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子育てちゃんぽん亭

吉備の国語り

作者: 秋野 木星

桃太郎?

 大陸から落ち延びて来た王の一族は、土着の民と交わりながら次第に日の国に根を下ろしていた。しかしこの王の一族は、琵琶湖の西方へ巨大な都を築きながらも西へ東へと触手を伸ばすのを止めなかった。

大陸での民族間の争いを経験していた者たちは、ぬるま湯のような暮らしを送ろうとはしなかった。いや、出来なかったのである。身体中の細胞の一つ一つに侵略、支配の遺伝子が組み込まれていたのだ。


津彦(つひこ)、お前には西方の国を制してもらいたい。」

帝である務李滋威命(むりじいのみこと)に命令された津彦は、西へと旅立つしかなかった。帝は母親の違う異母兄だ。桃花御前(ももかごぜん)と呼ばれる我が母は、父親の大勢いる側室の一人だった。山奥の村で年老いた両親と暮らしていた桃花は、川遊びをしていた時に行啓(ぎょうけい)に来た先の帝に見初められたのだ。

後ろ盾のない自分には、正室腹の兄の命令に逆らうことなど許されない。


祖母の手作りの黍餅(きびもち)と祖父が用意してくれた御旗(みはた)を持って、(わず)かばかりの供を連れ、津彦は西へと道を辿っていった。しばらく行くと犬飼(いぬかい)の里というところで、実直そうな男に出会った。この男は鼻が利くらしく津彦の持っていた黍餅(きびもち)をくれと言ってくる。なんと図々しい男だと思ったが「私は犬を操って必ずや津彦様のご期待に添える戦働きをしてみせます。」と言うので、黍餅を分けてやって雇い入れることにした。

この男の名前を犬養剛(いぬかいつよし)という。


何匹もの犬を連れた犬養剛が供に加わって、津彦たちはさらに西へと歩を進めていった。険しい山にさしかかったところで木の上からバサッと津彦の前に降りて来た者があった。「御前、失礼つかまつります。我が名は猿飛左介(さるとびさすけ)。忍びの者でございます。津彦様の家来になると黍餅(きびもち)を頂けるようですな。是非とも私を供に加えて下され。そちらの犬などには負けぬ働きをしてみせます。」その言葉に犬養と猿飛は(にら)み合ったが、津彦が二人を(なだ)めた。この二人は犬猿の仲と呼ばれ、寄ると触ると喧嘩をしていたが津彦への忠誠は本物であった。


猿飛左介(さるとびさすけ)率いる忍びの集団も加わり大軍勢になった津彦たちが吉備の里に着いたのは夜更けの事だった。すると大勢の足音に驚いた()せた男が(やぶ)の中からよろよろと歩いて出て来た。

「私は鳥目なので暗くなると物事が良く見えません。しかし匂いはわかります。貴方様はまことによい匂いのする食べ物をお持ちのようだ。どうか私に一つ恵んでください。私は雉宮忠八(きじのみやちゅうはち)と申す者。空も飛べますし走るのも早いです。必ずや貴方様のお役に立って見せます。」

津彦はこの変わり者の御仁(ごじん)も雇い入れることにした。


津彦が居を定めた所は、「一宮(いちのみや)」と名付けられた。津彦も名を改めてこれより「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」と呼ばれることになった。黍餅(きびもち)の「キビ」にちなんでこの地を「吉備の国」と呼ぶことにしたのだ。


吉備の里には大豪族が住んでいた。

鉄を作ることのできる朝鮮半島からの移住者を部下に持つこの豪族は「温羅(うら)」と呼ばれ領民に慕われていた。

北に中国山地、西に九州山地、南に四国山地に守られたこの瀬戸内の地は、穏やかな気候と豊かな海の幸、山の幸に恵まれていた。

その豊かな地に突然やって来た流れ者たちが、この里を都のものであると言い張ることなど許せるものではない。


温羅(うら)一族は「黒尾(くろお)」の山に山城を築き、徹底抗戦の構えを取った。

吉備津彦命(きびつひこのみこと)はこれを待っていたのだ。まず、鉄を作って山城に供給していた「久代(くしろ)」の作業場を潰す。これには竹藪から走り出た雉宮(きじのみや)の働きが功を奏した。


そして温羅(うら)一族が(こも)った山城を「鬼ノ(きのじょう)」と呼び敵の怒りを(あお)った。

鬼ノ城の温羅一族から矢が放たれた。その矢は見る見る大きくなって吉備津彦命(きびつひこのみこと)に向かってくる。吉備津彦命も渾身(こんしん)の力を絞って矢を射た。この矢も段々と大きくなって温羅から放たれた矢とバシッとぶつかった。この二つの矢が落ちたところに「矢食いの宮」という社が出来た。


矢では勝負がつかないと思った両者は、肉弾戦でぶつかることになった。鬼ノ城から「おおーーーっ!」と駆け下りて来た温羅一族と一宮から一気呵成(いっきかせい)に攻め立てて来た吉備津彦命の軍勢は、「天井河原(てんじょうがわら)」で決戦になった。おびただしい血が流れ、川が真っ赤に染まったので、この川は「血吸川(ちすいかわ)」と呼ばれるようになった。後世になって掘り返しても赤い土が出るほどの激戦だったのだ。犬養剛(いぬかいつよし)もここで命を落とした。刀を構えた温羅に「話せばわかるっ。」と言ったのだが「何をあろうっ!」と切りつけられたのだ。


しかし鉄の供給を断っていた吉備津彦命の軍勢に一日の長があった。

とうとう温羅(うら)(おさ)は首を獲られ、一宮から少し離れた丘の(ふもと)にその首は埋められた。しかし元はこの吉備の里は温羅一族のものだったのだ。その無念に首は毎夜「おーっおーーーっ。」と地の底から呻き声を上げ続けた。

この御霊を鎮めるために、帝はその首を埋めた地に「吉備津神社(きびつじんじゃ)」を建てることになった。


さて、吉備津彦命(きびつひこのみこと)たちがどうなったかというと、吉備津彦命は「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」に祀られる神となった。猿飛(さるとび)一宮(いちのみや)からほど近い「備中高松(びっちゅうたかまつ)」に居を構えたが、時代が下って同じ猿の名を持つ武将に子孫が水攻めにあうことになる。

犬養(いぬかい)の飼い犬で逃げ延びた者たちは「中庄(なかしょう)」の地に隠れ住んだ。そこからは近代になって総理大臣が生まれることになる。変わり者の雉宮(きじのみや)の子孫の中にはライト兄弟よりも早く空を飛んだ二宮忠八(にのみやちゅうはち)という男もあった。



時は移り変わり吉備津彦命(きびつひこのみこと)は桃から生まれた桃太郎として、温羅(うら)は鬼として都の人に語り継がれるようになった。

しかし吉備の国では、「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」より「吉備津神社(きびつじんじゃ)」に参る人が多く。「桃太郎まつり」より「温羅(うら)じゃ」の方が愛されている。


レンゲが咲き乱れる吉備路をサイクリングで巡るとこんな物語に出会えるのです。


秋月忍さんの「おとぎ話を改造しよう」に触発され、遊んでしまいました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは凄いですね~♪ 実際の言い伝えなどを元にまとめられたのですか? 楽しかったですよ~。 私も書いてみようかな? と思いつつ、短編に纏められる気がしない……。(-_-;)
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