100文字小説 21-30
二十一
朝の通勤ラッシュ。ヒールが折れて階段で転んだ。
昇進祝いに自分で買った。身長だけでも男に負けないようにと七センチにした。
「そんなんじゃ仕事できないでしょ?」
脚ばかり見てくる脂ぎった上司の顔が浮かぶ。
ヒールをぎゅっと握りしめ、私は満員電車に乗り込んだ。
二十二
「これから川に捨てに行くんです」
ニット帽の男は、聞いてもいないのに話しかけてきた。押していた台車の上には水色のクーラーボックス。
「うっかり死んじゃいましてね。可愛がってたのに……」
なるほどペットか。犬か猫か。まさか人ではあるまい。あのサイズに、大の大人が収まるわけないじゃないか。
二十三
あくびが出るのに眠れない。眠れなくて焦る。焦れば焦るるほど眠れない。またあくびが出る。
時計を見ては、あとどれだけ眠れるかを考える。刻一刻と睡眠時間は削られていく。
窓から光が射し込む。今日も寝不足のまま行くのか。
あくびが止まらない。
二十四
食べ残したチキンとケーキを片づけていた母親は「あっ」と言って、娘を窓際に呼んだ。雪である。
「ホワイトクリスマスかあ」
父親もやってきて空を見上げる。暖房で火照った頬がひんやりとして心地いい。幸せな家族には、地面で冷たくなったホームレスの姿は目に入らなかった。
二十五
「たま子さん、もっと僕のそばへおいで」
彼女は俯きながら、白くて丸い体を大介に寄せた。
火傷するほど熱い湯の中で、二人の周りだけはいっそう熱かった。向こうでは蒟蒻と巾着餅が激しく討論している。
「大介さん……私達たち食べられる時は一緒よ?」
まもなくおでんが煮える。
二十六
この宇宙空間で人間はあまりに無力だ。船外活動中にデブリに飛ばされた私は、ただ待つしかなかった。
米粒ぐらいの地球がかろうじて見える。
「あれから何時間過ぎただろうか……」
感覚が曖昧になっていく。自分が本当に生きているのかさえわからない……。
二十七
カウントダウンが始まる。告げるなら今しかない。
一〇、九、八、七……言わなければ来年もこの人と過ごすことになるのだ。
彼の手をそっと離した。
「あなたと別れたいと思うの」
わたしの声は、新年を祝う歓声と彼の笑顔に掻き消された。
二十八
俺は人間の心の声が文字になって表示されるアプリを開発した。渋谷のスクランブル交差点でこれを実験した。
平和だ。眠いとか何食べようかとか、学校の課題の心配や好きな人のこととか、日常のことばかり。
穏やかな気持ちで家に帰ると、妻が笑顔で迎えてくれた。
俺はアプリを消去した。
二十九
一月二日は息子の誕生日だった。予定日は元旦だったが、愚図ってなかなか出てこなくて、日付が変わってようやく産まれた。
「ハッピーバースデー」
と言って、手を合わす。初詣の後はケーキを買って息子のお墓に供える。それが私の家のお正月の習慣である。
三十
「虹色の流れ星?」
「カブト山の上から見れるんだ。見たいか?」
久しぶりに繋いだ祐ちゃんの手は、大人みたいに大きくなっていた。最近はお祖父ちゃんの漁を手伝っているらしい。
「今夜見れなかったら、また連れてってくれる? 夏休みには島に遊びにくるから」