デイルさんは帰りたい 1〜仕事後の一杯のために勇者人形は頑張る〜
本編を見てからの方がより楽しめます。そうあの熊の話です。
物事とは、日々の行動の積み重ねである。
枝を伸ばし花を咲かせては珠玉の実をつける。その後、熟れた果肉と共に種を落としてまた芽吹く。
この繰り返しを僕ら植物は気の遠くなるような時間、積み重ねて日常を作っている。
そして動物たちもまた、多少の差異はあれどもそんな日々の積み重ねの中を生きている。
僕はいつもの道を今日も歩いている。
道といってもか細く、まるで蛇のようにうねっているそれはいわゆる獣道で慣れない人間にはどこにあるかさえわからないだろう。道の傍には今も羊歯植物が生い茂り、苔むした巨石には小鳥の魔獣が三羽が毛づくろいをしながらお喋りに興じている。
『ねえ聞いた?山向こうの熊の一家の話』
『聞いた、聞いた。お子さんまだ小さいのにね』
『なんの話?わたし、知らないわ』
『あらそうなの。じゃあ、教えてあげる。実はね、山向こうになわばりを持っている熊の一家がいるでしょう』
『ああ、それなら知ってる。私達の親の世代に流れてきたのよね。群れは番い一組とこの春生まれた子供が一人よね』
『そう、その一家。なんでもこの数日間、その坊やがまるで見当たらないんですって』
『滅多になわばりの外に出てこない母親が心配して探してたって聞いたから、きっと本当なのよ』
『まあ、怖い』
『やっぱり人間かしら』
『こんな山奥に誰が来るっていうのよ。きっと魔族よ』
『それにここら辺は魔女の住処よ。人間は入れないわ』
『じゃあどこにいるのかしら子熊ちゃん』
『さあ』
『無事だといいけど』
『『ねえ〜』』
さえずっている鳥たちはデイルを見つけると、我先にと肩や頭に止まりだす。
『あらデイルさんよ。こんにちは勇者人形さん。今日も見回り?』
「そうだ」
『あらそっちで喋るの』
『いつものようにお喋りしましょうよ』
『そうよ。ほら、わたし達みたい』
一羽が唄うようにピュルルと鳴く。
『うるさいぞ、小鳥共。焼き鳥にされたいか』
服や頭を糞まみれにしたり髪を啄ばみ、光を反射し煌めくデイルの目を隙あらば突つくこいつらがデイルは大嫌いだった。
『まあ、こわーい』
『こわいわあ』
『こわいこわい』
そういうと、鳥たちは楽しそうにデイルから飛び立っていく。
その様子を見届けてデイルはいつの間にか止めていた歩みを進めていく。
森の中をさらに進んでいくと今度は小さな沼に出た。沼の半分は紫の光を放つ苔に囲まれている。周りには朽ちて久しい倒れた木とその脇に若い仙桃の木が一つ生えているきりの静かな水辺だった。
この沼は数年前からわりと知能の高い魔物が住み着いており、貴重な水場であるにも関わらずその魔物のせいで生き物が寄り付かない。
彼はその沼を迂回する道を進み、さらに山の中へと入っていく。
沼を回った先には大きな岩があり、その陰には数年前の嵐で倒された木がまだそのままにされていた。中身は朽ちており、外側だけを残してガランとした倒木があるきりだった。
彼がその木を通り過ぎようとすると、そのがらんどうから見知った蛇女が音もなく顔を出す。
『おや、こんにちわ。ダンナ、今日も見回りかぇ?』
デイルが声のする方に振り向くと、そこには上半身が人間の女性で下半身は大蛇という奇怪な魔物がいた。
女は妖艶で美しく、髪はぬめるように日の光を反射する青紫をしていた。彼女はその髪を三分の一の量を右耳の上で団子にして木製の簪でさし飾っていた。残りの髪は腰まで届くほど長く流しっぱなしにして風に揺られている。
彼女の種族はナーガラジャという。名前はヴァスケイといい、この辺りに40年以上前から住みつき始めた魔物である。
『失せろ』
デイルは、彼女のことを信用していない。
なぜなら彼女は、デイルが油断していると光り物だと言って彼の銀色の目をくり抜こうとするから油断できない。
嫌いというよりかは、怖いが先にたつヤツだった。
『おやおや、ダンナ。ずいぶんと、まあご機嫌がななめなこと』
『そう見えるか?』
『そうさ。自分が後に来ておきながら失せろだなんて。失礼しちゃうねぇ』
『すまんな。お前が嫌いなのも理由の一つだが、さっき嫌な話を聞いたんでな』
ヴァスケイの日頃の行いから、デイルは歯に衣をきせるつもりはない。
『ああ、鳥共の噂話ね』
ヴァスケイも、嫌われている自覚はあるから動揺はしない。
『迷子の子熊のことかい?ならちょうど良いやね。旦那に見てほしいのがあるのよ』
『なんだ?』
『ほら、あれ』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・苔が青々と健康そうで何よりだ』
『なに言ってんだい。その横だよ。横』
『やはり、そちらじゃないとダメか』
知らず、彼の口から長いため息が漏れる。
デイルは、目の前の現実から目を背けたくなった。
だって、おかしなものを見かけてしまっただもん。
とか、心の中でかわいく言ってみた。現実逃避だ。
ここから右に見える先に大きく拓けたところがあった。
先月までそこは野生のゴーレムの住処だったのだが、百年ぶりの繁殖期になって生まれたところへ帰ってしまったのだ。気が向けば戻ってくるとか言っていたが、それでももう少し先になるだろう。
そんなゴーレムの元住処に、何か動く者がいる。
距離はまだかなりあって、普通なら何をしているのかわからなかった。だが、不幸なことにデイルの目はとても良かった。
米粒より大きく見える者と米粒程の者が何かを叫びながらくっ付いたり離れたりしている。
さらに不幸なことに、精霊のデイルと魔物のヴァスケイにとってはその距離なら声すらも聞き取れた。
「ぬるいわっ」
「ン〜〜(訳 はいっ、先生)」
人間の女子が、子熊と相撲をとっていた。
デイルは、残念なことに非常に残念なことに少女の方を知っている。
貴様が何故ここにいると、叫び出したくなる。
彼女は、現在の彼の主人であるロザーリアが育てている少女。あの男こと、アルフォンス・ケットルノームの孫娘で名は確かロザリーという。
半年ほど前、突然わが主が連れてきた。どうやら弟子にするらしい。当初は“あの”、相手の神経を逆撫でする為に生まれてきたような男の孫娘だと聞いて身構えていた。しかし予想とは違い、この半年ほどで意外にも手伝いをかってでたり気遣いのできる気だての良い優しい娘であることが分かって安心していた。のだが・・・
『まあ、なんだ。完璧なヤツなんてそうそういるもんじゃないってことだな』
『あれですよ、ダンナ。多くを他人に期待し過ぎちゃいけやせんってことですかねぇ。あの悪魔に似てないだけで御の字にしましょうや』
どうやらヴァスケイは、どこからか彼女があの男の孫娘であることを知ったらしい。奴の被害者の会の一員は伊達ではない。
『復讐、するなよ』
『ダンナぁ、冗談をお言いでないよ。あたしゃ、正気のまま天寿を全うしたいんだよ。そんな怖ろしいことする気も起きないね』
どうやらこいつは、奴に対しての闘争本能を叩き折られた人種らしいと分かりデイルはヴァスケイを彼女を守る上での警戒対象から外した。
それならば安心だと、彼は子熊の方へと視線を向けた。
子熊は幼体で、いかにもがんぜない。
脚や首の太さから将来性は有るものの今はどう足掻いて中型犬ほどの大きさしかない。
そんな見ていて和みそうな二人が何故か取っ組み合っていた。
『人間風に感想を述べてもいいだろうか』
『かまやしませんよ』
『あったまいてー』
『ひゃひひ、そうだろうねえ』
何をやっているのかは理解している。だが、現実を直視したくないとデイルの頭が拒否をしている。
「どうした!貴様の熱意はその程度か!」
「ン〜〜〜!!(訳 うわあ〜〜〜!!)」
転ばされた子熊は、つたなくも起き上がりまたロザリーにまた体当たりを繰り返す。
『ホント、なにやってんだかねえ、あれ』
『鍛えているんだろう・・・な』
『や、そういうことじゃねえでしょうよ』
デイルは、ヴァスケイの言いたいことをとても分かっていた。
だが、口に出したくはなかったのだ。
なんか、すごく面倒くさいことになりそうだから。
だが、認めないわけにはいかないだろう。なぜなら、デイルはロザーリアからこの辺りの管理とロザリーのある程度の安全を任されているのだから。
「まだまだっ」
どうやら恐ろしいことに、ロザリーはあの一見がんぜない子熊を鍛えてやる腹積もりらしい。
言ってはなんだが、あの魔獣の一族に訓練なぞ必要なのだろうか。甚だ疑問だ。
デイルとヴァスケイは、複雑な気分であの二人の様子をさらに観察することにした。
意外だったのは、その子熊の表情の中に彼女への信頼が見てとれたことだ。
怯えを含みながらも子熊は、素直にロザリーの言葉を聞いている。
子熊の性格は臆病で素直、そして好奇心旺盛といったところか。
獣の子として、至極一般的な気性だ。
栄養も魔力も行き届いた艶やかな黒い毛並み。人の太ももの倍はあろうかという大きい両手足。指先からのぞく紫色の爪は子供にしては太く、魔獣ではない大人の熊ほどの長さ鋭さがある。力んだ拍子に口から覗く魔力の詰まった牙は先が薄緑色に輝いている。
本当に、将来が有望な子熊だと二人は思った。
そしてとても気づきたくない恐ろしい事実だったが、ここから見る限りあの子熊はマッドベアと言われる魔獣の一族だと推測される。
人からは通称《山の覇者》とも呼ばれて山に入る人間たちからは野営をするにあたりもっとも恐れられ魔物内では《黒きモンスターペアレント》または《愛妻熊》と呼ばれる種族だ。
成体の大きさは、一言で言えば巨大。成長した牡ともなると人間の男二人分を楽に超える高さになる。重さもまるで質量保存を無視したような超重量だ。
以前、近くの村に迷い出てきた流れ者のマッドベアが駆除されたことがあった。その時も痩せた中型にも関わらず馬が五頭いてやっと動くほどの重さだった。
一説によれば、筋肉に魔力を溜め込んでいるためあの重量なんだとか。
性格もかなりくせ者で、牡はなわばり意識の強くて一度暴れだすと手が付けられない。それは小柄で穏やかな気性の雌や幼い子供を守るためいつも気を張っているからだ。
ここで人間の間で有名な個体の話をしよう。
ある親熊が子供を攫おうした密猟者を見つけてその一団が潜伏していた小さな街ごと人々を八つ裂きにし、家屋を壊滅し尽くしたという。
親子が去った後の街は瓦礫の山と化したとか。
ぱっと見は、でかい熊にしか見えない。だが、そこはやっぱり魔獣で獲物を仕留めるための攻撃に特化している。
魔力を纏った風で繰り出す強化した咆哮は大抵の生き物なら風圧でぺしゃんこにしてしまい、爪はただの鉄なら豆腐のように切ってしまう。
さらにもともと熊という動物は意外にも俊足でもちろんこの種族も例外ではない。四つ足を使った全力疾走だと少なくとも馬と同じ速度にはもっていける。
頭も賢く、知能は下手な人間より高い。こっちが言ったことは大抵が理解出来てしまう。一流どころの傭兵や冒険者でもわりに合わないといってまず仕留めたがらない国際法で準一級指定災害獣に位置づけられている。
本気にさせると一匹で警備のなっていない街なら半日で壊滅できてしまうのだから当然といえば当然だろう。
本当に、訓練する必要などなさそうにデイルは思う。
よく見ると、ロザリーの手足が鍋つかみのような厚手の生地で覆われている。爪で引っかかれたのか所々綿がはみ出ており、その奥に仕込まれた物は金属が輝きを放っていた。
どうやら中に、真鍮製の金属板が使われているらしい。
『まさかこの為にわざわざ作ったんでしょうかね。あのお嬢ちゃん』
見当違いの熱意に呆れるより感心する二人。
その間も彼女たちの訓練?は続く。
「重心は、もっと、低くと、言っただろうがぁぁっ!」
「ンマァァ(訳 すいませえぇん)」
『あ、投げた』
ロザリーは掴んできた子熊の後ろに引いていた右足に両手で組み付き子熊より腰を低くした瞬間、すかさず掴んでいた足を持ち上げて天高く投げた。
子熊は、美しい放物線を描き枯れ葉と泥の山へと投げ飛ばされた。
『しかも落下地点に集めた落ち葉の山とか、器用なことで』
彼女はあらかじめ用意していたのだろう。他にも、よく見れば大きな岩の上には綿入れを置いたり段差の所にはロザリーが持ってきたのだろう荷物が積んであった。
「何をしている、立て!」
ロザリーから出てくる言葉が妙に芝居がかっている。
「ンー!(訳 まだまだ!)」
そして、子熊もたいがい乗りがいい。
デイルは自身の心の平穏のため、できればやめて欲しかった。
だが、ノっている彼女たちに外野の願いなど届くはずもなく。盛大なごっこ遊びは続く。
「いいか。この世は常にお前に不利に出来ている!何故ならお前は小さく非力だからだ。」
成獣になればでかさはお前の三・四倍になり、殺傷力はン十倍なる逸材なんだがな。と教える奴はあいにく彼らのそばにはいない。
「ンア〜!ンっ(訳:その通りであります!教官どのっ)」
本当に、壮大なごっこ遊びである。
「そうだっ、前に出した足にではなく後ろにした足に力を入れろ。腰は低くくして全身の力をつかえ!」
「ンフー!!(訳:ふんぬー!)」
ロザリーの言っていることをなんとなくわかるのか、子熊は指示通りに彼女にしがみ付き全身で彼女の足にしがみ付く。
『・・・』
デイルは一生懸命な二人をもう一度見て、仕方ないとばかりにため息をこぼす。
ロザーリアからはできる限りロザリーの思うようにやらせてやりたいと相談されていた。
子熊が嫌がっていれば引き離しただろうが、その様子はまるでない。今度は張り手の練習をし出した二人はどこか生き生きとして見えた。
『おや、止めないんで?』
『・・・いや』
当たり前のことだが、連れて来られたばかりのロザリーに気心の知れた知り合いや友人がこの辺りにいるはずもない。
子熊の方も同様で種族柄一度の出産で産める子どもが一人二人の熊にとってはどうしたって遊び相手には事欠くのが現状だろう。
それに過保護になりがちなマッドベアの子熊は狩りができて初めて親のなわばりから出させてもらえるから社交性を養う機会はあまりない。
兄弟がいれば少しは違うんだろうが、あいにく彼の親である若い番いは彼が初めての子どもで彼は今年の春に生まれたばかりのひとりっ子だ。
もしかしたら、二人とも遊び相手が欲しかっただけなのかもしれない。
そう考えると、デイルはもう少し様子を見てもいい気がしてきた。
現状維持にすることに決めたデイルは、子供の遊ぶ場所や機会を提供するのは大人の役目だと思っているので子熊の親のと話し合いのために今日は早々に見回りをきり上げて山向こうへ行くことにした。
いくら親熊が山一つ向こうにいるとはいえ、気は抜けない。何も知らない親熊にロザリーを見咎められれば、彼女の安全は保証されない。
『しばらくあのままにする。僕も見に来るが、お前も暇をみて様子を気にしてやってほしい』
『おやあ、ダンナから頼みごとなんて珍しい。ついにその目をくれるんですかい?』
『やらん。だが、まあこれから世話になるからな。後で何か見繕ってこよう』
『あやぁ、本当かい。嬉しいねえ』
ヴァスケイは嬉しさから蛇の部分をくねらせたりして喜びを表現した。
『ついでに、見回りも変われ』
『あいあい、喜んで』
これからデイルはあの子熊の親に会って事情を説明し、なだめなければならない。
負けることはまずないが、頑固な父熊は説得に時間が掛かりそうだ。
そう考えながらデイルは、広場でじゃれあっている二人に気づかれぬように近く大きな木を選びその枝に飛び移った。そしてさらに高くて大きな木の枝に音もなく飛び移った。そしてまた大きな木へと飛び移り、デイルは山の向こう側を目指し木から木へと駆けた。
風に耳をこすられながらでいるは内心思う。
こんな面倒なことをするのだ。自分にちょっとくらいご褒美があっても罰は当たらない。帰ったらきっと温かい乳に蜂蜜を多めに垂らしてやるんだと決めたデイルだった。
そしてヴァスケイだが、この後にも面白がってたびたび少女と子熊を覗き見すようにたる。そしてしばらくのちに覗き見していたのをうっかり見つかり、あの二人におもちゃよろしくこねくり回されようになるのだがそれはまた別の話だ。