SpiritⅠ 始まりはチョコレート
大人な女性ってこんな感じかな?というイメージで書きました。
――――それは平凡な毎日を過ごす中、私が立ち寄った小さなアンティーク店から始まる。
暮れなずむ見慣れた商店街で買い物を済ませ、その先に見えるマンションへと向かう仕事帰り。
少しよれたスーツも、崩れた髪型も気にすることもなく家路を歩く。
(今日の夕食は何にしよう。あ、パスタ食べたい…ってそういえば昨日も食べたっけ。帰ったら洗濯物畳んで…お風呂洗って、それから…)
そんな他愛のないことを考え、今日も一日が終わる。―――そう、いつもと同じだと…この時までは。
「ただいま…」
玄関を開け、暗い部屋の中に私の声だけが響く。
一人暮らしなのだから当たり前。誰に言うでもなく口にした言葉に、当然返事などない。
靴を脱ぎ捨て、電気をつけ部屋に入る。
散乱した雑誌を避けながらベッドまでたどり着けば、買ってきたものを床に置き倒れこむ。
スプリングが軋み、ここでやっと帰ってきたと実感した。
「はあ…疲れた」
零れた言葉はすぐに消え、時計の秒針の音だけが響く。
動かずじっとしていればやがて聞こえるのは自分の心音。誰の気配も無く、自分が動かなければしない音。
「なんか…寂しい」
今までにそう言ったことは無い。こんな風に突然思うことは今までにもなかった。
一人暮らしを始めて五年になる。だから一人には慣れたし、独りを寂しいと思ったことは無い。
無い…はずだった。
けれど今日は違ったのかもしれない。
会社でミスをして先輩に酷く怒られた。それは何のことも無い。それは私が悪いのだから当たり前。
けれどそれを見ていた同僚の心無い言葉が、私にはとても鋭い刃のように心に突き刺さった。
だから感傷的になっているのかもしれない。
だから…『独り』を寂しいと感じたのかもしれない。
「…っ…。」
涙が零れる。
まだ化粧落としてないのに、これじゃあお化けみたいになっちゃうね。
ほんの小さな強がりで、私は口元に笑みを浮かべる。
悪口を言われて気にするような女じゃないの、本当はね。だけど今だけは…今だけは誰か隣にいてくれる人が、慰めてくれて、話を聞いてくれる誰かが欲しい…と思った。
「あ。卵、買うの忘れてた…」
ふと思い出した私は涙を拭い、ボロボロの顔のまま財布を持って玄関に向かった。
マンションの近くに新しく出来たコンビニ。一度行ってみたいと思っていたから、自然と足が向いた。
(卵買ったらパスタ作って、お風呂入って、スッキリしたところで録画しといたお笑い番組でも見よう。そうすれば気分も晴れるよね!)
前向きに。そう心に語り掛け、私はコンビニの前に到着する。
そこは一見どこにでもあるコンビニだったのだけれど、中はアンティークな雑貨屋さんのように小物から大きな物で溢れかえったいた。
「え…此処、コンビニ?」
自動ドアをくぐり、中に入った私が興味深げに周りを見渡していたからか、店員さん…もしくは店長さんが近寄ってきた。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも…」
客が来たら当たり前に言うあいさつに、私はなぜか返事をしてしまう。
いつもなら聞き流してすぐに目当ての物を手に取るのに、どうしてだか目の前の男性から目が離せなかった。
三十代後半、眼鏡をかけた黒髪に、顎に少し生えた髭が彼をダンディーに見せ、私は知らず頬を赤らめる。それを隠すように、気になっていたことをそのまま彼に尋ねた。
「あ、あの…此処って本当にコンビニなんですか?」
見上げる位置にある彼の目を見つめ、首を傾げていると、男性は軽く口角を上げると静かに口を開いた。
「外見だけが真実ではありません。外が真実でも、中は真実ではないかもしれない。そしてその逆もまた然り。」
「えっと…??」
「ふふ…つまり此処はコンビニであって『コンビニ』ではないという事です」
「…?」
可笑しそうに笑う男性に、私はますます訳が分からなくなり、とりあえず卵を探そうと店内を歩き出す。
それを見ていた男性は一人レジへと戻ると、ずっと私を目で追っていた。
(な、なんか不思議な人だな…)
私も目の端でその人を確認しつつ卵を探していれば、ふと側にある棚に目がいった。
(これ…!!)
其処に置かれていたのはここ最近話題になっている御菓子メーカー“スピリットガーデン”の大人気商品ランキングトップ10に入る『スピリットチョコレート』だった。
両手に乗るくらいの可愛いピンクのリボンでラッピングされた箱に一口サイズのチョコが七つ入っている商品で、中のチョコが甘すぎず苦すぎず、口に入れた時の程よい口どけが人気の理由で大人女子の間で大ブームを博した物だった。
味は何種類か出ているのだが、何気なく見た棚には「全種入り!七つの違う味が楽しめる?」と書かれたプレートが張られたスペシャル使用の箱が青いリボンでラッピングされ“一箱”置いてあった。
(コンビニ限定で売っているって言われるあの全種入り!?普通のも直ぐに売り切れちゃって中々買えないのに…っ。ど、どうしよう…!)
最後の一つ。それはとても魅力的な響きだった。
私は卵のことすら忘れ、目の前のスピリットチョコを買うべきか悩んだ。しかし“最後の一つ”という誘惑に勝てず、私はそれを手に取った。――――先程の男性が意味深に笑っているのにも気づかずに。
その後、他に買い忘れたものを幾つかと無事に卵を見つけ出しレジへと向かった。そこには先程の男性が笑みを浮かべながら待ち構えていた。
「お買い上げありがとうございます」
「い、いえ…」
商品をレジに通していきながらも、男性はニコニコとした笑みを崩すことは無かった。けれど最後の商品、スピリットチョコをレジに通そうとして男性は手を止めた。
不思議そうに視線を男性の顔に向けてしまえば、先程までと笑みは変わらないはずなのに、どこか恐怖を感じる笑みで問い掛けてきた。
「本当に…これをお買い上げになりますか?」
「え…?」
売る側の人間が、こんなことを言うだろうか。驚いて上擦った声を上げてしまえば、男性は笑みを浮かべたまま再度同じ質問をした。
「本当に“コレ”をお買い上げになりますか?」
「それは…」
(いや、客が何を買ってもいいでしょうに…。でも、そんなことを言われたら迷っちゃうよ…)
首を捻り考えるそぶりを見せる。
普段の私ならこの質問に対して、即「じゃあ、買いません」と答えたはず。でもこの時は傷心だったからか、はたまた微塵も持ち合わせていない好奇心がこの時ばかりは表に出てきたがったからか。
理由は何であれ、私は男性を見上げてハッキリとこう言った。
「買います」
その時の笑顔と、言われた言葉を私はこの『数分後』に思い出すことになる――――
マンションに帰り、卵などを冷蔵庫に入れ座椅子に座る。
目の前の丸い木のテーブルにスピリットチョコの箱を置く。ワクワクとした弾む気持ちを押さえながら、しゅるりと青いリボンを解く。
箱のあけぐちに手をかけ、そっと開くとその瞬間に甘い匂いが鼻をかすめた。
「わあ…!」
六角形を形作るように鮮やかな色をしたチョコが六つ並び、その真ん中に茶色いチョコが一粒。まるで虹を彷彿とさせる色使いに、私は口元に笑みを浮かべると真ん中のチョコへと手を伸ばした。
「食べるのがもったいないけど…。いただきますっ!」
パクッ。とチョコを頬張る。
その瞬間、口の中でチョコは弾け、電撃が落ちたのかと錯覚するほど体に痺れが走った。
目はチカチカし、体は熱を持ったように熱くなる。
「―――っ!?」
私は、驚きのあまりチョコが溶ける前に固形のまま飲み込んでしまう。
「な、なに…?今の…」
飲み込んでしまった後の口の中は甘さだけが残ったが、目のチカチカは無くなり、熱も引いていた。舌は痺れるような痛みが少しあったが他に異常は見られなかった。
「これって、こんな炭酸ジュースでもなんだみたいな後味なの?そんなのネットにも書いてな―――」
飲み込んでしまいチョコを味わうことが出来なかった私は、残りのチョコを食べようと箱に目を移した。
けれどそこに、他のチョコは残っていなかった。
「え!?落としちゃった!?」
バッとテーブルの下を覗くもチョコは無く、テーブルの上にも箱と携帯電話、後で読もうと置いておいた漫画本くらいだった。
「え~…まだ一個しか食べてないのに……」
不思議な現象よりも、もっと味わいたかったという想いが勝り、私は落胆のため息を吐いた。その時…
『お~!初めからこんなに適合する“人間”がいるなんて、驚きです!』
「!!?」
何処からか声が聞こえた。高すぎず低すぎず、まるで甘すぎず苦すぎないあのチョコのような男性の声。
『しかもそれすら気づかず、菓子に対しての感情しかないなんて…肝の据わった方だ!』
「だ、誰!?」
一応防犯システムは良いところに住んでいるはずだと思っていたので、慌てて立ち上がり部屋を見渡す。
『ああっ、そんな分厚い本を丸めて持つなんて…僕はGと同列に扱われている!?』
口に出したくもないあの生物をGと変えたことで悪い人ではない(勝手に解釈)。と思い私は本を置く。しかし姿が見えない声だけの人物に、恐怖心だけは抱く。
(何なの、この声?どこから…)
『え?何処からも何も…“アナタの中から”ですよ?』
「っ!?」
声に出していない言葉に、返事が返って来た。
それにも驚いたのだが、その返事の内容にもっと驚きを隠せなかった。
「中…って、どういうこと?」
『それはアナタの体内、身体の中という意味ですよ』
あはは、と可笑しそうに笑う声は…よく聞くと確かに私の中から響いているように感じなくもなかった。
「えっと…。じゃあ、出て行ってくれます?」
『アナタ…どこまでも冷静ですね…。他に何か言うことあるでしょう?例えば…「いやー!何これ!?どうなってるのー!?」…とか。』
女っぽくしたかったのだろうか。オネエにしか…いや、世のオネエさま方のほうが可愛い声を出すだろうに…、彼の声は先程の声よりあまり変わっていなかった。
「お望み通り、叫びましょうか?」
確かに驚いてはいたのだが、彼の先程の声で何か落ち着いた。
その心境が分かったのか中にいる(自称だが)声の男性は、つまらなそうな声を上げた。
『いいえ、結構です。はぁ…、ここまでからかいがいの無い方は初めて見ましたよ。…仕方ないですね、予定を変更して話を進めることにします』
「え…―――わっ!!?」
声が話を終えた瞬間、私の体が青色の光を放った。
まるで自分が電球になったようだと考えていれば、しゅうぅ…と音を立て、光は消えていった。
眩しさの為閉じていた目を開けると、其処には見知らぬ男性が立っていた。
上下白のタキシードに、青いネクタイと黒の革靴。一目見て高級だと分かる服装をした男性は、チョコレート色の短い髪を耳にかける仕草をし、金色の瞳で私を捉えた。
(わっ、意外にイケメンが出てきた…)
「意外には余計ですよ、これでも僕はスピリットの中でも上位ランクなんですから。それに貴女も稀な存在であるにも関わらず外見は普通ですね」
(イラッ…)
又も私の思考を読んだ男をこれでもかというほど睨み付けてやる。それでも態度を変えない男は、こほんっと一つ咳払いをすると恭しく頭を下げた。
「初めまして、姫宮 芽瑠さん」
「どうして私の名前を知って…?」
「そりゃあ…体内に居ますし?寄生している身の事なら何でも知っていますよ!」
(ゾワッ!)
反射的に自分の肩を抱きしめた私に、自信満々に言い切った寄生者は慌てて表情を引き締めると姿勢を正した。
「って、話が脱線し過ぎました…。というより、貴女も貴女ですよ!」
「え?」
「普通こんな摩訶不思議なことが目の前で起きたらもっと慌てるものでしょう?失神してしまう人だっているというのに…」
言われてみれば、と考えて思い当たった答えは至極簡単なものだった。
「確かに驚きはしたけど……なんか違和感なくいるから、身内なんじゃないかって」
何を言っているんだ。と自分に言いたい。
けれど本当にそんな感じがしているのも事実で、彼は身内と会話しているような雰囲気があるのだ。
「ああ…なるほど。適合率が高いために、本来感じるはずの違和感や拒絶感を抱いていない、と」
「…?」
「あ~…順を追って説明しますと―――――」
首を傾げた私に対し寄生者がやっと説明を始めようとした時、突然部屋が揺れ出し家具や積み上げた本等も大きく揺れ出した。
「何!?地震!?」
「あー…」
「何、その“まずいことになったなー”みたいな声は!?」
「いえ、まさにその通りなんですが───」
寄生者である男は苦笑を浮かべると、注意を向けて欲しいな。と言いたげに天井を指差した。
その直後───ドカンッ!!!
「!!?」
天井が爆発し、私は咄嗟に身をかがめた。
けれど爆風は愚か衝撃が無いことを訝しみ顔を上げれば寄生者が庇うように私に覆い被さっていた。
「ちょっ!何してんのよ!」
「あだっ!」
少しでも動けば触れてしまいそうな彼の顔を、思い切り拳を下から突き上げ殴る。
もう既に爆発のことすら忘れ、私は赤くなった頬を押さえ彼を睨みつけた。
「い、いきなり!この変態!」
「痛いですよ…。そもそも体内に住んでる僕に変態も糞もないでしょう?」
(いや、糞なんて言ってない。ていうか勝手に“住んでいる”になってるし!)
もう一度文句を言おうとすれば、それは彼ではなく“別の男”によって遮られた。
「や~っと、見つけたぜ…スピリットNo.0!」
原型を留めていない瓦礫の散乱した部屋に空いた天井の穴から降り立ったのは十代の少年。
ツンツンとした黒髪に、金色の瞳。十代にしては奇抜なパンクファッションの彼は、寄生者……もう面倒くさいので“変態”、を見つけると嬉しそうに笑った。
「えっと……弟さん?」
「…な訳ないでしょう。……久しぶりだね、ライザ」
私に答えた後、変態は私を背に庇うように立ち少年に声をかけた。
“ライザ”と呼ばれた彼は、側にあったボロボロの漫画本を手に取るとそれを変態に投げつけた。
けれどただ投げつけただけかと思っていたそれは、まるで銃弾のような速さで変態の顔面に迫った。
(危ないっ!)
悲痛な想像をした私は目を閉じてしまうも、聞こえたのは本を受け止める音だった。
「此方は丸腰なのに、随分と酷いことをするね…ライザ」
「余裕で、しかも片手で受け止めるような奴の台詞かよ、それ。」
ニヤリと笑ったライザ君は、勢いよく立ち上がると私たちに向けて手を翳した。その瞬間、変態が顔色を変えた。
「いけない!芽瑠さん、私の話を急いで聞いて下さい!」
「え?あ、はい。」
慌てだした変態に首を傾げながらも頷くと、彼は上着のポケットに手を突っ込むと何かを取り出した。
「簡潔に言います。僕とこれで“変身”してライザを倒してください!」
ずいっと差し出されたのは、私がさっき食べた一口サイズのチョコレート。
今の現実離れした状況に甘い匂いが鼻をかすめた。
(えっと…。確かに簡潔な説明だったけど…え?変身?)
何を言ってんだコイツ。と目で訴えれば、変態はこれでもかというほど真剣な表情をしていた。
「時間がありません。ライザが使おうとしているのはここら一帯を壊滅させてしまうほど強大な魔法です。今すぐ止めなければ、僕たちも…この周辺にいる人々も死にます」
「っ!?」
はっきりと。言葉を濁すことなく『死』という言葉を言った変態に、私は息を呑む。
小説や物語の中でしか聞いたことのない「魔法」という単語がすごく気になったけれど、多くの死が関係していてそれが自分の所為かもしれないという事を言われているようで、私は変態を見た。
其処には『嘘偽りは無い』と訴える澄んだ瞳があり、私は考えるよりも先に彼の手にあったチョコを掴んだ。
「どうすればいいの?」
「芽瑠さん…いいんですか?僕のいう事を…信じてくれるんですか?」
「仕方ないでしょ、次から次へとありえない事ばかり起きて何をどうしたらいいか分かんないんだから!それでも…」
「でも…?」
チョコごと変態の手を取り、私はヤケクソ気味に叫んだ。
「何故かアンタのことは信じられるんだから!!」
「っ!!芽瑠さん…嬉しいです!」
涙目になりながら手を握り返してきた変態を、私は赤面しつつ睨み付けた。
「も、いいからっ!…それで?変身っていうのは?」
「あ、はい。このチョコを食べて下さい。それで変身できるはずです」
「……。え、それだけ?」
「?…はい??」
本気で他に何かあったかな。と思考を巡らせる変態に、実は色々と変身について想像を膨らませていた私は拍子抜けしてしまった。
(もっとこう…変身の呪文とか、ステッキとかあるのかと思ったんだけど、ね)
気恥ずかしくなってしまった私はチョコを奪い去るように口元に持っていくと、最後の確認とばかりに変態に視線を送った。
「行くわよ」
「はい」
コクリと頷いた変態の顔を最後に、私は目をきつく閉じるとチョコを頬張った。
(この際もうっ…どうにでもなれ!)
その時、私は思い出した。
――――「アナタに訪れるのは希望か、それとも絶望か。それはアナタの行動次第。アナタは―――どちらを選ぶのでしょうね?」
あのコンビニだと思われた店の男性の言葉を。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
次回も読んで頂けたら嬉しいです!