第3話『選択』
「ジロウ、、くん、、だよね?」
明美の声が聴こえた。
自然と涙が溢れた。
目が赤くなって恥ずかしい。
明美は俺のことを
「くん」づけして呼ぶことはなかった。
小学生から高校2年生まで、
ずっと呼び捨てだった。
フラれてからは話すことも無かったが。
ずっと思い続けていた明美の声。
明美の仕草。
封印していた自分の気持ちが溢れてくる。
恋い焦がれていた気持ち。
いや、別れているのに
こんな感情になるのは気持ち悪いか。
ストーカーみたいだ。
俺は涙を拭く。
「人違いですよ。」
そう言って、明美の側から立ち去るため、
電車から降りた。
「あっ、、」
明美はこちらを見ていた。
俺だと気づいてるみたいだが、
一緒に居るのは気まずい。
こりゃ急がないと面接は遅刻だな。
そう。明美は生きている。
谷本先生が2年2組で起こした事件で
亡くなったのは、
サトシだ。
2年前のあの日、俺が「明美!!」
と声を発した直後、
谷本先生が教室に現れた。
そして、谷本先生は小さな声でこう言った。
「目の前で知らない子供が殺された。
うちの子も殺されたくない。すまない。」
そう言って、谷本先生は
明美に向かってナイフを刺しに行った。
すると、
「何してんだお前!!」
隣にいた田口が、咄嗟に谷本先生の腕をつかんだ。
ナイフは明美に当たったが、
田口のお陰で明美のケガは致命傷にならなかった。
しかし、谷本先生の手元が狂った結果、
ナイフがサトシに刺さった。
谷本先生はすぐに刺さったナイフを
サトシの身体から抜き、
再度明美を刺そうとした。
その瞬間、田口が谷本先生を椅子で殴り、
裕美がナイフを回収したことで、
その場は収まった。
しかし、ナイフによる出血で
サトシは亡くなってしまった。
谷本先生は、サトシに対する殺人罪、
明美に対する殺人未遂罪で起訴された。
教室内の殺人で、多くの生徒の心を
大きく傷つけることになった。
何よりサトシは亡くなっている。
そして、ケガが治っても
明美の心の傷は一生消えないだろう。
このような悪質な行為が
懲役10年にしかならなかったのは、
谷本先生が心神耗弱であったと
判断されたかららしい。
なぜそれで刑が軽くなるのか
俺には納得できない。
明美と出会ったことで、
当時の記憶がよみがえった。
俺のせいで、サトシが、、、
あの時、俺は凄まじく嫌な予感がした。
その予感が谷本先生の犯行のことだったのか。
そうだとして、なぜ、それを予感できたのか。
それは分からない。
第六感というものなのか。
しかし、俺は何もできなかった。
谷本先生を止めることもできなかった。
明美を守ることもできなかった。
俺が明美に声をかけ、
サトシが俺を止めようとしなければ、
サトシが死ぬことはなかっただろう。
なぜ、サトシが死ななければならなかったのか。
俺が明美に声をかけるという行動を
選択したからなのか。
事件から数日経ち、
俺は人生をリセットしようと思った。
1から、いや0から人生をやり直す。
そうしなければ、自我が保てない。
自責の念や罪悪感に押し潰されそうだった。
いや、それを言い訳に
学校を辞めたかっただけなのかも。
いずれにせよ、リセットしたかった。
リセットとは自殺のことではない。
自殺は大切な命を奪うという意味では
他殺と同じだと思っている。俺はしたくない。
もちろん、そうせざるを得ないほど
追い詰められる人も中にはいるが。
俺にとってのリセットは、
まず自主退学をすることだった。
そして、事件の調査をして、
自分の中で踏ん切りをつけること。
決して事件を解決するためではない。
俺は自分が可愛いのだ。
自分を守りたかったんだ。
サトシのためでも、明美のためでもない。
俺は逃げたんだ。
そんな自分が情けなくてたまらない。
友達の連絡先も全て消して、引っ越した。
そして、できるだけあの事件を考えないように。
これが自分にとってのリセットだった。
しかし、ほとんど毎日あの事件の夢を見た。
あの事件は俺にとってもトラウマだった。
そう考えていると、面接会場についていた。
5分前だ。いろいろ考えていたせいか、
緊張はしていない。
求人票を見て、
医療機器のメーカーであることを確認する。
今さら確認している自分のテキトーさに嫌気がさす。
面接では、自己紹介や志望動機などが一通り聞かれた後、
面接官からこのような質問があった。
「今、暴走したトロッコが走っている。
その先には10人の人がいる。
このままでは10人がひかれて死んでしまう。
スイッチを押すと走行ルートが切り替わって
10人の命は助けられる。
しかし、切り替わった走行ルートの先には
1人の人がいる。
スイッチを押すとその1人がひかれて死ぬ。
その合計11人の人は、
声をかけても絶対に気づかない。
1人か10人。
どちらかが死ぬのは確実な状況。
そして、その11人に知り合いはいない。
スイッチを押せば10人は助かるが
1人が死んでしまう。
押さなければ10人が死ぬ。
君がスイッチを持っていたら、
押す?押さない?」
なんだこの質問。
面接なのに哲学的というか。
別に正解なんて無い質問だ。
なんか、どこかで聞いたことがある。
が、それについて深く考えたこともなかった。
あ、これは「トロッコ問題」というやつだ。
誰から聞いたんだっけ。
初めて聞いた時は多くの人を助けるために、
スイッチを押すのかな。
と自分の中で消化した気がする。
でも、その時の俺は、いつもと違った。
「切り替わった走行ルートの先にいる1人の命を
犠牲にすることはしたくないです。
人の命を手段?というか道具として見たくありません。
ですので、スイッチを押しません。」
なんだか、それっぽいことを言った気がした。
すると、面接官からこう聞かれた。
「なら、10人のところが、
100人、1000人、1万人だったらどう?」
うーーーん。
なんか、いじわるな質問だな。
こんなことを聞く企業には行きたくない。
心の中で毒づきながらも、こう答えた。
「1000人なら、押すかもしれません。
先ほど言った理屈なら、
押さない方が良いかもしれませんが、、
なんかすみません。」
矛盾しているかもしれない。
けど、俺にはロジックだけで
簡単には割り切れなかった。
「なるほどね、、、良いと思うよ。」
えっ?
意外と良い反応。
その後も、いくつか質問がされ、
「きみ、すごく良いね!気に入った!
うちに来てもらえないか?」
まさかの好評価。
「え?第一面接なのに、、、
ありがとうございます。」
「明日は空いてる?」
「はい。空いてます。」
「じゃあ、明日の同じ時間もう一度来てくれ。
社長には私の方から言っておく。
そこで、君の入社意思が確認できたら、
正式に内定を出すよ。
月額20万円。
年収は各種手当てを含めて300万円だ。
残業手当次第ではもう少し伸びるかも。」
19歳で中卒の自分には、
もったいなさ過ぎる好条件だ。
むしろ不振に思う。怪しい、、、
「はい。ありがとうございます。
あの1つ伺いたいのですが、
私のどこを評価していただいたのですか?」
「私も、たくさんの人を見ている。
その中でも君は、
特に物事を深く考えることができる。
それも、その若さで。
我が社は、人命に関わる重大な機器を作っている。
多角的視点も大切だが、
1つの物事を深く考える人材を探している。
特に、人の命について深く考える人。
営業にもそういう人が欲しい。」
「そう言っていただき恐縮です。
ありがとうございます。」
こうして、何とか面接が終わった。
ここで働きたい。俺はそう直感した。
ここで働いて多くの人の命を救いたい。
自分のモチベーションも上がった。
俺は、ここで働くために生まれたのかな?
真摯に自分と向き合い生きてきたら、
何か良いことがあるのかな?
そう考えたりもした。
しかし、明日、俺は重大な選択をすることになる。