある、俺はこの時はそう信じていたのだ。
俺は、あえて彼女の事を名前で呼んで、卓真たちを敢えて巻き込む重要性を理解させようとした。
「……うん」
佐田妹、いや真希は、納得したのかしないのか、軽くうなずいて俺の前から足早に立ち去っていった。
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黄昏時、俺はふとあの6年前の出会いを思い出して河川敷へ行く。思えば瑞樹ちゃんが好きなのも、なんとなくあの『黄昏の女神』の面影があるからだ。
……護岸に足を投げていると、携帯が鳴り出した。シリューに教えてもらった番号からだ。
「もしもし」
「……もしもし……どーも、この通信機器の類って慣れないね。ずっと遠くの人の声が聞こえるのって不思議な感じよ」
「ま、そうだな、シリューたちの世界じゃそのあたりの技術は衰退してるだろうし」
推測で俺は言葉を紡いだが、相手から返ってきたのは意外な言葉だった。
「いや、現物はいくらでも見たことはあるの。それにトランシーバーだったら使ったことが有る。……でも、本当に、本当にこの小さな板で離れた人と会話が出来たんだ、この時代は……」
強い感銘を受けた口調でシリューは言う。なるほど、現物はあるけど中継局が機能していないって事ね。……って、小さな板ってことはこいつスマホ使ってんのか。
「スマホなのか……そうか……ってちょっと待て、時代ってどういう事だ?」
俺はそこで、彼女の付けた言葉尻の違和感に気づきハッとする。
「……本題に入っていいかな?いくつか、重要な事をあなたに話しておく」
「重要な事?」
「まず落ち着いて聞いてほしいんだけど、あなたが夢としてみた『私達の世界』。あれは、この世界の……あたしがこうして介入する前に辿る歴史の、20年後の姿なの」
「何だって!?」
20、年後……?
「このままの歴史をたどっていれば、世界規模の破滅が地球を襲う。あとはあなたがあの世界で見た通り」
「……マジかよ」
信じられなかった。20年の時を超えていることはもちろんだが、この日本があんな姿になる運命にあるなどと想像できるものか。
「あたしは歴史の特異点となる人物を救うため、あなたが『夢』としてあの世界を見ているように、『夢』としてこの世界に介入している……その特異点こそ、あなた」
「俺が!?」
再び驚愕。何故俺が特異点なんだ、どういう事なんだよ……
「そしてそれは成功した……今日の深夜1時半、トラックに轢かれて死ぬはずだったあなたを、あたしが救出したんだ」
「トラックに轢かれかけたのも、夢じゃなかったのか……」
もう、その時点で歴史は変わっているのか、じゃあ……
「あなたの生存により、この世界はあの世界とは別の時空を持つようになったはず。それを確かめ、なおかつ今日の出来事のようにあなたを死に追いやろうとする『歴史の修正力』から護るのが、今のあたしの使命」
「……話が壮大すぎて分からない。お前がここに存在するだけで非現実的なのに、俺は今日の出来事をひっくるめてどう受け取ればいいんだ」
俺は率直に意見を述べた。ハッキリ言って今俺が巻き込まれている状況、全てが理解できない。
「この世界は昨日までの世界とは変わってしまったの、受け入れるしかない」
昨日までの世界からの断絶、別離……そもそも、そうなってなければ俺はここにいないというのか。俺はその事実にりつ然とする。
俺は今日の世界に存在してはいけないのではないか。俺はここにいていいのか……
「…………」
「長くなっちゃったね。傍受の可能性を考慮して今日はここで切ろうかな。……ありがとう、今日はホント、あなたに助けられてばかりだった」
「そりゃお互い様だろ……じゃあ、また夢で逢おうな」
だけど現実として、俺とシリューはここにいる。いるからには戦わなければならない、『この世界』を『あの世界』にしようとする者達と。俺は彼女の話をひとまずそう理解し、協力することを決意した。
「うん」
電話は終わり、俺は家路につく。
太陽は、あの日と同じように、血のように赤い光で大地を照らしていた……
*歴史の特異点 本作は、二つの時空を跨いだ展開が行われるが、両者をわがつイベントとして『白木起継の生死』を置く。起継が生存している時点でシリュー達のいる20年後には歴史は繋がらないはずだが、二つの世界が産まれたのか、あるいは歴史はシリュー達がたどったものとは違う形で20年後へと収束していくのかは不確定であり、それを確認し、出来れば20年後の世界が、自分たちの見知っている世界になる事を防ぐのが静流=シリューに与えられた目的である。その中には『白木起継に迫る脅威の排除』ももちろん含まれている。