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あめつちひかり  作者: せせり
初雪
14/16

2

「どうしたのこはるちゃん。顔色悪いよ。かわいそうに、おばあちゃんが急に亡くなって、ショックだったのね」

 お葬式の朝。市太のお母さんがあたしに声をかけてくれた。今日も早くから手伝いにきてくれているんだ。

「大丈夫です。ちょっとおなかが痛いだけだから……」

 力なくこたえる。たしかに、すこし体調がわるい。

 あたしは喪服というものを持っていなくて、中学生のいとこの結衣ちゃんが昔着ていたものを借りた。お姉ちゃんは高校の制服を着ている。制服というのは便利なもので、お葬式で着ても結婚式で着てもオッケーらしい。

 お葬式は仏壇のあるお座敷で行われた。正座でしびれる足をどうにかなだめながら、お坊さんがお経をあげるのを聞く。やがてお焼香が始まって、あたしはどきどきしながら順番を待った。立ち上がったとき、すこしふらふらした。あたしも、疲れているのかも。

 おばあちゃんは白黒の写真の中で、かしこまった顔をしている。こんな写真、いつ撮ったんだろう。自分の葬式の写真を準備しておかなきゃいけないなんて、お年寄りって、大変。

 あたしはタイミングを見計らって、お手洗いに立った。頭の中でお経の声と木魚の音がぐわんぐわんとこだましている。めまいが、しそう。


「なにこれ」

 トイレの中であたしは呆然となった。これか。これがうわさの、生理というものか。よりにもよって、こんなときにやって来るなんて、どうすればいいの。

 手当ての仕方は、去年学校でならった。ナプキン。ナプキンがどこかにしまってあるはず。あたしはトイレを出て、洗面所の戸棚の中を探った。ない。それらしきものはどこにも見当たらない。

 あたしはあわてて、台所へ行った。とりあえずお母さんをさがそう。あ、いた。

「おかあさん」

「なあに、こはる。もうすぐみんなで火葬場に行くから、あんたも準備しときなさい。ああ、忙しい忙しい」

 お母さんはばたばたと小走りで去っていった。どうしよう。

「こはる。どうしたの」

「お姉ちゃん」

 お姉ちゃんだ。よかった。お姉ちゃんにたすけてもらおう。

 お姉ちゃんの目のふちが、うっすらと赤くなっている。

「こはるも悲しいのね。そんなに涙をためて。お葬式なんだから、我慢しないで泣いてもいいんだよ」

「お姉ちゃん。あの、実は、そうじゃなくて」

 あたしはお姉ちゃんの耳元に口をよせてごにょごにょとささやいた。

「ほんと? こはる、びっくりしたでしょ。お姉ちゃんの部屋においで」

 あたしたちはゆっくりと階段をのぼった。


 お姉ちゃんは小さなポーチをバッグからとり出して、あたしに手渡した。

「はい、これ。とりあえずだけど。つかい方、わかるよね」

 うなずいた。水色の花柄のポーチ。あたしもこれから自分用のものを用意しなくちゃいけないんだ。

「あー、最悪。一生この日が来なければいいのにって思ってたのに。しかも、よりにもよって、おばあちゃんのお葬式のときになるなんて」

 つい愚痴っぽい言い方になってしまう。あたしのからだはこの一年でぐんぐんと成長をとげて、まだお姉ちゃんほどじゃないけど、ちょっとだけ丸っこくなってきて、胸だって前よりふっくらとしてきた。そしてついに生理がきた。

「おまえ、なったんだって」去年、市太がそんなことを言ったのを思い出した。あの時は相当頭にきて大げんかした。まさかこのあたしが、本当に生理になるなんて思いもしなかった。からだの内側で起こっていることなんて、あたしには知りようもない。

「しょうがないじゃん。いやだろうと何だろうと、いつかはこの日が来るんだよ。生きてるってことは未来に向かってるってことだから。避けられないよ」

 お姉ちゃんが半ばあきれた顔であたしをさとす。しょうがない、か。

「お姉ちゃん。あたしたちは未来に向かって生きて、おとなになって、最終的にはおばあちゃんみたいに死んじゃうんだよね。しょうがないんだよね」

 未来に待っているものは死だ。大往生、末期がん。脳卒中、不慮の事故。いつかかならず落ちる、真っ黒い落とし穴。

「……こはる」

 お姉ちゃんが泣いているあたしをゆっくりと抱きしめた。あたたかくてやわらかいからだ。おばあちゃんにも、よくこうしてもらった。おばあちゃんのからだはしなびて骨ばっていて、薬みたいな黒みつ飴みたいなにおいがした。そして今はろう人形のように固まってしまった。おばあちゃんも若いときはきっと、お姉ちゃんみたいにふんわりとやわらかいからだだったんだ。子どものころはきっと、ゴムまりのようにはずんで大地を蹴って跳ね回っていたはずなんだ。

 なのにどうして。


 そしてあたしたちは、おばあちゃんのなきがらが焼かれるのを、火葬場の待合所でじっと待った。ごうごうと燃え盛るほのおに包まれるおばあちゃんのすがたを想像してみる。かわいそう。でも、そんなふうに思っちゃうのは生きているあたしだけで、当のおばあちゃんは死んでいるから熱くない。もう熱さも寒さも痛さも感じない。それが死んでしまうということ。

 掃き出し窓から外をのぞくと、長い煙突からうすい煙がたなびいて空にのぼっていくのが見えた。あたしは四年生のとき国語でならった「ごんぎつね」の、最後の場面を思い出していた。ごんを撃った兵十の火縄銃から、うす青いけむりが出ているところ。はじめてあの話を読んだとき、悲しくて泣いてしまったんだった。青いけむりが、せつなくて。

 おばあちゃんの小さなからだは、あっという間に灰になった。お骨のかけらを家族や親戚でひろう。長いおはしでお骨をひろって、おはし同士で受け渡す。食事中にこれをやると、縁起でもないって怒られた。今、それがなぜなのか、ほんとの意味でわかった。

 今、あたしのおなかの中でははじめてのことが起こっていて、この瞬間もどくどくとあかい血が流れ出ている。血を流すあたしのからだも、いつかは焼かれて灰になる。でも、血が出て嫌だって思ってるあたしのほうは、いったいどこへ行ってしまうの。おばあちゃんは、いったいどこへ行ってしまったの。おばあちゃんのお骨を拾いながら、あたしはぼうっとそんなことを考えていた。


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