ヘブン フェスティバル
「光、早く準備しろよ。天上祭始まるぞ」
部屋の外から急かす声がする。声で誰だかすぐに分かった。俺に指図するのはあいつしかいないからな。父も母もいない俺は、小さな村であいつに育てられた。
「おう」
寝床から体を剥がすと気だるげに返事をする。今日は記念すべき日で、23歳となる俺の生まれ上がった日らしい。らしいというのは、俺にその生まれ上がった記憶がなく、育て親のあいつから聞いた話だからだ。そもそも生まれた時の記憶がない俺の天上祭に、どうやって気分を揚げろというのか。それに、こんな小さな村の祭になんて興味もない。面倒臭い。
部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「光さん、入りますよ」
「どうぞ」
失礼しますと言った後、俺の部屋に入って来た世話好き婆さんは、衣装らしきものを手にしている。
「光さんったら、また本を頂いたんですか?こんなにたくさん。光さんは本当に本がお好きなんですね」
婆さんは、衣装を俺に渡すと部屋に散らばった本をかき集め始める。
「ああ、タケちゃんもらったんだ。もう読まなくなったから、って」
俺は本が好きだ。タケちゃんというのは俺の友達だ。
「こんなに増えてしまっては、また収納スペースを作らなければなりませんね」
俺に手際よく衣装を着せながら、世話好き婆さんは楽しそうにする。とにかく世話をするのが趣味で、それはもう世話をされる側の気持ちも考えられないほどである。この婆さんは所謂、自己満足の域へと達してしまったようだ。
着付けを終えた世話好き婆さんは、満足げに部屋を後にする。
「……もう居なくなったから出て来いよ」
俺がそう言うと、婆さんに積み上げられた本の山から1冊の赤い本が宙に舞う。
「……あのババア、老婆の分際でオレっちに何してくれんのさ!!本の重みで紙が薄くなっちゃうだろ!!本当に信じらんねぇ!!!」
朝から愚痴が止まらないのが、この本の特徴。まあ、普通の本が喋る訳はないのだが。
「ティム、落ち着け。あまり大きな声を出すなよ。バレてもいいのか?」
本の名前はティムゼン・ブリッジ。略してティムと呼んでいる。ティムは俺の足下に落ちると、一瞬にして姿・形が三毛猫のそれになる。
「ナメんじゃねぇ!!オレっちをなんだと思ってるんだ!そんなヘマすっかよ。まったく。どいつもこいつもバカにしやがって」
可愛い顔して、酷い言葉遣いだ。勿体無い。喋らなければただの可愛い猫なのにな。どういう育て方をされてきたらこんな不細工な動物になっちまうのかね。
「あっ!てめぇ、今オレっちのこと憐れんだろ!!」
こいつは俺の考えでも読めんのか?この鋭さが時々嫌になる。
「ティム、落ち着けって。勿体無いとは思ったが、憐れんではいないから。それより、もう行かなくちゃ。ティムも来いよ」
俺は支度を済ませると急いで部屋を出る。
「ちっ。言われなくても分かっとるわ!……もう8年もてめぇの相棒やってんのかよ───」
一匹残された猫の声が淋しい部屋に響いた。
「光様!お天上、おめでとうございます!!」
「光様!この街のためにこれからもお願いしますよ!!!」
「光様~。一言お願いします~~!!」
次から次へと村人たちが俺の周りに集まってくる。人口500人余りの小さな村が、俺一人の天上祭を精一杯祝っているのだ。そもそも俺は、何意味があってこの村の長に選ばれたのだろうか。八重の神は、一体何を考えているのか、さっぱり見当もつかない。八重の神とは、この天上の世界を束ねている8人の神様のことだ。この世界のことを決める権限を持っている。神様達は、そういった権限を持っているにも関わらず、あまり私達天界人に姿を見せたことがない。中でも三人士は誰も見たことがなく、存在すら疑う声もあるくらいだ。
村人たちを適当に交わしていくと、屋敷へと辿り着く。静けさが漂う屋敷ではあいつが待っていた。屋敷の外からは天上祭を祝う音が聞こえる。
「遅い。始めるぞ。座れ。」
あいつは畳張りの床に正座していた。俺を一度見ると、俺にも座るよう促す。
「おう」
俺はあいつの向かいに座る。正式な天上祭は親族だけで行われる。俺の親族はあいつだけだ。もちろん、親族といっても俺とあいつは血のつながりはない。共に暮らしており、親しい者という意味だ。
「では、始める」
そう言うと、あいつはハサミを持って俺の後ろに立つ。そして、俺の後ろで束ねていた髪を手に取ると、それを切り取った。
天上祭を終えると俺は鏡でさっぱりした髪を見て満足する。1年に一度の断髪式である。
足音が聴こえる。どうせティムだろう。
「今年も無事に終わったじゃねぇか!」
ティムが、俺の足元で言う。
「そうだな。今日はなんだか疲れた。もう寝る」
寝床へ行くと、俺はそこへダイブする。
あぁ、疲れた。今年も平和な年だったな。と、1年を思い返しながら眠りにつく。俺はまだ知らなかった。これから起きる出来事によって今までの日々が脅かされようとしていることに。