tale 7
「あれ…………? 女官長は?」
「え゛っ」
「今夜は……その、初陣演習の日、じゃなかったの?」
私がそう訊くと、ルイは目に見えて狼狽えた。しかし、そこはなんとか持ち直すと
「マリ……知ってたんだ……」
ヘッドボードから背を起こし、本を横に置いて胡坐を組み直す。行儀が悪いことには変わりない。
「うん、あの、たまたま、偶然聞いて……その……頭きて我慢できなくて……」
で? 女官長は? まだだった? それとも、もしや既にコトはお済みで?
キョロキョロと部屋を見回す。
私の考えてることがわかったのか、ルイはちょっと笑って「女官長なんか初めから来てないよ」と言った。
「え?」
「演習なんかやらないよ」
「え……」
ルイは突っ立ったままの私に寝台に座るように手招いた。本来ならソファとかに座るべきなんだろうけれど、私たちは一年ちょっと前まではこうやって一緒の寝台に乗って共に眠っていたのだ。つまり、ここは私たちが一番リラックスできる場所だ。私はルイが誘うのに従ってそこに乗り上げる。薄明りの中、ルイは私と真正面に向き合った。
「僕だってさ、そりゃまあいずれちゃんと世継ぎを作らなきゃいけないことはわかってるよ。その相手がマリってことも。ちゃんとコトを運ばなきゃいけないこともわかってる。確かに、まあその、女官長が相手として挙げられてて、ギリギリまで強行突破されるとこだったんだけど、マリのじいさんに」
「なっ……!」
やっぱり! ミルカは首謀者だけは口を割らなかったけど絶対おじいさまだと思っていたのだ。あの狸ジジイ! なんで孫娘の夫に女を宛がうのよ!
ギリッと歯を噛んだ私に「噛むなよ」と警戒しつつ、ルイは私の両手を取った。そのままその繋がれた手元を見つめ、言う。
「けど、裏の慣例だとか演習だとかいって他の女性を抱くのってちょっと違うと思うんだよ。だから女官長に協力してもらって一旦承諾したように見せてたんだ。で、そのままのらりくらりと躱そうと思ってた。でもそういうことも何にも知らないマリの耳に入れば、そりゃ嫌だよな。どこかからマリに伝わる可能性だって全くないとは言えなかったのに。ごめんな」
ルイ…………。
「あのさ」
ルイは手元にあった目線をあげた。
「僕はマリが好きだよ」
ルイは私を見つめ、はっきりと言った。揺るぎのない、真っ直ぐな瞳で。
「僕は相手はマリだけでいい。いや、マリだけがいい」
だいいち元々僕の妻なんだし、と笑う。
嘘じゃないってわかる。伊達に生まれてからの付き合いじゃない。でも。
「ルイのそばにいる女の子は私しかいなかったから……」
乗り込んだ勢いはどこに行ったのか、急に気が弱くなる。
私たちはお互い選択肢が無かった。
俯いた私の手をルイはさらに強く握り、言う。きっぱりと。
「それはマリもだろ? でもそれでいいじゃないか。今までもそうだったし、これからもそうなんだし。僕はラッキーだったと思ってるよ、王妃がマリで。マリはかわいいよ。頭が良くて明るくて楽しくて、ちょっと凶暴だけど優しいとこもあって」
顔を上げてルイを見る。そこには子どもの頃から変わらない、澄んだ瞳があった。
「僕たち、今まで何でも全部、初めては一緒にやってきた。乗馬だって、視察だって、学校にちょこっと行ったのも、教会での奉仕活動も、水泳も、稲刈りも。だからコレも、一緒にやろう。一年前に寝室を別にしたのは、まあちょっといろいろ知っちゃって余裕がなかったから。でも、今は少しは落ち着いたつもり」
だから。僕たちはいつも一緒だから。全部、一緒にやろう。
「ルイ……。うん。私もルイが好きだよ。ルイが夫でよかったよ。一緒にやろう。これからも、全部」
「うん」
ルイは私をそっと抱き寄せる。先日木から落ちたときにも触れたその身体は、確かにまだ成長途中の少年のそれであったが、でももう私を十分包み込める大きさだった。
そうして、私たちは初めて、頬にではない、唇と唇を合わせるキスをした。
鳥のようなキスをしたあとで、ルイは額をくっつけたまま、囁く。
「でさ、首相の追撃を逃れるためにも、もうとっとと僕たちで演習……演習じゃないか、本番? とにかくしちゃえばいいと思うんだけど。どう?」
「えっ! い、今!?」
結局その夜は、実は私は月のものの真っ最中だったこともあり、それによく考えたらまあまだ早いよね、この国の成人である16歳になってからにしようよ、えへっ☆ ……ということで、そのまま初床に流れることはなかった(ルイは大いに不満げであったが)。
翌日おじいさまには一応二人で、まあほぼ私が半ギレで話をつけ、今回の一連の件は幕を下ろす。
そして私たちはまた日常に戻った。
なんでも、一緒にやる。大聖堂への参拝も、諸外国からの視察団の案内も、農産物の品種改良実験立ち合いも。……そのうち、アレも。
ルイと私は、いつも共に在るのだ。これまでも、これからも。
世界で一番幼く結婚をしたエルトリア王国の国王と王妃の間には、結婚の17年のち、世継ぎの男児が誕生する。その後も次々と子宝に恵まれ、最終的には四男三女の父母となった。エルトリアは国王夫妻の気質通り、明るく穏やかで平和な国である。
──『若者のための新しい世界史』より──
end