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あたしは勝手口でつっかけをはいて外に出た。
どこだっけ、ああ、そうだ。柿の木の下だった。夢中で走る。
くらくて前がよく見えない。懐中電灯で目のまえを照らす。足のうらに、しめった土がやわらかくすいついてくる。よるの空気はまるでゆるいゼリーみたいで、走るからだにまとわりつくかんじ。あしたは、雨かもしれない。
どきどきする心臓をなだめながら柿の木にちかづく。いやなどきどきだ。予防接種の順番まちみたいな、どきどきだ。
こわごわと、柿の木の根元に懐中電灯のひかりをむけた。
「わあああっ」
心臓が口から出て目玉が飛び出しそう! 人間がいるんだ。
まるまった背中。もしやこれはおばけ? ゾンビ? 腰をぬかしてあわわわと声にならない声をあげる。
あやしい人物(ゾンビ?)はゆっくりとふり返った。
「……市太」
いっきにからだのちからがぬけた。
いや。いやいやいや。まてよ、まだゆだんできない。
ほんとうにしんじゃったらどうするの、というお母さんのせりふ。まさか市太のやつ、あたしののろいのせいで、死んじゃって幽霊になっちゃったんじゃ。でないと、子どもがこんな時間にうちの庭にいるなんて、どう考えてもおかしい。いくら家が近いからって、市太のおうちのひとはゆるさないはず。
「おれら、すげえひどいことしちゃったみたいだよ」
市太のすがたをした何者かは、ぼそり、と言った。
ひざががくがくとふるえるのをおさえながら、懐中電灯で市太のすがたをてらす。ちゃんと、足が、ある。
「どうして、ここに」
やっとのことで、それだけ言った。
「きゅうに思い出しちゃって。おれらがつかまえたてんとう虫のこと」
「……」
あたしも、そうだ。思い出したんだ。きのう、てんとう虫をたくさんつかまえて、ビニール袋の口をきつくしばって逃げられないようにして、そのままわすれてしまっていたこと。
ゆっくりと市太のとなりにしゃがむ。懐中電灯で市太の指差すほうを照らす。
空気のぬけたビニールふくろはぺしゃんこになって、つゆのような水滴がついていた。中には動かなくなった虫たちがうじゃうじゃ、いた。昆虫って、死んでしまうとプラスチックのおもちゃみたいにかたくなる。去年飼ってたかぶと虫が死んだときもそうだった。
このちっちゃい虫たちは、羽をひらいて、太陽を目指してとぶことはもうできなくなっちゃったんだ。
あたしたちの、せいで。
市太は何もいわず、柿の木のねもとの土を素手でほじくりかえしていた。そうか、お墓をつくるんだ。虫たちを、埋めて。
あたしもうでまくりをして、穴をほるのをてつだった。つめの間に土がはいりこむ。虫たちは死んで土のなかにかえる。かえる、だって。べつに虫たちは土のなかからうまれてきたわけじゃないのに、あたしはなんで「かえる」なんて言葉を思いついたんだろう。
「おまえ、何、泣いてんの」
市太が言った。それであたしは、自分がなみだをながしていることに気づいた。
「ごめん」
つぶやいた。たくさんの虫たちに。市太はビニールふくろをあけて虫たちのなきがらを穴にいれた。やわらかい土をかぶせる。
「……市太、ところで、こんな夜中に家をぬけだして、いいの。おじさんもおばさんも、心配してるんじゃ」
夜の九時にはふとんの中にいなさいって、うちでは言われてる。市太のうちだってたぶん、そう。なのに市太はここにいる。
「いいんだ。おれが家にいないなんて、だれも気づかねえよ。また、兄ちゃんが発作おこしたんだ。みんな、そっちにかかりっきりだから。ばかみてえ、昨日まで寝込んでたのにむりして昼間学校に行くから、また具合わるくなるんだ」
やみにまぎれて市太がどんな顔をしているのか、よくわかんなかったけど、あたしはなんとなく、今が夜で、くらやみの中でよかった、と思った。市太のさみしそうな顔なんて、らしくないから見たくない、って、思った。
「ごめん」
あたしは二度目のごめん、を言った。市太にむけた「ごめん」。
市太は
「おれも絵をだめにしちゃって、ごめんな」
なんて、めずらしくしおらしく言った。あたしが昼休みの絶交宣言のことをあやまっている、って思ったみたい。じっさいは市太にひどいことばでのろいをかけようとしたことにたいしての「ごめん」だったんだけど。もちろんそれは言わないけどね。
こはる、と勝手口のほうからお姉ちゃんがよぶ声がする。あたしは懐中電灯をひらひらさせてお姉ちゃんにあいずする。
「市太、うちでぎょうざをたべよう」
きゅうにおなかがすいてきて、市太のうでをひっぱった。
お姉ちゃんはあたしたちのすがたをひと目みるなり、言った。
「あんたたち、何してたの。そんなに泥だらけになって」
家の中にはいって、あかるい光のなかにもどった。お母さんが市太のうちに電話をしている。市太のおじいちゃんがむかえにきてくれることになったみたい。
「みんな心配してらしたわよ。市太くんが急にいなくなったって」
お母さんが市太に言う。市太は赤い顔をして、だまっていた。
せっけんをたっぷりあわだてて、てのひらのどろをおとす。
あたしたちは今夜、死体をうめたんだ。
あたしはこんりんざい、「死ね死ね」はいわないことにした。もう穴なんて掘りたくはないから。
「絶交したとか言ってたのにこれだからね。半日ももたなかったじゃない」
お母さんが、うばい合ってぎょうざとおにぎりをたべるあたしと市太を見て、わらった。お母さんの洗い髪からシャンプーのいいにおいがする。
あたしは指をおって数えた。八時間。
けっきょく、今回の絶交は約八時間でかいしょうされてしまった。
「いいの、絶交なんていつでもできるし」
あたしはそう言った。お母さんがそれを聞いて大笑いした。市太もわらっている。なんだかちょっと、あんしんした。
笑顔の市太の口もとに、ごはんつぶがひとつ、ついていた。