港町目指して
港町目指して進む二人。
淡く互いを意識しつつ先を向かいます。
「見て下さいラインバルトさま、カモメがいっぱい飛んでいますよ」
食堂室で食事を終えて、ハルカは少しだけ気分が優れてきたようだった。外に出て舳先に向かうと、指先で空を舞うカモメをさして楽しんでいる。
(……良かったな。ちょっとだけは気も紛れたみたいだ)
無邪気にカモメを指さして笑う彼女を見て、ラインバルトも嬉しくなる。ついさっきまでは酷かった。船乗り仲間達を助けれなかったのを思い出して、せっかく自分で作ったシチューの前でずっと泣いていたのだから……。しかしラインバルトが何とか話かけたり笑わせたりした為少しだけ持ち直して。今では彼女の大好きな海に気持ちが向いている。
(まぁあれだな。せっかく器量良しの美人さんなんだ。笑っていてくれた方が良いもんな)
ラインバルトも「お、確かにカモメだな」と彼女の隣に並びながら空を見上げる。
「これなら後少しで俺の漁村近くの貿易港につくな……」
ラインバルトは水平線を見つめつつ答えた。
「そうなのですか?」
「あぁ。この潮の流れはうちの漁村付近に向かっている流れでな。沖合いではぐれた新人の漁師が良く助けられているんだよ。
うちの漁村から近い――といっても半日ぐらいはかかる所には大きな港町もあるしな。潮の流れと風が味方をしてくれたら後少しで着くさ」
この辺りの海域の知識を一通り語るラインバルトに、
「それは凄いです!」
ハルカは顔を綻ばせ素直に感動した。
「あ、あぁ……まぁな……」
そしてラインバルトはさっと顔を背けた。
「ラインバルトさま、どうなさいましたか?」
「な、何でもねぇよ。まぁあれだ! 海風が目に滲みただけだ!!」
「……? そうですか?」
きょとんとなるハルカちゃんに、
(ちきしょう可愛い娘さんじゃねぇか!)
ラインバルト、何とか劣情を抑え込む。全く……いい歳こいたおっさんが若い娘さんにお熱とは情けない。しかしこの娘さん……控えめなのに元気があって可愛いものだ。いや、待て待て。落ち着かなければとラインバルトは必死になる。
「そう言えばハルカちゃんよ。あんたは何で海に飛び出したんだ?」
とにかくその劣情を逸らせる為に、ラインバルトは話題を彼女の大好きな海に向けた。
「え……海に出た理由ですか?
それはもちろん。海が好きだったからです」
案の定。彼女は大好きな話題にあっさり食いついた。
「私の一族は代々行商人の家系だったのですが……家族や『お兄さま』の行商話で海の話を聞き続けていたら行商人になるより船に乗って海と共に生きてみたいと強く思うようになったのです」
潮風に艶やかな黒髪を踊らせながら、彼女はラインバルトにはにかみつつ答えた。この潮風だというのに、彼女の髪は何故か全く傷まないのが不思議だった。
「それで何で白魔導士になったんだ?」
「私は一族の中でとっても強い魔力を持っていたからです。だからお師さまに白魔法を習っていたからです」
「お師さま?」
「ルーティス・アブサラストという白魔導士さんです」
「へぇ。あの伝説の『還流の勇者』と同じ名前の白魔導士さんか……」
その名前は良く聞いた事があった。有名な伝説だ。誰もが小さな頃は聞いた昔話、『還流の勇者伝説』に記された名前だ。確か魔王を倒した勇者にして白魔法の達人という謂われが今に残っている……。
「はい。偶然だとは思うのですが……お師さまも最高の白魔導士でした」
「若い男か?」
何か少しだけ、良い気分がしなかった。
「まだ八歳でしたが……それでも私より魔力も魔法の術式も構築も完璧でしたね」
何だ、八歳か。まぁそれはそれで凄いが……とラインバルトは安堵した。
「それで私は大好きな海の上で白魔導士の才能を生かせないかと考えて……今の貿易船に乗せていただいたのです」
あ、ヤバいな。ラインバルトはぴくりと感じた。今の貿易船の話はまずい。彼女がまた思い出してしまうからだ。
「そーいやハルカちゃんはどこの国出身なんだ?」
ラインバルトはまたしても話題を逸らせた。
「え? 私の生まれ故郷ですか?
故郷は『タカマ』という極東にある島国です」
これは効果があったらしく。ハルカは出身地の話題に乗ってきた。
「タカマ?」
「はい。タカマの国です。私はそこに住んでいました。
私の生まれ故郷、私の誇りである国です!」
さぁっと吹き抜ける海風に黒髪をなびかせて。彼女は自分の故郷を笑顔で誇る。この時の彼女はまさに女神に見えた。ラインバルトは知らなかったが……『タカマの黒髪は世界の至宝』と讃えられし評価の理由が、そこにあった。
「……私は故郷を離れなければなりませんでしたが……。
それでも。私の大好きな国、美しい桜と椿の咲き誇るタカマはずっと私の心の中にありますから……!」
うっとりと熱を込めて自分の国を語るハルカ。ラインバルトには彼女が眩しかった。生まれ故郷を誇り、大好きな海を誇り語る彼女がとっても眩しかったのだ。しみったれな人生の自分には、誇り高く生きている彼女がとても羨ましかった。
「……そう言えばさっきの話だとタカマって島国なんだよな?」
そんな中、ふと彼は疑問に感じた。
「はい。島国ですよ」
「……タカマの国ってな、そんな大蛇がいるのか?」
ラインバルトはハルカの着ている『一枚の白い蛇革ローブ』を怪訝な様子で指差した。何故ならこのローブ。彼女の腰まであるにも関わらず白い蛇の一枚革で作られていたからだ。いくら彼女が小柄でも、だ。巨大な蛇じゃなければこんなローブは作れないはずだ。尋ねたかったのはただそれだけだった。
それだけだったはずなのに……。
「え……? あ、いやこれはその……!! これは……えぇっと……!!」
ローブの胸元を押さえて、ハルカは赤面した。……何か悪い事でも言ったのかな? ラインバルトは狼狽えた。
「あ、あーそのあれだ! その蛇革、すっごい綺麗だぞ!!」
だからつい、彼女をなだめる為にローブを褒めた。
「え……? ほ、本当ですか……?」
「ホントホント! そのローブ無茶苦茶ハルカちゃんに似合っているし綺麗だぞ!!」
「……そ、そうですか? ありがとうございます!! これ褒めて貰えて嬉しいです!!」
(……あれおかしいな? 俺はローブを褒めたのに……? 何で自分が褒められたように喜んでいるんだ?)
やけに満面の笑顔で彼女が鼻歌を歌いながらくるくる回り踊って喜んでいるその時に。中央マストの天辺にある吹き流しが方向を変えた。
「お、いかん。帆を張り直さないとな。ちょっと縄を引っ張ってくるぜ」
ラインバルトはそれに反応して、中央マストに向かいタールの染み込んだ縄を手に取った。
「えらい事重いもんだなこりゃ」
縄を引っ張り、ため息をつくラインバルトに。
「元々帆船は皆で動かす物ですから」
ハルカも縄を引きながら苦笑していた。
しかし……。
「ん……中々、くぅ……動かないですね……!」
ハルカちゃん真っ赤な顔で縄を引っ張るも、力があまり無いのか帆はびくともしなかった。
「任せときなってハルカちゃんよ。これでも力はある方なんだから」
ラインバルトは苦笑してハルカから縄を預かる。
「よ、よろしくお願いいたします……。私は手の皮が剥けてしまいましたから……」
「魔法で治しておけよ」
謝るハルカにラインバルトは気にしないといった風だ。
「……しかし帆が破れているせいか速度が出ないな」
ラインバルトは穴が空いた帆を見上げて呻く。こうした船には詳しくは無いが……今この船の速度は全然なかった。
「これだと造船所に入渠させないと駄目ですよね……」
何とか手のひらを治しながら、ハルカはため息をついた。
「造船所に入れても直るかどうか怪しいぞ? もうほとんどボロボロだからな……」
「……お金も、ありませんしね……」
ますますため息の止まらないハルカちゃんに、
「ハルカちゃんの魔法では直せないのか?」
ラインバルトは疑問を向けてみた。
「……これだけ大規模な修理だと回復の魔法は時間がかかりますし、短時間で無理やり治したら私も魔力と生命力を使い果たして死んでしまうかも……」
「やっぱり止めだ。その意見は無しで頼む」
ハルカの物騒な答えをラインバルトは否定した。それも全力で。
「お金もありませんし、皆さんも居ませんし……せっかく成人して海に旅立ったのに……私、運が無いですね」
何だかんだで運が無いのは俺だけじゃないのだなと、ラインバルトはハルカちゃんに深く同情した。
「あれ? ハルカちゃんはもう大人なのか?」
ふとその時。ラインバルトは疑問に感じた。
「え? 言っていませんでしたか?」
ハルカはぱちくりとした。
「いや、かなり若く見えたからよ……失礼だったな」
ラインバルトは謝罪した。
「あ、構いませんよ。私はちゃんと『十六歳』で成人していますから♪」
明るく笑って答えるハルカちゃんだ。
「うん? 十六歳?」
「はい。十六歳です。私の国は十六歳で成人ですから」
「……そ、そうか。ハルカちゃんは十六歳か……」
彼女に気があった自分に、若干引いて冷静さを取り戻したラインバルト。さすがに歳が離れ過ぎているのだから。
「そうだハルカちゃん。そろそろ舳先か見張り台の上で前方を見てくれないか? 多分港町が見えてくるはずだからよ」
「あ、はい」
ハルカはそう答えると舳先へと向かう。
「……確かに見えますよ!
ラインバルトさまぁ!! 左舷の方向に陸地が見えますよー!!」
彼方を見据えながらハルカ。
「そりゃ良かった。舵を頼む」
「はーい! 取り舵を取りますねー!! 取り舵いっぱーいっっ!!」
そう返すと彼女は舳先の舵輪を思いっきり回したのだった。
お互いがお互いに惹かれているとはまだ感じていないみたいですね。