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あめつちひかり  作者: せせり
初雪
13/16

1

 それはひどく寒い、冬の朝のことだった。

 空はうそみたいにきれいに晴れていた。一月の、クリアな青空。きんと冷えた朝の空気。

 目がさめると、いつもの朝と何かようすがちがう。お父さんとお母さんが血相を変えて慌てふためいているんだ。お母さんがあたしを見るやいなや、言う。

「おばあちゃんが亡くなった」

 は? おばあちゃんの何がなくなったの? あたしは眠い目をこすりながら、そんなふうにこたえた。

「ものをなくしたんじゃなくて、おばあちゃんが、亡くなった、の。死んだの」

「……は?」

 なんでそんな趣味のわるい冗談を言うんだろう。だってゆうべ、ばあちゃんは私に「こはるももうすぐ中学生だねえ」なんて、しみじみ言ったんだよ。細い目を、さらに細めて。「こはるのセーラー服姿、楽しみだね」って。それが何? 死んだ、って。

 ことばをなくしたあたしに、お母さんは諭すように言う。

「息をしてない。心臓も動いてない。もう、からだが固くなりはじめてる。おばあちゃんは、亡くなったんだ」

「ウソでしょ」

「ウソ言ってどうすんのよ」

 何よ。だったらゆうべのばあちゃんのせりふは何。こはるのセーラー服姿、見れなくて残念だったよ、そういう裏の意味があったとでもいうの?

 二階の自室から降りてきたお姉ちゃんが、驚いた声をあげるのが聞こえる。お母さんがあわててあちこちに電話をかけまくっている。お父さんが、「北まくらにしないと。北はどっちだ?」と誰にともなく聞いている。

 やがていつもお世話になってるお医者さんがやってきて、おばあちゃんを診た。お医者さんは、そっと、手を合わせていた。


 あたしとばあちゃんは、仲がよかった。

 ばあちゃんはいつも老人会から帰るとおみやげの紅白まんじゅうをこっそりわけてくれた。茶だんすからカルミンをいくつかとり出して、あたしや市太にくれた。いつ買ってきているのか、ばあちゃんはカルミンを切らしたことはなかった。あたしはお返しにドロップをあげた。宝石みたいにきれいだね、とばあちゃんはわらっていた。裁縫が上手で、小さいころは、よく、リカちゃん人形の服を縫ってくれた。あたしとお姉ちゃんのゆかたも縫ってくれた。


 朝っぱらから、ご近所のおじちゃんおばちゃん達や、町内の親戚とか、葬儀屋のひととかがわらわらと駆けつけて、家の中はにぎやかになった。あたしとお姉ちゃんは学校を休むことになった。お姉ちゃんはお母さんに言われて、お客様用の布団を干している。あたしも空いている部屋を掃除させられた。遠方から来る親戚が泊まるからだ。

「ねえお姉ちゃん、おばあちゃん、本当に死んだの」

「どうして」

「だって誰も泣いてないじゃん」

「お通夜やらお葬式の準備で、それどころじゃないんでしょ」

 お姉ちゃんはクールに言った。そんなものなの? すこし拍子抜けする。

 ていうか、まだ信じられない。これは「どっきり」じゃないんだろうか。テレビでよくやってる、あれ。ターゲットをみんなでだますんだ。大成功! と書かれたプラカードを持った仕掛け人が現れて、ターゲットのタレントは、一連の出来事が仕組まれたことだったことを知る。なんだよどっきりかよって、ほっとした顔で頭を抱えてみせるターゲット。仕掛け人は、おばあちゃん。ターゲットは、あたし。おばあちゃんなら、あながちありえない話でもない。

 何せばあちゃんは、日ごろからしょっちゅう嘘かほんとか判断のつかない話ばかりしていたんだ。

 わかい頃、真っ黒い大蛇が川を上流のほうへ泳いでいくのを見たとか、お盆に人魂を見たとか。あれはぜったいおじいちゃんが帰って来たのに違いないね、なんて言っていた。そうそう、きつねに憑かれて身投げした女の人の話もしていたっけ。あの話を聞いたときは、本当に背すじが凍るほど怖かった。きつねに憑かれるなんて、本当にあり得るのかな。その後すぐあたしは、きつねより幽霊より生きてる人間のほうがよっぽど怖いと考えるに至ったんだけど。


 台所にかっぽう着をきた女の人たちが集まって、炊き出しの準備をしている。お姉ちゃんも手伝っている。おばあちゃんのなきがらは、いつの間にか死に化粧をほどこされて、お棺の中にすっぽりとおさまっている。あたしはぬき足さし足でおばあちゃんのほうへ近づいた。そっとおばあちゃんの顔をのぞき込む。

「ばあちゃん」

 呼んでみる。もちろん、返事はない。おばあちゃんのしわだらけの顔はろう人形のように固くかしこまっている。本当に、もういないの? おばあちゃんの顔にさわって確かめようと手をのばしたけど、なぜだかどうしても触れることができない。

 ぼうっとしているあたしのそばを、何人もの大人がばたばたと通り過ぎる。自分の存在が空気みたいに透明になってしまったように感じた。みんな目の前の仕事にかかりきりになっていて、おばあちゃんが死んでしまったことなんてまじめに考えていないみたい。あたしだって、まだ信じられない。

 

 その日の夜中じゅう、黒っぽい服をきた人たちが入れ替わり立ち替わりあらわれて、おばあちゃんに手をあわせていった。市太と琢磨くんもやって来た。

 琢磨くんは中学生になってから、ますます背がのびた。それに、いつの間にかびっくりするほど声が低くなっている。琢磨くんが遠くに行ってしまった気がして、あたしはなんとなくさびしかった。市太は市太で、少年野球のチームに入ったせいで忙しく、六年でもクラスの離れたあたしたちは登下校中くらいしか言葉をかわすことはなくなっていた。たんけん隊ごっこなんてものはとっくの昔に卒業してしまっていたし、自転車で一緒にあちこちに遊びに行くこともなくなっていた。


 お母さんはずっと緊張しているみたいな青い顔をして立ち回っている。あたしはお父さんが泣くんじゃないかと何気なく観察していけど、そんなことはなかった。

 茶の間では、ひさびさに寄り集まった親戚がまるで同窓会みたいに近況報告し合っている。小さないとこたちはばたばたと走り回って怒られている。人が亡くなったというのに、この和やかさは、何なんだろう。

 あたしはお姉ちゃんのカーディガンのそで口を引っ張った。

「お姉ちゃん、誰も泣いてないね」

「そうね。おばあちゃん年だったし、苦しまずに逝ったから幸せだったなんてみんな言ってるよ」

「苦しまずに、かあ」

 たしかにそれは幸せなことなのかもなあ。親戚たちはひそひそ声で、どこどこの誰それが末期ガンで長くないらしいとか、誰それが亡くなったときは死ぬ間際まで苦しんでそれはひどかったらしいとか、そんな話でもりあがっている。

 末期ガン。病気の苦しみ。つめたい病室の映像があたしの脳裏によぎる。

 大人は怖い話を、平気でする。


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